1960年
八高宮崎投手(17)=が来春卒業と同時に大洋球団に入ることになった。同投手はかねてからプロ入りを希望していたが、八高のコーチであり東京農大監督の竹内愛一氏(38)もその素質を買い、大洋の三原監督、森球団社長、谷内コーチらとは早大先輩で旧知の間柄にあるところから同球団に紹介したもの。宮崎投手は今月上旬竹内氏の手引きで上京、ちょうど日本シリーズが行なわれたため、三原監督らに会えず、同シリーズを観戦しながら球団側の意向を待っていたところ、今回OKとなり、今月下旬正式に契約がかわされることになっている。同投手の実家である三沢市大町一丁目、朝日印刷の宮崎藤吉さん(51)は、この内定に奥さんのつるさん(43)とともに次の通り語って一家大喜びである。本人は大学に行くことも考えていたが、できるならプロ入りを希望していたし、私たちも本人の好きなようにさせたいと思っていたから、今度きまってほんとうに喜んでいる。
八高宮崎投手(17)=が来春卒業と同時に大洋球団に入ることになった。同投手はかねてからプロ入りを希望していたが、八高のコーチであり東京農大監督の竹内愛一氏(38)もその素質を買い、大洋の三原監督、森球団社長、谷内コーチらとは早大先輩で旧知の間柄にあるところから同球団に紹介したもの。宮崎投手は今月上旬竹内氏の手引きで上京、ちょうど日本シリーズが行なわれたため、三原監督らに会えず、同シリーズを観戦しながら球団側の意向を待っていたところ、今回OKとなり、今月下旬正式に契約がかわされることになっている。同投手の実家である三沢市大町一丁目、朝日印刷の宮崎藤吉さん(51)は、この内定に奥さんのつるさん(43)とともに次の通り語って一家大喜びである。本人は大学に行くことも考えていたが、できるならプロ入りを希望していたし、私たちも本人の好きなようにさせたいと思っていたから、今度きまってほんとうに喜んでいる。
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