プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

デビッド

2020-09-09 16:07:33 | 日記

1991年


中日に新加入した第三の外国人選手スコット・デビッド・サービス投手(24)=3Aインディアナポリス、登録名デビッド、背番号「53」=は二日、名古屋空港着のデルタ航空機で来日した。三年ぶりのV奪回を目指す中日の新戦力は、身長197センチ、体重102キロの巨漢右腕。十五時間近い長旅と時差ボケで疲れた様子ながら、「七月十三日以来、ゲームから遠ざかっているが、友人と投球練習は続けてきた。いつでも登板できる」と意欲十分。カーブ、スライダー、シンカーなど五種類の変化球を投げ分けるタイプ。88年に大リーグのフィリーズで5試合に登板したが「優勝にはほど遠いチームだった。首位の中日に加入できたので、一生懸命優勝に貢献したい」と目を輝かせる。外国人登録枠の制限で、一軍出場はライアン、アンダーソンとの競争になる。「それは承知している。それぞれがチームのためにベストを尽くせばいいことで、特にライバル意識はない」と話していた。

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タティス

2020-09-09 16:07:33 | 日記

2000年

頼もしい助っ人がトレード期限ギリギリで加入した。新外国人、ラモン・タティス投手は身長191㌢、体重93㌔の大型左腕だ。今季はヤンキース傘下AAA級コロンパスに所属してたが、チーム事情と本人の希望が折り合わず、フリーの身になっていた。球団では昨年オフにも獲得に動いていたが実現せず、この上ないタイミングで入団がきまった。昨年は、AAA級ダラムで12勝を挙げる働きをした最速150㌔の速球派左腕。現在、同じ左腕のオーミーが左ヒジに違和感を訴えて戦線離脱しているため、ウィッテムを解雇してまでタティスを獲得した。先発ローテーション入りの期待が掛かる。会見の日は、練習を優先するため、わざわざインタビューを受ける時間を遅らせる熱意を見せた。「自分の持ち味はスピード。ファームで調整していけば150㌔は日本でも出せる。先発で投げたい」と自信を見せた。 

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ハンコック

2020-09-09 15:58:47 | 日記

1998年

 

「世界の王」も第4の新外国人として入団したライアン・ハンコック投手の初投げには目をパチクリさせた。2月21日に来日し、23日にブルペンに入って投球練習をしたハンコック。すでにビデオで投球フォームを見ていた王貞治監督は、上手、スリークォーター、横手と変幻自在に投げ込むハンコックを見て「横から投げるなんて聞いてなかった。俺の考えてたイメージとは全然違うよ」と複雑な表情を浮かべていた。ハンコック本人は相手打者をかく乱するつもりだったようだが、「今は情報が発達しているからね」と王監督はハンコックの幻惑投法を却下。挙げ句の果てには「変なオッチャンが投げているみたいだな」と言ったものだから、周囲は笑いの渦に包まれた。しかし、「腕が遅れて出てくるので、右打者には打ちづらいんじゃないの」と王監督も最後はちゃんとフォローしていた。

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市橋秀彦

2020-09-09 15:35:03 | 日記

1982年

5月29日の阪急11回戦。ラスト・バッターの市橋は、佐藤投手から6回裏に3ランした。これが、なんと12年目の初アーチ。「信じられんくらいうれしいです。有藤さんがケガでベンチにいるおかげで出番が回ってきたんだが、ホームランの味ってのは、何ともいえぬものですね」と大喜びだ。近鉄にドラフト一位で入団して、肩を痛め、投手から内野手に転向。芽が出ぬまま日本ハムに移籍。ここでも整理されて、54年にロッテのテストを受け、ひろわれた選手だ。史(ふみ)夫人と新谷の奥さん・一枝さんがイトコ同士であるため、新谷とは義理のしんせき関係。この新谷が今季おおいに名を売ったのに刺激され、会心の一撃を放ったというわけ。しかし、ゲームは同点に追いつかれてドローに終わり、せっかくの勝利打点は幻となった。「だけど、この年で初ホーマーとはチト恥ずかしいな」とテレることしきりの市橋だ。 

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バラー

2020-09-09 15:27:10 | 日記

1994年

新助っ人のJ・バラー投手が、日本球界デビューを果たした。5月6日、岩崎と入れ替わって一軍に昇格したバラーは、さっそく同日の日本ハム戦に登板した。先発・野田が打ち込まれ、2対6と劣勢に立った7回からマウンドに上がり、2イニングを3人ずつで片づける、まずまずの内容。バラー本人も「自分のピッチングに関してはある程度、満足している。初めての登板だし、まずは雰囲気に慣れることが第一だよ。持っている球種はいろいろと試してみたよ」とゴキゲンだ。バラーは、開幕を二軍で迎え、ストッパーとして連投テストなどを受けてきた。さすがに経験豊富な投手らしく、二軍レベルではきっちりと仕事をこなしていたが、ピッチングそのものよりも、バント処理などのマウンドさばきに不安があったため、しばらく一軍からお呼びが掛からなかった。山田投手コーチは「球が低めに来ていたし、まずまず。あとは場面のレベルを上げたところでテストするよ」と話していた。

5月14日、J・バラー投手が、仰木監督を脅迫しました。東京ドームでの日本ハム戦の試合前練習中、オモチャの拳銃を手にしたバラーが、はしゃいでいた。報道陣に銃口を向けて発砲するマネをしたりして遊んでいたが、急に「グッド・アイデアが浮かんだ」と打撃ケージの方へ。ケージの後ろで選手を見守っていた仰木監督に近づくと「ヘイ、ホールドアップ!」突然、おなかに銃を突き付けられた仰木監督は一瞬、ビックリ。バラーはその顔を見てニヤリと笑い、こういった。「ズドン、とやられたくなかったら、オレを投げさせろ!」これを聞いた仰木監督はおおウケ。「何をいうのかと思ったら・・・。でも、使いづらいわなあ」と苦笑い。一軍昇格後、二度マウンドに上がったバラーだが、走者を置いた場面ではまだマウンドさばきに不安があって起用されず。でも、バラーには抑えとしての自信があるため、使ってもらえない不満があった。そこで、シャレっ気ついでにアピール、という次第だ。

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バラー

2020-09-09 15:15:50 | 日記

1994年

オリックスの3人目の助っ人が、決定した。2月21日から宮古島キャンプに参加してテストを受けていたジェイ・バラー投手(33歳=メキシカン・リーグ・ラレド)がテストに合格して採用が決ったもの。バラーは、メジャー通算成績こそ4勝9敗6セーブという平凡なものですが、昨年のメキシカン・リーグでは30セーブを挙げた実績をもつ。速球は140㌔前後だが、スライダーなどの変化球と制球のよさに定評がある。オリックスでは、野村、伊藤隆といった抑え投手陣が軒並みケガで出遅れて、豊富な先発投手陣と比べて、救援陣の層の薄さが目立っていた。特に、野村の開幕一軍は微妙な状態で、補強が急務となった。そこで、2月26日にフリー打撃に登板させ、最終テストを行った結果、合格しました。バラーは「チャンスをくれたオリックスには感謝したい。目標は優勝だよ」とニッコリ。山田投手コーチは「今の段階で多くを望むのはかわいそう。これから、スピード面でも上積みがあればいいと思う」と変わり身を期待していた。

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