1961年
ようやく大器の片リンを見せはじめた・・・というのが実感である。徳久のスタートは不運であった。近鉄の開幕第二戦、小倉で行われた西鉄戦。8対6とリードしていた四回二死から徳久は火消し役として登場した。千葉監督はここで西鉄の強打線を抑えると自信がつくだろうし、徳久なら何とか押えきるのではないかという望みを持っていたのだろう。それに近鉄の投手陣には力のある投手がいない。ミケンズの来日がおくれていたので、この急場を切り抜けるのは徳久以外にはなかった。だが、あっさり田中久に三点本塁打され負け投手となってしまった。当時の西鉄は当たりに当たっていたし、徳久はこの打線を何とか押えようと力んで投げたがやはり無理だった。経験と力の差である。新人投手の第一戦はどの監督も慎重になるものだ。何とかして勝たせ自身をつけさすためである。近鉄の場合はこのような余裕もなかった。弱小球団の投手がおわされる宿命だが、徳久の場合も例外ではなかった。その後もよく使われたが、勝ち星が出ない。五月二十日の対南海五回戦まで六連敗を記録、ちょっとくさり気味だった。「自分が投げる時は不思議にバックが打ってくれない。こんなことはプロ一年生がいえないのだが・・・」とこぼしたことを聞いている。しかし惜しい試合を逃がしたこともあった。四月三十日の対阪急五回戦。七回まで三安打に押えて2対1と優勢に試合を進めていたが、急に左足の筋肉痛を起こし降板しなければならなかった。この日は投げおろす速球をコーナーに散らし、スライダー、シュートの切れも素晴らしかっただけにこれも不運といえよう。徳久が待望の初勝利をあげたのはさる四日対阪急十一回戦である。2対4と負けていた六回から江崎をたすけて力投、九回に1点を失ったが、6対5と一点差を守り切った。千葉監督も「新人投手はなんかのきっかけが必要なのだ。この一勝はきっと彼を立直らせる」とよろこび、キャンプ中からつき切りで指導していた大友コーチも「負けていた時に救援して逆転、わずかの差を守り通したのだから立派だ。自分の力でつかみ取っただけに貫禄がある」と表情をほころばした。事実、十日の対大毎十回戦と二十三日の対阪急十三回戦にそれぞれ勝ち投手となった。今月にはいってからの近鉄は四勝十五敗、このうち三勝までが徳久のあげたものである。身長1㍍80、75㌔と恵まれた体から投げおろす本格派。大型投手には珍しくフォームも柔軟だし、腰もバネも良い。まだまだ伸びる素質のある投手である。欠点はふみ込む足がやや突っぱり、体重が完全に乗り切らないし、肩や腕に力がはいることだ。また捕手にも責任はあるが打者とのかけひきのまずさである。今後の課題であろう。二十六日現在の成績は二十一試合に登板、うち完投一、先発四、救援十六で三勝八敗、被安打六十四、三振五十三、四球二十一、被本塁打十、投球回六十、自責点二十五、防御率三・七五である。防御率三・七五はちょっと気になるが、十勝ラインを越えるだけの力を持っている。高知商から今年近鉄入り、大阪で母親とアパート暮らし、十八歳。
徳久投手の話 どうにかプロ野球の世界にもなじんで来た。これまで足の故障などで苦しんだが、最近は体の調子もいい。勝ってくれると自信もつき思いきって投げられるようになった。これからは変化球の研究が第一だ。例えばスライダーにしてもスピードと切れ、さらに他の変化球との配合など研究することはいくらでもある。これからですよ。
阪急衆樹選手の話 彼は体が柔軟だ。これは野球選手、特に投手にとって大切な要素である。球も非常に速く、低目の変化球は威力がある。しかし何といっても若い。投球が単調で、ムキになって投げて来る。もっとタイミングをはずさなければいけない。これから真価を発揮してくると思うが、素質は高く買える。
ようやく大器の片リンを見せはじめた・・・というのが実感である。徳久のスタートは不運であった。近鉄の開幕第二戦、小倉で行われた西鉄戦。8対6とリードしていた四回二死から徳久は火消し役として登場した。千葉監督はここで西鉄の強打線を抑えると自信がつくだろうし、徳久なら何とか押えきるのではないかという望みを持っていたのだろう。それに近鉄の投手陣には力のある投手がいない。ミケンズの来日がおくれていたので、この急場を切り抜けるのは徳久以外にはなかった。だが、あっさり田中久に三点本塁打され負け投手となってしまった。当時の西鉄は当たりに当たっていたし、徳久はこの打線を何とか押えようと力んで投げたがやはり無理だった。経験と力の差である。新人投手の第一戦はどの監督も慎重になるものだ。何とかして勝たせ自身をつけさすためである。近鉄の場合はこのような余裕もなかった。弱小球団の投手がおわされる宿命だが、徳久の場合も例外ではなかった。その後もよく使われたが、勝ち星が出ない。五月二十日の対南海五回戦まで六連敗を記録、ちょっとくさり気味だった。「自分が投げる時は不思議にバックが打ってくれない。こんなことはプロ一年生がいえないのだが・・・」とこぼしたことを聞いている。しかし惜しい試合を逃がしたこともあった。四月三十日の対阪急五回戦。七回まで三安打に押えて2対1と優勢に試合を進めていたが、急に左足の筋肉痛を起こし降板しなければならなかった。この日は投げおろす速球をコーナーに散らし、スライダー、シュートの切れも素晴らしかっただけにこれも不運といえよう。徳久が待望の初勝利をあげたのはさる四日対阪急十一回戦である。2対4と負けていた六回から江崎をたすけて力投、九回に1点を失ったが、6対5と一点差を守り切った。千葉監督も「新人投手はなんかのきっかけが必要なのだ。この一勝はきっと彼を立直らせる」とよろこび、キャンプ中からつき切りで指導していた大友コーチも「負けていた時に救援して逆転、わずかの差を守り通したのだから立派だ。自分の力でつかみ取っただけに貫禄がある」と表情をほころばした。事実、十日の対大毎十回戦と二十三日の対阪急十三回戦にそれぞれ勝ち投手となった。今月にはいってからの近鉄は四勝十五敗、このうち三勝までが徳久のあげたものである。身長1㍍80、75㌔と恵まれた体から投げおろす本格派。大型投手には珍しくフォームも柔軟だし、腰もバネも良い。まだまだ伸びる素質のある投手である。欠点はふみ込む足がやや突っぱり、体重が完全に乗り切らないし、肩や腕に力がはいることだ。また捕手にも責任はあるが打者とのかけひきのまずさである。今後の課題であろう。二十六日現在の成績は二十一試合に登板、うち完投一、先発四、救援十六で三勝八敗、被安打六十四、三振五十三、四球二十一、被本塁打十、投球回六十、自責点二十五、防御率三・七五である。防御率三・七五はちょっと気になるが、十勝ラインを越えるだけの力を持っている。高知商から今年近鉄入り、大阪で母親とアパート暮らし、十八歳。
徳久投手の話 どうにかプロ野球の世界にもなじんで来た。これまで足の故障などで苦しんだが、最近は体の調子もいい。勝ってくれると自信もつき思いきって投げられるようになった。これからは変化球の研究が第一だ。例えばスライダーにしてもスピードと切れ、さらに他の変化球との配合など研究することはいくらでもある。これからですよ。
阪急衆樹選手の話 彼は体が柔軟だ。これは野球選手、特に投手にとって大切な要素である。球も非常に速く、低目の変化球は威力がある。しかし何といっても若い。投球が単調で、ムキになって投げて来る。もっとタイミングをはずさなければいけない。これから真価を発揮してくると思うが、素質は高く買える。