プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

マニュエル

2020-09-14 16:18:32 | 日記

1999年

 

大リーグでは通算96試合登板。7勝2敗、防御率3.87。昨年はダイヤモンドバックスの傘下の3Aで22試合登板して3勝2敗。どこまでやれるか未知数だが、中継ぎか、抑えで期待される。

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小川邦和

2020-09-14 14:16:54 | 日記

1974年

一回、トップ打者の守岡が首をひねりながらベンチに帰ってきた。「フォークボールか」とたずねるチームメートに「フォークにしてはスピードがありません」と答える守岡。いきなり先頭打者がわけのわからない球を空振りの三振しては、ナインが疑心暗鬼になるのはやむを得ない。フォークボールは、高めにくると、たまには左右に横滑りするが、低めなら決まってストンと落ちる。それが小川の球は低めでも落ちたり、左右に曲がったりするから、やがて広島の打者は「ナックルボール」と判断した。ネット裏でメモを取っていた東山捕手兼スコアラーによると「五回までは2球くらいだったが、六回以降は数えられないほど投げてきた」そうだ。前半、小川の投球数は60球で、許したヒットは散発の3本。彼は、ナックルボールという決め球を後半大事にしていたが、六回を過ぎると、そうしてはおれなくなった。小川の心理的な推移はこうである。「ぼっくの投手生活でスミ1(一回の1点だけを指す)は初めての経験。昔からよくいわれるようにスミ1は負けが頭にあっていやな気持だった。完封とか勝つとかいうより先に1点もやれなくなった…」しりに火がついて宝刀のバーゲンセール。ナックルボールの効用を小川に続けてもらおう。「全部で何球投げたかなあ?30球、いや20球ぐらいか。ぼくのピッチングは外角の直球、カーブ、スライダーが主体。当然広島の打者は、外角球にマトをしぼってくる。上体がホームプレートの方に出てきたときに、サッと内角へナックルボールを投げる。これを広島は面くらっていたようですね」三振をとるより、打者のタイミングをはずす球らしい。球種を増やすために覚えたナックルボール、実は巨人に入団した昨年から、外野でキャッチボールをするときにずっと投げ続けていたそうだ。二年がかりでやっと本番に。何から何まで用意周到な男である。

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クロフォード

2020-09-14 10:35:55 | 日記

1998年

 

クロフォードは練習中、笑顔を絶やさない。声をかければ、帽子を取ってだれにでもペコリ、と頭を下げる。人柄の良さはピカ一だ。昨年オフの新外国人探し。ロッテは昨年、いろいろと問題を起こしたキャリオンに対しての反省もあり、実績はもちろんだが、それ以上に「やる気のある性格のいい選手」を重要視した。そして、獲得が決まったのが左腕・クロフォードだった。昨年は大リーグ・メッツでバレンタイン監督の下、7年目にして初めて、メジャー昇格。4勝を挙げた。左腕不足に悩むチームは先発ローテーション入りを期待。その期待通り、4月5日の開幕2戦目の対近鉄(大阪ドーム)、打線の援護なく、黒星デビューとなったものの、8回を投げ切って4安打2失点の好投を見せた。ストレートは140㌔そこそこ。だが、スライダー、チェンジアップなど多彩な変化球を武器に、緩急で勝負するのがクロフォードの持ち味だ。ところで、オープン戦中にこんな出来事があった。試合中左足がつってしまうアクシデントに見舞われたクロフォードは、首脳陣から「下半身がしっかりしていないからだ」と強制的に千葉マリン裏の浜辺の1時間ランニングを課せられたのだ。しかし、文句ひとつ言わず、1日おきに黙々と走り続け、首脳陣をびっくりさせた。「僕はコーチがやれと言ったことは何でもする。それがチームの勝利に結びつけばうれしいからね」とクロフォードは笑顔で話す。その左腕が日本にやって来て、ハマってしまったのが神戸牛。オープン戦の神戸遠征中に、近藤監督、ブランコ、キャリオンらと一緒に食べたステーキの味が忘れられなくなってしまったと言う。「あんなうまいもの、初めて食べたよ。夢にも出てくるくらいなんだ。早く神戸に行きたい」ステーキな有名なアメリカで生まれ育った男が話すのだから、面白い。また今、野球のほかにトレーニングを積んでいるのが、はしの使い方だ。日本に来た当初は、うどんを食べるのもすべて、手づかみだったが、最近「やっと人並みに使えるようになった」と喜んでいる。プライベートでは、カラ夫人が6月に第一子を出産予定で、2世誕生を心待ちにしているクロフォード。「日本の生活は僕に合っているみたいだ」ヒルマン(現巨人)がロッテ時代に背負っていた背番号「42」を着けた男が、チーム3本目の先発の柱として、フル回転する。

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マイエット

2020-09-14 08:55:18 | 日記

2005年

 

練習に合流したアテネ五輪カナダ代表のマイエットがブルペンで50球以上投げ込んだ。威力のある直球と鋭く落ちるスライダーを披露し、「新しい環境だし、感触を試したかったので、よかった」とうなずいた。昨年は大リーグの3Aで19セーブを挙げ、抑え候補に数えられる。最近の興味は日本語の勉強だそうで、覚えた日本語を問われるとなぜか「トウモロコシ」とつぶやき周囲を笑わせた。

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ライト

2020-09-14 08:47:36 | 日記

2005年

堤前オーナーの逮捕と知らされてから試合に臨み、先発した新外国人のライトが3回で8失点するなど投手陣が崩れて大敗した。伊東監督は「野球はピッチャーということ。最低のゲームをしてしまった」と肩を落とした。荒木投手コーチは「四球が10個もあったら試合にならない。ライトは下(2軍)で投げ込んでもらう」と話した。

日本ハムが今季最多タイの18安打で連敗を4で止めた。1回に木元の先制打など5安打を集め5点。その後も加点し、大勝した。西武は投手陣が総崩れ。負ければ2季ぶりの5連敗。この危機的な状況を救ったのは、打撃不振に陥っていた小笠原の奮起だった。1回1死一塁。外よりのフォークを右前へ運び、4連続適時打の火付け役に。

伊東監督(西)5度目の2けた失点。「毎度毎度の負けパターン。ライトはまさか1アウトしか取れないとは」とあきれ顔。 

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ブレット

2020-09-14 08:35:15 | 日記

1977年

 

大洋のブレットが初めてマウンドを踏んだが、一回に王、張本に連続四球を出したうえ、柳田に適時打を浴び、三回も2四球に二塁打と、三回で降板のみじめなデビュー。内野手のような小さなモーションから投げる独特なフォームだがスピードがなく、制球力もひと一つ。いずれも低目をついてボールと判定され、四球を連発したことに「自分の考えていたストライクゾーンと違い、審判は打者に有利に判定していた。私の持味は低目のストライクなので苦しかった」と、審判に八つ当たりしていた。

 

大洋は八日、ブレット投手(30)=本名ロバート・アレン・レイノルズ=との契約を解除した。同投手は弱体投手陣にカツを入れるため、大洋がサンフランシスコジャイアンツから移入、公式戦途中の四月二十四日来日し、速球投手のふれ込みでブレット(弾丸)の名前でデビューした。しかし対広島五回戦(五月二十八日広島)で2イニング投げKOされてから、すっかり自信をなくし、退団の意思を明らかにしていた。大洋ではまだ戦力になりうるとファームでの調整を指示していたが、さっさとブレットは東京・麻布のアパートをひき払い帰国した。

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