台東区千束の吉原神社へ到着
浅草名所七福神のこれまでの行程は
そして5社目が吉原神社となります
前回のブログで石浜神社から吉原神社までの行程を書きましたが
台東区巡回バスの北めぐりんに乗車したのは
東武線浅草駅~待乳山聖天(隅田公園)間と
石浜神社(清川1丁目)~吉原神社(吉原大門)間です
吉原神社周辺の地図
手前から京町通、角町・揚屋通り、江戸町通りまでが昔の吉原遊郭です
貼り付けたGoogleマップを拡大できる方は拡大してみてください
カタカナの店名がいっぱいあると思われます
一時、200店近くのソープランドが吉原にあったとされますが
今は140店くらいでしょうか
吉原大門近くの土手の伊勢屋(てんぷら)や桜鍋の中江へ行く際は
山谷堀から土手通りを歩けばよいのですが
吉原神社へ行くときは
鷲神社側から歩かない限り吉原を通ることになるけど
女性が1人で歩いても大丈夫です
外国人観光客の方が仲之町通りを歩いているので
吉原は観光地化されているようです
吉原神社の境内へ
写真左側に桜の木があり
逢初桜(あいぞめ)と呼ばれています
恋焦がれている人に初めて会うという意味らしい
参拝し、御朱印を頂く
(そういえば御朱印をブログに載せるのを忘れている)
吉原神社境内にある「お穴様」
地中の神様で神社の土地を守っているとのこと
そして吉原神社境内にあるのが
吉原今昔図の看板です
左から
明治27年 大正12年関東大震災時 昭和20年東京大空襲
昭和33年公娼廃止時
そして1993年(平成5年)の現勢譜
こちらが明治27年時の吉原の図
明治27年と昭和20年の図を比べてみると
角海老楼は残っていたようです
それと稲本楼(現ホテル稲本)もあります
こちらは吉原内での各職種の変動です
トルコ風呂・ソープランドは昭和33年の公娼廃止時から営業を始め
昭和59年には旅館・ホテルとアパートが増えています
これは公娼廃止時に赤線(昭和の遊郭のようなもの)から旅館やアパートに転業したことのようです
お茶屋・芸妓・置屋は昭和33年を境にガクッと減り
幇間(太鼓持ち)が昭和59年でゼロとなっています