1969年
大洋の新人採用テストは二十三日午前十時から川崎球場で百五十七人が参加して行われ、投手三人、野手六人の合計九人が最終選考に残った。第一次試験の走力、遠投力テストに残った六十三人が、投手と野手に分かれ、ピッチング、バッティング、守備練習を行なったが、能力差がはっきりしている九人が簡単にピックアップされた。九選手の中で別当監督を喜ばせたのが、ことしグローバル・リーグに参加した辻正孝外野手(修徳高ーいすゞ自動車)。同選手は元グローバル・リーグ日本チームの監督だった森徹氏の推薦で、参加したもので「もしグローバルが存続していれば、日本チームの四番打者に予定していた」(森徹氏)そうで、パンチ力は抜群だ。ただ一人スタンド入りの大物をとばしていた。九選手のうち、合宿入りのできる三選手がナインといっしょに秋季練習に参加し、最後のテストを受けることになったが、ほかの六選手は各スカウトが健闘して近日中に採否を決める。
大洋の新人採用テストは二十三日午前十時から川崎球場で百五十七人が参加して行われ、投手三人、野手六人の合計九人が最終選考に残った。第一次試験の走力、遠投力テストに残った六十三人が、投手と野手に分かれ、ピッチング、バッティング、守備練習を行なったが、能力差がはっきりしている九人が簡単にピックアップされた。九選手の中で別当監督を喜ばせたのが、ことしグローバル・リーグに参加した辻正孝外野手(修徳高ーいすゞ自動車)。同選手は元グローバル・リーグ日本チームの監督だった森徹氏の推薦で、参加したもので「もしグローバルが存続していれば、日本チームの四番打者に予定していた」(森徹氏)そうで、パンチ力は抜群だ。ただ一人スタンド入りの大物をとばしていた。九選手のうち、合宿入りのできる三選手がナインといっしょに秋季練習に参加し、最後のテストを受けることになったが、ほかの六選手は各スカウトが健闘して近日中に採否を決める。
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