2000年
196㌢の長身から繰り出される155キロの速球は威力抜群。メジャーでは通算4勝と勝ち星こそ少ないが、ピンチの場面の中継ぎとして106試合に登板。強打者を力でねじ伏せてきた。阪神ではもちろん先発にチャレンジ。セの強打者と真っ向勝負だ。
2月19日の紅白戦では、MAX146㌔を計示した。「まだまだ速くなる。球持ちが長いから、打者は打ちにくい」と評価はアップしている。メジャーでは抑えの実績もあるが、先発候補。196㌢の長身から威圧感のある球を投げる。
閉じかけていた扉を実力でこじ開け、夢をつないだ。オープン戦五度目の登板となったハンセルが、4回1安打、無失点の満点投球。制球難に苦しんだオープン戦とはまったく別人、主戦投手の風格さえ感じさせた。ミラーのストッパー起用が決定し、残り1席になった開幕一軍枠。ラミレズで決まりかけていた野村監督の最終ジャッジに自らの手で待ったを掛けた。ただの最終登板ではないことを、ハンセルは熟知していた。「同じピッチャーとして、ミラーやラミレズが結果を出すのはうれしいがことだ。でも、他人を気にしても仕方がない。自分の結果を重視した」と振り返ったように、制球難のレッテルをはがし、野村監督の視線を自らに向けさせる好投だった。初回からエンジンをフル回転。先頭の武藤をチェンジアップ、続く大村は、自慢のシンカーで空振り三振。川口には左前打を許したが、昨年の二冠王・ローズを142㌔の直球で空振り三振に仕留めた。その後もMAX146㌔の速球と変化球がさえ渡る。許した走者は初回の川口と、三回に死球を与えた武藤だけ。さらに、3ボールを数えたのもわずか1度。ストライクを先行させ、打者心理を巧みに揺さぶった。「ストレートが力強く、チェンジアップも直球も低めに集めることができた。シーズン前最後の登板で、納得のいく結果を出せて良かった」と、ハンセルは自画自賛の投球内容に胸を張った。
2001年
「ボールに何かをつけている」普段は温厚な巨人軍・長嶋監督から、思わず不正投球疑惑が飛び出すほどのチェンジアップとカーブのキレ。8月17日の巨人戦、150キロの重いストレートとのコンビネーションで、7回まで巨人の超重量打線を完封に斬ってとった助っ人右腕は、この日以降も尻上がりに調子を上げ、後半戦は抜群の安定感。オープン戦から開幕当初にかけて、あれほど苦しんだノーコン病もどこへやら。前半戦とはまるで別人の働きで、20試合に登板して7勝8敗。川尻に続いて、葛西と並ぶ虎投第二位の勝ち星をマークした。
2002年
来日2年目の昨季は開幕から1軍スタートし、成績は27試合に登板して5勝13敗。一見、勝ち星が物足りないように見えるが、リーグ第九位の防御率3.49が示すように安定感は抜群。打線の援護に恵まれない不運な試合が多い中、シーズンを通してローテーションを守りぬいた。内容的にも持ち味の150㌔の剛球とチェンジアップに加え、日本で覚えたシュートを効果的に使うなど、1年目より着実に進歩。「自分の勝利よりも、チームが勝つことの方が最高だ」という言葉通り優良助っ人ぶりで首脳陣はもちろん虎党にもアピールした。
196㌢の長身から繰り出される155キロの速球は威力抜群。メジャーでは通算4勝と勝ち星こそ少ないが、ピンチの場面の中継ぎとして106試合に登板。強打者を力でねじ伏せてきた。阪神ではもちろん先発にチャレンジ。セの強打者と真っ向勝負だ。
2月19日の紅白戦では、MAX146㌔を計示した。「まだまだ速くなる。球持ちが長いから、打者は打ちにくい」と評価はアップしている。メジャーでは抑えの実績もあるが、先発候補。196㌢の長身から威圧感のある球を投げる。
閉じかけていた扉を実力でこじ開け、夢をつないだ。オープン戦五度目の登板となったハンセルが、4回1安打、無失点の満点投球。制球難に苦しんだオープン戦とはまったく別人、主戦投手の風格さえ感じさせた。ミラーのストッパー起用が決定し、残り1席になった開幕一軍枠。ラミレズで決まりかけていた野村監督の最終ジャッジに自らの手で待ったを掛けた。ただの最終登板ではないことを、ハンセルは熟知していた。「同じピッチャーとして、ミラーやラミレズが結果を出すのはうれしいがことだ。でも、他人を気にしても仕方がない。自分の結果を重視した」と振り返ったように、制球難のレッテルをはがし、野村監督の視線を自らに向けさせる好投だった。初回からエンジンをフル回転。先頭の武藤をチェンジアップ、続く大村は、自慢のシンカーで空振り三振。川口には左前打を許したが、昨年の二冠王・ローズを142㌔の直球で空振り三振に仕留めた。その後もMAX146㌔の速球と変化球がさえ渡る。許した走者は初回の川口と、三回に死球を与えた武藤だけ。さらに、3ボールを数えたのもわずか1度。ストライクを先行させ、打者心理を巧みに揺さぶった。「ストレートが力強く、チェンジアップも直球も低めに集めることができた。シーズン前最後の登板で、納得のいく結果を出せて良かった」と、ハンセルは自画自賛の投球内容に胸を張った。
2001年
「ボールに何かをつけている」普段は温厚な巨人軍・長嶋監督から、思わず不正投球疑惑が飛び出すほどのチェンジアップとカーブのキレ。8月17日の巨人戦、150キロの重いストレートとのコンビネーションで、7回まで巨人の超重量打線を完封に斬ってとった助っ人右腕は、この日以降も尻上がりに調子を上げ、後半戦は抜群の安定感。オープン戦から開幕当初にかけて、あれほど苦しんだノーコン病もどこへやら。前半戦とはまるで別人の働きで、20試合に登板して7勝8敗。川尻に続いて、葛西と並ぶ虎投第二位の勝ち星をマークした。
2002年
来日2年目の昨季は開幕から1軍スタートし、成績は27試合に登板して5勝13敗。一見、勝ち星が物足りないように見えるが、リーグ第九位の防御率3.49が示すように安定感は抜群。打線の援護に恵まれない不運な試合が多い中、シーズンを通してローテーションを守りぬいた。内容的にも持ち味の150㌔の剛球とチェンジアップに加え、日本で覚えたシュートを効果的に使うなど、1年目より着実に進歩。「自分の勝利よりも、チームが勝つことの方が最高だ」という言葉通り優良助っ人ぶりで首脳陣はもちろん虎党にもアピールした。