1982年
今大会最高の五万八千人という大観衆の見守る中で坂出商打線を6安打に抑え完封勝ち。「今日は球が走らず高めにいき調子はよくなかった。守りが堅いので打たせてとるピッチングを心掛けました。向こうの打者が高めの球を強振してくれた。四回のピンチ(二死満塁)を切り抜け完封出来るんじゃないかと思った」という。五月に四国で遠征試合をやり、高松商に9-2で快勝した。「あのときに坂出商はあまり打てないと聞いていたので怖くなかった」最初から四国勢をのんでマウンドへ。宮崎・姫城中一年で投手として投げ始めており、度胸も経験も満点だ。初戦の新潟工戦の終盤で右手親指のマメを破り、その影響が心配されたが、ナインの気づかいをふっとばした。上手から投げる本格派。伸びのある速球に、力を抜いたカーブが効果的。自分でも「コントロールは自信がある」というように、無四球で勝ちゲームに自ら花を添えた。「大観衆は気にならない。後半からカーブがよく曲がったが、中盤ちょっと乱れたので80点の出来かな」と厳しい自己採点。182㌢、78㌔、右投げ、右打ち。