プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石床幹雄

2016-12-04 09:40:49 | 日記
1966年

六月二十四日、神宮、札幌、川崎と九連戦の長い遠征に出る前のこと。杉下監督が渡辺コーチと梅本ピッチング・コーチを呼んだ。「石床は巨人相手に投げられるかいな」二人のコーチは「さあ」と首をかしげてニガ笑い。「それじゃ産経相手に打者一巡くらいならいけるかな」両コーチの答えは、こんどはやけに自信たっぷりだった。「それは絶対だいじょうぶです。太鼓判を押してもいいですよ」この言葉で石床の遠征行きが決まった。お目当ての産経戦、そのあとの巨人戦といっこうに声がかからなかったが、やっとこの日5-2とリードされた四回裏、杉下監督から「石床いけ」のうれしい声がとんだ。「いわれたときは心臓がドキンとしましたが、マウンドにあがってみると、別になんとも感じませんでした。外角へのシュートとスライダーがようキレていましたし、球がうまく低めに決まっていました」辻佳は「ミットをかまえたところへ、まず間違いなくきた」といい、大谷主審も「初登板というのにマウンドでも全然あがったところがなく、落ちついたプレートさばきだった」と度胸のよさをほめれば、杉下監督も「これで使えるメドがたった」とベタぼめ。選択リストのトップにあげられながらなかなか試合に出られず、石床を推薦した佐川スカウトをはじめ首脳陣はやきもきの毎日だったが、当の本人はいっこうに平気。「あせったってしょうがないことですよ。高校でよかったからといってすぐ通用するとは思ってもみません」とサラリとしていた。「登板の夢がかなえられたので、こんどは先発することです。そのつぎ?さあ、やはり一つ勝つことです」表情は明るい。が、ただ一人ネット裏で見ていた小柴スコアラーはしきりに首をひねっていた。「ほとんどの球が変化しているが、自分で細工した以上に変化している。これは握りが正常でないからだ。いいか悪いかはなんともいえないがやはりどこかムリがあるはずだ。長つづきするかどうか心配」ストレートと思って投げた球が変化することー石床が入団してから初めてピッチングを見た渡辺コーチも「危険だ」といっていたことがあった。それがプラスかマイナスか。これからの石床が証明することだろう。

公式戦初登板でありながら石床が好投したのは
①フォームができあがっていたこと
②2点差で負けていた気楽さ、この二つに原因があったようだ。
フォームができあがっているため、モーションがスムーズで、球のはなれもつねに一定していた。コントロールが実によく、ほとんどの球が両サイドいっぱいにきまっていたのはこのためだといっていい。スピードはそれほどあるわけでないが、アウトサイドにくる球がスライドしてコーナーをかすめ、インサイドにいく球はブレーキ鋭くシュートして落ちていた。大洋の打者はこのシュートに完封されてしまった。石床の持っている球のうち、このシュートがもっとも威力があり球威も十分だった。まだからだはできあがっていないが、将来性は十分ある。バック・スイングが少し小さいが、これもこれから勉強すれば、フォームがすなおだけに、いくらでもよくなるだろう。もちろん、スピードもこれからの努力次第でもっと出るはずだ。素質もあり、コントロールがあるのだから、これから阪神がチャンスをみてどんどん使っていくなら、必ず堀内、森安につぐすばらしい新人投手ができあがることだろう。 別当薫
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半沢士郎

2016-12-04 09:12:11 | 日記
1964年

「ホー、半沢さん、たいしたもんですね。ビールもあるし、コーラもある」山積みの賞品を前にナインからひやかされ、半沢は赤くなったままピョコピョコ頭をさげた。「おかげさんで・・・」あとは口の中でモゴモゴいうだけ。国鉄入りしてから身長が3㌢のびて1㍍84。金田、平岩と並んでチーム一の大男だが、赤くなってテレているところは大きな坊や。とても首位大洋を完封した投手にはみえない。「先発はけさいわれました。大洋?とくになにも感じませんでしたね。前半はカーブ、後半はシュート。ペースを考えて速球も六、七分ぐらいの力で投げたかな」半沢にはおかしなくせがある。はりきって力いっぱい投げると、球が打ちごろのコースにはいってしまうのだ。「力をぬいた方がおさえがきいていいんです」大洋のバッターがきいたら目をむいておこりそうなセリフをケロリといった。「完封勝利?はじめは五回までもてば十分だと思っていたが五回終わって三安打でしょう。あとは成り行きです」とニヤニヤ笑う。かたわらのを根来が「とにかく顔つきに似合わぬいい度胸をしている。それに自分で考えながら投げるなどプロ一年生とは思えないセンスがある。頭がいいんですな」とほめあげた。「早くシャツをかえろ。肩が冷えるぞ」林田マネは半沢につきっきりだ。国鉄のプリンスの肩書は徳武から半沢にかわったようだ。四回高橋重から中前へタイムリーしたのはプロ入り初安打。「直球でした」高校時代(鎌倉学園)では六番打者で打率二割六分だったそうだ。二度目の完封より初安打の方がうれしいらしく「高校時代は中ぐらいの打者だった」と何度もくりかえした。「八尾さんという方が面会です」という声に半沢はとびあがった。「同級生なんです。野球部ではマネジャーをしていたんだ」というと、おどるような足どりでロッカーをとび出した。「よくきたな。オレの初安打みてくれた?」顔を赤らめ、こういうとすぐつづけていった。「鎌倉学園ことしはどう?」そこにはもうプロ選手半沢のずぶとい姿はなく、まだ学生気分のぬけない十九歳の少年のみずみずしさだけがあった。
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三浦清弘

2016-12-04 08:51:02 | 日記
1966年

それほどスピードがあるわけでもないが、ていねいにていねいに、と攻めるのが三浦のささえになっている。その軸が他の投手ならカウントかせぎに使うスライダー。これが東映にやっかいなきめ球になっている。「去年ほどシュートがズバリときまる威力がない」(三浦)のがスライダーを多投する理由のようだ。それも「ほとんどの投手が投げるのとは段違いに曲がり方が大きい」と別当薫氏はみた。「これでは右バッターなら右翼へ流すのがうまくないととても打てない」という。三浦は二回、坂崎、種茂、佐野、西園寺から四本の長短打で2点をとられた。「リキんだうえに、堅くなっていた。どんな球を投げたのかわからない」痛打を浴びた球の種類には首をふっていたが、四人の東映打者は「カーブ」「オレのはシュートだ」といいスライダーはだれの口からも出てこなかった。東映は、三浦をKO寸前まで追い込みながらきめ球を打ち込めなかったために、立ち直られてしまった。「バックがいっぺんに5点もとってくれたからずいぶん楽になった。それでも調子は悪かったね。まっすぐははずれすり、野村さんがうまくリードしてくれたからよかっただけです。後半スピードをかえたスライダーをまじえたのがよかったかな」カーブとかわらないほど大きくすべるスライダーに東映は打つ手がなかったのだろうか。この疑問は宮沢スコアラーが解いている。「同じスライダーでも、この夜の三浦は違った。いまでは低めばかり攻めていたのに、ガラッと切り替えて高めばかりに持ってきた。ちょうど手が出そうなところへ持ってきて打たせていた」パイを握っても、大きく降り込むポカはないという三浦の読みが、東映を上回っていたのだろう。「毒島、張本の三、四番の前で途切らせるように、ずいぶん気をつかった。二人は当っているだろう。だから走者をおかないように、毒島の前で断ち切ったのがよかったんやな」この二つの読みが成功したのに、三浦はまだ先の計算をしているのか「東映さんがとくにスライダーに弱いわけではない」といった。右手の指はふつうサイズ。10勝目をかせいだ大きいスライダーの秘密はどこに隠されているのだろうか。
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大熊伸行

2016-12-04 08:37:10 | 日記
1964年

一番あとからバスに乗り込んだ大熊を迎えたのは、ナインのあたたかい拍手だった。最前列に腰をおろした川上監督の顔は酔ったかのように赤い。その前をすり抜けるように大きなからだを二つに折って補助イスにすわる大熊のほおも真っ赤だ。四時間前、同じバスの中には重苦しい空気がはりつめていた。25イニング無得点のそのムードを拭きとばすように、川上監督だけが冗談をいっていた。ベンチの中でも二度ほどジャンプして「こう負けがこむと血圧をさげにゃいかん」と演技したりした。大熊が先発を知ったのは宿舎の美そ乃を出発する一時間前だ。「ぼくはてっきり藤田さんが先発するのとばかり思っていた。バスが出るまで週刊誌を拾い読みしたのだが、いくら読んでも活字が頭にはいってこなかった」三年前に2イニングだけ中日戦に出たことがある。そしてあっさり3点とられた。ローテーションにはいった今シーズンはまだ中日戦に一球も投げていない。しかも対国鉄十回戦(四月二十六日・東京)でプロ入り初勝利をマークしてからこの日まで約一ケ月もマウンドから遠ざかっている。試合前やたらとコーラを飲み、タバコをふかした。色白のハダが緊張で青白くなり、両軍バッテリーの場内アナウンスがベンチに流れてきたとき、そのヒザは小きざみにふるえた。「きょうほど緊張したのははじめてです。チームが4連敗しているという大事なときにどうしてぼくのところにオハチがまわってきたのかと思うと、うらめしいやらうれしいやらで、とうとうコーラを三本も飲んでしまった。でも三回までもてばいいんだとハラをすえてからやっと落ちついた」しかし中尾コーチは「大熊の先発は苦しまぎれのバクチではない」といい切った。「けさきめたのは監督だが、これくらいのピッチングするのはだいたいわかっていた。ランナーを出さなければ少なくとも五回はいけると思っていた。この完投はチーム全体からみてもとても大きい」という。外野でランニングしているとき藤田は大熊と肩を並べて走りながらこまかくアドバイスしている。中日打線のウイークポイントをこのとき大熊はしっかりと頭にきざみつけた。「だから立ち上がりからビュンビュンとばした。カーブは六回のマーシャルと七回の伊藤(ともに二ゴロ)に一球ずる投げただけ。ストレートとスライダーだけでとにかく向かっていくピッチングをやるように心がけた。ランナーが出るとまだダメだけど、この初完投の体験をこれからのピッチングに生かしたい」大熊のプロ入り初完投を助けたのは藤田のアドバイスだけではなかった。前日の八回戦で二安打に沈黙したはずの打線のすさまじいつるべ打ちだ。「広島でウチは大羽のあとを森川にやられた。ヒョッとしたらきょうは千原だとにらんでいたが、そのとおりだった。そういつまでもやられるほどウチの左打線はバカじゃないよ」と長島はいった。バスが走り出すと、大熊はまたコーラを一本、こんどはうまそうに飲んだ。
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