プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

加藤太郎 勝利日

2018-02-11 20:42:50 | 日記
1954年4月11日 高橋戦
1954年7月29日 阪急戦
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石原照夫

2018-02-11 17:23:36 | 日記
1955年

ノン・プロ球界の老舗藤倉電線にあって、好守強肩巧打をほしいままにした石原照夫(23)内野手=成田高ー立大卒、五尺五寸、十八貫五百=は四日午後五時都内某所で東映フライヤーズ関係者と面接要談した、この結果石原選手のプロ球界への転身は決定的とみられ、東映入団は濃厚となった。なおこの日、東映側からは石原代表、米川投手、名村氏、石原選手側は仲に立ってプロ入りを斡旋した某立大OBが立合った、石原選手は二塁手、三塁手、遊撃手、ときにはプレートにも立つ器用な選手で、ことに小柄ながらそのし太い打棒は定評があり今年になってからも第一回アジア選手権(一月マニラ)ミルウォーキーの世界選手権大会にもピック・アップされた好プレイヤーである。今シーズン補強に異常な熱意をみせた東映は従来アナと目された三遊間を埋めるのに懸命だったがその線からノン・プロ球界の逸材を物色、その線上に浮び上がったのが藤倉の石原選手だったわけだ、東映では石原代表はじめ熱心にプロ入りを勧誘、その熱意にほだされたか、中に入った某先輩の熱心な口添えもあってプロ入りの心境となった模様である。

東映石原代表談 石原君をじっとみてきたが彼ならプロでも使えると思ったし、たまたま十一月の神宮の六大学新人リーグのとき石原君の先輩某氏にあって、いろいろとご盛力をお願いしたわけだ、まだ東映に入るとはきまっていないが、アナといわれた三遊間はもし彼が来てくれたなら、十分埋められると信じている、是非欲しい選手だ。
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河西宏和

2018-02-11 17:02:13 | 日記
1953年

東都の古豪チーム、河西投手の安定した投手力と上位打線の充実、持前の試合巧者ぶりを相変わらず武器としている。河西は一見平凡にみえる投手だが、ドロップとカーブに妙味があり、制球力も良いのでなかなか安定した力を持っている。攻撃では左で豪快な榎本を中心に丸山、関口、堀内などの健棒があり、上位打線は充実している。
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稲尾和久・三竿徹・片山敏彰

2018-02-11 16:49:35 | 日記
1955年

西鉄ライオンズの西代表は十九日同社東京事務所で別府市緑ヶ丘高の稲尾和久投手(18)とこのほど正式入団契約を完了したと発表した。また西鉄ではこのほか倉敷市倉敷工高三竿徹投手(17)、同片山敏彰遊撃手(17)の入団内諾を得ており両選手は同校の試合日程が終了次第正式契約を行う見込。

稲尾投手は五尺九寸、十九貫五百、長身に恵まれ右腕のオーバーハンドから投ずる速球は県下随一の定評があり、昨年からプロの誘いがかかるなど将来を期待されていたが、先輩河村投手をしたって西鉄入りしたもの。

三竿投手はことし巨人軍で活躍した安原投手のあとをついだ倉工のエース、五尺八寸、十八貫五百、左腕から投ずる豪速球とドロップに威力がある、打者としても素質がありことしは四割台の打率をあげチームの原動力となっていた。

片山選手は五尺六寸、十六貫、体力的にはさほどでないが強肩好守とくに守備範囲が広いので県下高校球界の内野手では高く評価されている。
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高橋正勝

2018-02-11 16:39:44 | 日記
1955年

夏の全国大会国体高校野球の優勝投手としてその去就が注目されていた四日市高校の高橋正勝選手(18)はこの程巨人入りを決意、二十四日東京で両チームと正式契約することになった。同選手は今夏のハワイ遠征にも投手として活躍早くも巨人軍をはじめ中日、南海近鉄などプロ球団の勧誘を受けていたもので五尺八寸、十八貫三百左投、左打、外角低目をつくシュートと切れのよいドロップに定評がある。

実父浜一氏談 今度のプロ入りについてはあくまでも本人の意志を尊重して巨人入りを決めたもので私も前々から巨人ファンだったのでさる十五日湯の山の文月で佐々木読売運動部長と会い、話を決めました、正式契約は二十三日本人とともに上京して行います。
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山本八郎

2018-02-11 13:08:46 | 日記
1955年

夏の大会に出場、ハワイ遠征チームの一員にも選ばれた浪華商高山本八郎捕手(17)は十四日夜八時半東京駅着の特急はとで東映フライヤーズと契約のため上京した東京駅頭には石原代表はじめ球団関係者、保井監督、小倉コーチ、米川投手などが出迎えた、山本選手は母堂はるえ、長兄敏通、次兄武、従兄弟中原照雄、後見人吉川の各氏と今西投手につきそわれて東京駅に降り立ったが同選手は次のように語った。南海の山本監督にも会ってうちに来ないかといわれたこともありました。しかし今西さん、米川さんの先輩のいる東映フライヤーズを選びました、中島先生(浪商監督)も先輩後輩は大切だからといって別に反対もしませんでした、強いチームに入って優勝するより弱いといわれる球団で技術をみがき立派なプレイヤーになりたいと思います、東映のために頑張ります。

石原東映代表談 ともかく契約をすることになってこんな嬉しいことはない、山本はプロに入ってもすぐ使えると思うし、この期待に背かないと信じている、契約は十五日午前十時半から東映本社で行う。
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橋本政雄

2018-02-11 12:50:25 | 日記
1954年

水戸一高

(北関東)好投手阿久津を擁する優勝候補の宇都宮工を破っての三回目の甲子園出場。予選ではシリ上がりに調子を出してきたので甲子園ではダークホースとしての活躍が注目される。チームの特長は投手力のよいことと好機に放つ長打力である。橋本投手(右腕、五尺七寸五分、二重貫)は鋭いドロップを主武器とし球質も重く、連投に耐えられるのが強み。

橋本投手はドロップがきめ球、これは両大会を通じて絶大の威力を発揮し、しばしばピンチを切り抜けて、対高崎商では五、対宇工でも五、決勝の対桐生高では十の三振をそれぞれ奪い、回を経るに従っていよいよ快調の投球を見せている。好打をもって鳴る宇都宮工、桐生高、土浦一高などに対しても二点以上を許したことはない。
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1953年 毎日オリオンズ 戦力外

2018-02-11 11:40:39 | 日記
1953年

毎日オリオンズは再建の一方策として経営の合理化を実施するが、その主たるものは既存選手の整理である。その人選は既に終り十名と発表されたが、この顔ぶれは土井垣選手のほか上林繁次郎(捕手)古泉静彦(投手)長谷川善三(遊撃手)西脇光二(内野手)小笹恒夫(捕手)村田博秀(投手)山田利昭(外野手)萩原昭(内野手)相沢進(投手)の十選手のようである。このうち上林、西脇、小笹、古泉各選手はノンプロ入りするらしくA級十年選手の特権を持つ土井垣捕手は行動の自由があるので別として他の選手は移籍される模様である。
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榎本喜八・大村好

2018-02-11 11:34:37 | 日記
1954年

高校の新人十選手と契約した毎日オリオンズは七日次の二選手との契約を発表した。三塁手大村好(17)(名古屋西高)五・五五尺、二十二貫右投右打、一塁手榎本喜八(17)早実五・六尺、十七貫大村選手は四番打者で毎年三割台を打っている長打者、榎本選手は今夏でも活躍し巨人と毎日が狙っていたが先輩荒川博選手のすすめで毎日に入ったものである。
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荒岡昭

2018-02-11 11:24:25 | 日記
1954年

荒岡なんていうピッチャーが西鉄にいたかなと首をかしげるファンも中にはあるかも知れない。河村と、西村、川崎、大津四投手の存在が大きいため、ともすいばかくれ勝ちの荒岡だが、石本コーチのリードをうけるようになってからメキメキ腕をあげるようになった。まだまだ一本立ちの投手とはいい難いが、今後の指導と彼自身の努力遺憾ではもっと伸びてよい若手ピッチャーである。西鉄ではまだ新人扱いだが、プロ入りは大津と同年、二十五年に大映へ入った。藤本監督も当初は目をかけていたが、伸びが思わしくないと思ってか、入団三年目の昨二十八年に西鉄から誘いがかかるとトレードしてしまった。五尺七寸、決して大柄な選手ではない。むしろ五尺八寸という今日の投手資格の基準から考えると、荒岡は体格において恵まれない投手といえるだろう。ところでこの投手、今シーズンは十四試合に登板した。チームの140試合に対してはごくわずかであり、目立たぬ存在であったが、三原監督にしてみれば、この荒岡にも次代の西鉄投手団を背負って立つ責任を課しているようだ。二十二才、まだ若いし、荒削りな投法は伸びる余地を有している。埋もれた器に、磨きがかかって芽生えていってよい時機だし、そうあってほしい選手の一人であろう。
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巽一

2018-02-11 10:25:36 | 日記
1961年

首位をいく国鉄は一、二日の対阪神三連戦にも阪神を三タテ、依然首位の座を堅持しているが、投打のバランスがうまくとれているのが好調の因。なかでも巽、森滝などの二線級投手がしっかりしているのは大きな強味。その一人の巽が二日の対阪神12回戦で今季初完封で3勝目を飾った。しかも七回二死までノーヒット・ノーランという好投、結局このあと2安打を許し、ノーヒット・ノーランは逸したが、阪神を散発2安打、二塁を踏ませた者一人もなしという好投をみせた。巽が慶大から国鉄に入ったのは三十四年、金田につぐ左腕投手としてその活躍が期待されたが、さすが神宮のエースもプロではまだまだ力不足を暴露、34試合に登板3勝8敗、防御率4.78という成績で一年目を終わった。とくにコントロールのないのが致命傷となった。それだけに昨季の巽はコントロールをつけることに懸命となったが、その努力が実を結び、六月十九日の対広島8回戦には広島を被安打2、奪三振11に押え、プロ入り初のシャットアウトをマーク、りっぱに一本立ちを証明したのである。そしてオールスター戦にも初出場、好投し、日米野球でも好投をみせた。昨季の成績は56試合に登板、完投3、シャットアウト勝ち2、8勝13敗、190イニング投げて自責点80、防御率3.82。今シーズンはスピードも一段と増しカーブ、シュートのコントロールがぐんとよくなった。現在まで18試合に登板、3勝1敗、63回1/3投げて自責点17、防御率2.39。「夏には強い」というから、これから大いに勝星を増していくことだろう。
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田辺義三

2018-02-11 10:12:10 | 日記
1955年

高校野球界でベスト・ナインの一人に数えられている桐生高校田辺義三捕手(19)はこのほど西鉄ライオンズに正式に入団することになった。同選手は五尺八寸、十八貫五百の大型捕手。今夏の甲子園大会では打率五割、ハワイ遠征中も四割以上の打率を上げている強打者で浪華商高の山本捕手とともに高校球界の双璧といわれていた。なおプロ球団では西鉄をはじめ中日、大映、東映、大洋などの各球団が猛烈な引合いを演じていたもので、西鉄ではすでにコミッショナーの認証を得ているといっている。

西西鉄ライオンズ社長談 田辺選手は二年前から目をつけていた選手で本人も西鉄入りを強く希望していた。親権者、本人ともすでに契約も済んでいます。
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杉尾富美雄

2018-02-11 09:39:51 | 日記
1959年

日鉄北松

チーム結成後六年目にやっと念願を達成しての初出場。同系の日鉄二瀬から迎えられた衛藤監督の三ヶ月にわたるスパルタ式猛訓練が実を結んだもの。優勝の原動力となった杉尾、大庭両投手はともに速球を武器とした正統派で南九州大会では杉尾が15回、大庭が9回投げ、いずれも自責点0の好投を示した。従来荒らいピッチングをみせていた元オリオンズの杉尾はコントロールを身につけてすっかり安定し、シュートとフォークボールに著しい進境をみせている。
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金田義倫

2018-02-11 09:01:45 | 日記
1962年

南海野村捕手の出身校のネームバリューを持ち、選手たちも先頭につづけと、張り切っているが、どうしたことか西京極球場では、じゅうぶんな力が出しきれず毎年敗退している。守備では金田投手が長身本格派で健在、昨年につづきふたたび出場、制球力はぐんと増したが、タマの伸びにまだ一歩というところ。しかし安定感があるから、三点以内で押える。

1963年

エース金田は181㌢の長身から投げおろす速球が武器。カーブのキレもよくなったから連打をくらうことはまず考えられない。寺田捕手の肩もよく、このバッテリーは郡部でもナンバーワン。バックスの動きもソツないが、せり合った時にボロをだすのが心もとない。これまでの対戦成績をみても勝てるゲームを失策で失ったのが多い。昨夏の大会に準優勝の栄冠を得てからチーム全員に自信がついてきたようだ。とくに大黒柱金田のピッチングにいちじるしい進境がみられるので楽しみだ。
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東田巍

2018-02-11 08:49:40 | 日記
1960年

近鉄バファローは二十一日東田巍(ひがしだ・たかし)捕手(21)の入団を発表した。同選手は京都花園高ー立命大中退。1㍍76、78㌔、右投げ右打ち。今春関西六大学リーグ終了後立命大野球部を退部、プロ入りに踏み切ったもの。背番号7。同選手は三十二年秋からことしの春までの関西六大学野球リーグ戦に六シーズン第一線捕手として活躍、三十三年秋には打率・389で首位打者になっている。ことし春の打率は・235だが二塁打3、三塁打1を打っている。六シーズンの平均打率は・228。守備力よりその打力が買われたもの。また闘志にあふれるプレーで、千葉監督はその闘志にほれこんだようだ。捕手のほか投手と外野手もやったことがある。阪神、大洋、東映からも話があっていた。
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