1967年
・糸魚川商工からプロ入りするのは三人目。二年生のとき、早くもエースで一試合平均10三振の実績がある。四十一年夏は、新潟県代表決定戦の対中越高戦で、四十二年夏は北越大会準決勝対新湊高戦で敗れ、もう一歩のところで本番のマウンドを味わっていない。中部地区担当の加藤スカウトが「1㍍83の恵まれたからだで、低めに速球を投げ込む。未完だが将来性はある」と早くから注目していた。ノンプロ鷲宮製作所に就職が内定していた。
・関本は上手投げの本格派。ことしの夏の甲子園大会予選、北越大会準決勝で新湊高に敗れるまでの五試合で33三振を奪った。
・糸魚川商工からプロ入りするのは三人目。二年生のとき、早くもエースで一試合平均10三振の実績がある。四十一年夏は、新潟県代表決定戦の対中越高戦で、四十二年夏は北越大会準決勝対新湊高戦で敗れ、もう一歩のところで本番のマウンドを味わっていない。中部地区担当の加藤スカウトが「1㍍83の恵まれたからだで、低めに速球を投げ込む。未完だが将来性はある」と早くから注目していた。ノンプロ鷲宮製作所に就職が内定していた。
・関本は上手投げの本格派。ことしの夏の甲子園大会予選、北越大会準決勝で新湊高に敗れるまでの五試合で33三振を奪った。