プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

レイノソ

2020-09-10 21:00:07 | 日記

1999年

昨季の秋季練習から来日。140㌔台後半も計測する速球と重い球質が大きな特長。沖縄キャンプではどのピッチャーよりも早い仕上がりを見せ注目された。制球力さえつけば今季のカープの秘密兵器となりうる。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラー

2020-09-10 10:46:17 | 日記

1994年

バラーは、それこそ毎日のように登板している。もちろん、抑え投手だから毎回が短いイニングだが、さすがにタフ。ただ登板している舞台が、ウエスタン・リーグというところがバラーにとっても計算外だったに違いない。開幕からずっと二軍暮らしが続いていたのだから…。4月末、バラーは不満をぶちまけた。そのころ、バラーは二軍戦で連日好投を見せ、自分でも一軍昇格の自信を深めていた。ところが、呼ばれたのは自分ではなく渡辺だった。助っ人はプライドを傷つけられて怒った。「何で、オレが上に行けないんだ!」結局、バラーの主張を容れる格好で、5月6日、ようやく一軍に昇格した。その日さっそく登板したのをはじめ、10日の西武戦(米子)でも2イニングを投げて無失点。合計4イニング無失点でバラーは鼻高々だった。「どうだ、オレもやるだろう」と。だが、やがて別の不満が頭をもたげる。米国やメキシコでは、ストッパーとして働いていた男だけに、登板がいずれも敗戦処理のような使われ方ではイヤだった。それに、なかなか登板機会ももらえなかった。仰木監督に「もっとオレに投げさせてくれ。オレは実戦で投げ込んで調子を出すタイプなんだ」と直訴した。が、仰木監督は「そんなら、毎日投げられるファームへ行け」と即座に二軍落ちを通告した。「要するに、力不足なんや…」と指揮官はいう。キャンプ時には野村や伊藤隆が出遅れて抑え陣に不安があったため、急きょバラーを獲得した。しかし、2人は開幕に間に合い、中継ぎでも渡辺が素晴らしい仕事ぶり。そんな充実した投手陣の中では、140㌔そこそこのストレートやスライダーが武器のこの右腕は、助っ人としては見劣りする。2㍍の巨体だけでは抑え役は務まらないのだ。オープン戦で初登板したときには、ボーク連発して首脳陣をあわてさせた。現在はそんなクセも矯正されたが、それでも不安がないわけではない。一軍で、しかも試合終盤の大事な場面を任せられないのは、ピッチングそのもの以外の、そんな不安もあるからだ。もともと、バラー獲得を進めたのはキャブレラ、タイゲイニーの助っ人コンビだった。2人は、メキシカン・リーグなどでバラーと対戦経験があって、その投球を熟知していた。が、今となってはその保証もなんの意味もない。一軍救援陣にアクシデントが続出しない限り、バラーが一軍に戻るのは難しそうだ。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ディアス

2020-09-10 09:53:03 | 日記

2000年

 

半信半疑だった東尾監督の視線がマジになった。「変化球やストレートにキレが出てくれば戦力になるはずだよ」と指揮官から期待を寄せられているのが新外国人、ラファエル・ディアスだ。2月22日に極秘来日した無名の助っ人が、高知キャンプの入団テストにも合格。レオ投手陣に新ストッパー候補が誕生した。69年メキシコ生まれの30歳。89年から大リーグのマイナーに所属し、96年からはメキシカンリーグでプレーした。昨年の成績は8勝2敗18S、防御率2.60。メキシコ代表としてシドニー五輪予選にも出場した実績を持つ右腕が、文字通り一発回答を演じたのは2月29日の紅白戦だった。ピッチングは粘り強かった。予定の3回を3安打無失点(1四球)に封じる。まだ本来のスピードではないとはいえ、ストレートは最速147㌔をマーク。さらにはチェンジアップ、スライダーを織り交ぜた巧みな投球術で、紅軍打線を手玉に取ってみせたのだ。来日直後の2月23日、二軍の紅白戦(西武ドーム)では、見守った浦田球団本部長も驚きのMAX150㌔を計時したという。そして、高知キャンプでは一軍首脳陣をうならせてテスト合格。「体調は100㌫じゃないし、スピードにも満足していないヨ。3か月も練習してなかったから。でも、自分の出来はまあまあだった」念願の西武入りを決めたディアスだが、ハングリー精神も並大抵ではない。とにかく練習熱心で気を抜かない。「松坂?知っているヨ。ものすごく速いボールを投げるらしいネ。話も聞いてみたいし、見習いたいな」打線はフェルナンデス、ジェファーソンの現役大リーガーを獲得したが、ディアスの加入で投手陣の競争が熾烈を極めるのは必至の状況になってきた。テスト合格を手土産に、ビザ取得の手続きを行うため3月1日に一時帰国、プリセラ夫人、長男・ペンジャミン君(6歳)と喜びを分かち合った。掘り出し物の助っ人右腕が、日本球界で旋風を起こすかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする