1955年
ノン・プロ球界の老舗藤倉電線にあって、好守強肩巧打をほしいままにした石原照夫(23)内野手=成田高ー立大卒、五尺五寸、十八貫五百=は四日午後五時都内某所で東映フライヤーズ関係者と面接要談した、この結果石原選手のプロ球界への転身は決定的とみられ、東映入団は濃厚となった。なおこの日、東映側からは石原代表、米川投手、名村氏、石原選手側は仲に立ってプロ入りを斡旋した某立大OBが立合った、石原選手は二塁手、三塁手、遊撃手、ときにはプレートにも立つ器用な選手で、ことに小柄ながらそのし太い打棒は定評があり今年になってからも第一回アジア選手権(一月マニラ)ミルウォーキーの世界選手権大会にもピック・アップされた好プレイヤーである。今シーズン補強に異常な熱意をみせた東映は従来アナと目された三遊間を埋めるのに懸命だったがその線からノン・プロ球界の逸材を物色、その線上に浮び上がったのが藤倉の石原選手だったわけだ、東映では石原代表はじめ熱心にプロ入りを勧誘、その熱意にほだされたか、中に入った某先輩の熱心な口添えもあってプロ入りの心境となった模様である。
東映石原代表談 石原君をじっとみてきたが彼ならプロでも使えると思ったし、たまたま十一月の神宮の六大学新人リーグのとき石原君の先輩某氏にあって、いろいろとご盛力をお願いしたわけだ、まだ東映に入るとはきまっていないが、アナといわれた三遊間はもし彼が来てくれたなら、十分埋められると信じている、是非欲しい選手だ。