プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

菊村徳用

2020-09-15 08:18:08 | 日記

1978年


あの菊村徳用投手(21)=178センチ、73キロ左投げ左打ち=が任意引退した。2日、パ・リーグから公示されたもの。疲労からくる極度のすい臓の衰弱が原因で、今季開幕ころから球団に申し入れしていたもの。現在、兵庫県尼崎市の自宅から兵庫県立病院に通院、治療に専念しているが、食欲がなく病状は思わしくない。栄枯盛衰は世の常とはいえ、素質のある投手だっただけに、いかにも惜しい。育英高在学中は江夏二世と野球ファンの注目を集めた選手。49年暮れのドラフト会議では、その前評判通り一位に指名された。同じ左腕と言うこともあって獲得交渉には、カネやんが直々に乗り出したものだった。が、そんな華やかなプロ入りだったが、っそれ以後はコントロールに大きな難点を持ち、ファーム暮らしに明け暮れていた。ロッテばかりでなく、球界にとっても素質のある貴重な左腕だったが、一度も一軍登録されないまま身を引かざる得なくなった。体力が回復し次第、ロッテ復帰の道は残されてはいるが完治するメドはまだ立っていない」(担当医)という。

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小川邦和

2020-09-15 08:01:43 | 日記

1973年


172㌢、65㌔「巨人で一番小さいですよ」と小川は笑った。が、そのみてくれと球威とでは大きな差がある。ホームプレートでグイとのびる速球が捕手のミットに快音を響かす。ただ速いだけ、というのはプロでは通用しない。肝心なのは打者の手元でいかにのびるかだ。尾道商ー早大ー日本鋼管。そして巨人がドラフトで7位に指名した一年生。39年春の選抜大会決勝でジャンボ尾崎が投げる徳島海南に3-2で敗れた。これまで彼の球史を飾るのはこれぐらいで、早大でも鋼管でもどちらかといえば日かげの生活。そんな小川が、堀内も高橋一も経験しなかった新入生の一軍キャンプ参加という大抜てき。いかに首脳陣が期待をかけているかがこれで知れよう、下手投げという変型も目を止められる原因だったろうが、何よりもいいのはピッチングにうまさがあることである。

 

藤田コーチの話 外角への制球力がいいのが強味。それにシュート、落ちる球もすばらしい。もちろん即戦力として期待している。みかけによらず気の強いところもあるのでともかく楽しみだ。

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