1978年
あの菊村徳用投手(21)=178センチ、73キロ左投げ左打ち=が任意引退した。2日、パ・リーグから公示されたもの。疲労からくる極度のすい臓の衰弱が原因で、今季開幕ころから球団に申し入れしていたもの。現在、兵庫県尼崎市の自宅から兵庫県立病院に通院、治療に専念しているが、食欲がなく病状は思わしくない。栄枯盛衰は世の常とはいえ、素質のある投手だっただけに、いかにも惜しい。育英高在学中は江夏二世と野球ファンの注目を集めた選手。49年暮れのドラフト会議では、その前評判通り一位に指名された。同じ左腕と言うこともあって獲得交渉には、カネやんが直々に乗り出したものだった。が、そんな華やかなプロ入りだったが、っそれ以後はコントロールに大きな難点を持ち、ファーム暮らしに明け暮れていた。ロッテばかりでなく、球界にとっても素質のある貴重な左腕だったが、一度も一軍登録されないまま身を引かざる得なくなった。体力が回復し次第、ロッテ復帰の道は残されてはいるが完治するメドはまだ立っていない」(担当医)という。