プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

関本四十四

2014-08-17 21:19:14 | 日記
1967年

・糸魚川商工からプロ入りするのは三人目。二年生のとき、早くもエースで一試合平均10三振の実績がある。四十一年夏は、新潟県代表決定戦の対中越高戦で、四十二年夏は北越大会準決勝対新湊高戦で敗れ、もう一歩のところで本番のマウンドを味わっていない。中部地区担当の加藤スカウトが「1㍍83の恵まれたからだで、低めに速球を投げ込む。未完だが将来性はある」と早くから注目していた。ノンプロ鷲宮製作所に就職が内定していた。

・関本は上手投げの本格派。ことしの夏の甲子園大会予選、北越大会準決勝で新湊高に敗れるまでの五試合で33三振を奪った。
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皆木敏夫

2014-08-17 21:09:52 | 日記
1967年

皆木敏夫投手(18)・・1㍍78、70㌔、右投右打

・同投手は一年からエースで四番。ことし夏の都予選で大成、関東を連続完封。昨春の都大会決勝では桜井(日大一高ー東映)と投げ合い敗れている。速球が武器の本格派。きれの鋭いカーブも定評がある。高校三年間の通算成績は30勝20敗、打率三割二分。

皆木投手「ただ、思いきってやりたいと思うだけだ。直球をビュンビュン投げれればいい。オーバーハンドなので、藤田コーチ、堀内さんのようなタイプを目標にします」
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雨宮捷年

2014-08-17 21:03:40 | 日記
1967年

・雨宮はどの球団もリストアップせず、須古球団部長が五十嵐の交渉で上京した際、神奈川大の練習でたまたま見つけた選手だ。五十嵐ほど騒がれなかったせいもあるのか、雨宮は控えめだ。三十八年夏の甲子園大会に三番打者で出場したし、大学時代には通算三割四分をマークしている。だが須古球団部長の「雨宮君は打球が速い。ロングヒッターで・・」の説明に「そのかわり三振もあった。けれどもプロではもっと当てるバッティングを勉強します」という。姉の睦月さんが女子野球三共の選手だという珍しい環境に育ったが、控えめの雨宮らしいエピソードもある。高校のとき近所に足の不自由な同級生がいたが、雨宮は、三年間欠かさずその同級生をおぶって登校した。このことは卒業のときまで担任の先生も知らなかったそうだ。二人とも神奈川大の鈴木監督から「野球は常に練習あるのみ」とたたき込まれた。だから「どんなに二軍の連取が苦しくても、ついていく自信はあります」とはっきりいった。

雨宮内野手「一日も早く試合に出たい。監督に認められるようがんばります」
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東田正義

2014-08-17 20:55:04 | 日記
1967年

東田正義外野手(21)・・三重交通、1㍍81、78㌔、右投右打

・東田はことしの都市対抗で西濃運輸の補強選手として出場、熊谷組戦では本塁打1本を含む四打数四安打、3打点。十一月の産業対抗でもやはり日本通運の補強選手として出場、十七打数五安打、5打点、1本塁打で準優勝に貢献、優秀選手に選ばれた。
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高橋里志

2014-08-16 21:48:03 | 日記
1967年

南海は二十日午後二時三十分から大阪・難波の球団事務所でドラフト会議に第四位で指名した電電北陸・高橋里志投手(19)=1㍍78、74㌔、右投右打、敦賀工出=の入団を発表した。背番号は未定。高橋は今シーズン南海四人目の新入団選手。高橋は敦賀工時代から一試合平均約十個から十二個の三振を取る本格派。このスピードが藤江コーチの目にとまっていた。高校時代の遠征試合、対大阪学院戦では江夏(現阪神)と十四回投げ合い、0ー0で引き分けている。「からだつきは投手として理想的なものです。ヒジ、手首の強さは抜群。フォームは好きだという村山に似ていますね。これからの課題はコントロールをよくすること、直球、カーブを生かす第三の球を覚えることでしょう。それには本人のいうフォークボールでもいいし、チェンジアップでもいいですね」と藤江コーチ。「一日も早くベンチ入りしたい」という高橋に「プロにはコーチもたくさんいるし、よく勉強してがんばってくれよ」と新山代表が元気づけていた。
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原秀樹

2014-08-16 13:33:58 | 日記
1967年

原秀樹一塁手・・新居浜商、1㍍80、75㌔、右投右打。

・原はことしの春、選抜大会に新居浜商を初出場させた原動力。恵まれたからだの長打が売りもので、甲子園では準々決勝の報徳戦に森本からホームランをとばしてプロのスカウトから注目された。四国では指折りの強打者。外野に転向する見通しが濃い。

原選手「プロ入りは家庭の事情もあるが、どうせ苦労するなら好きな野球でとことん苦労してみたいと思った。クリーンアップを打てる選手になるのが夢だ」
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楠橋高幸

2014-08-16 12:47:24 | 日記
1968年

「バッティングだけだったら一級品。どこへ出してもはずかしくない」とタイコ判を押すのは壷内監督。同監督は評論家の浜崎、戸倉(東京)両氏らと満州鉄道、大洋漁業など戦前戦後のノンプロで活躍した人。選手に与える点数がからいことには定評があった。ところが、この楠橋のバッティングには目を細める。中距離バッターなので本塁打は二十二試合で二本だけだが、どのコースでもさからわず打ち、打率は四割一分と高い。もちろんこれはチーム一だが、打点19、盗塁16、四死球17もいい記録。「とにかくカンがいい。投手がつぎに何を投げてくるかという読みもうまいですしね」壷内監督は運動神経のよさをあげる。父親幸則氏(57)は柔道二段。相撲でも若いときには広島県の代表生として神宮奉納相撲大会に出場して二位。兄の秀臣氏(30)は三原高時代、フィギュアの選手として国体に出場した腕前。そうしたスポーツ一家の血筋が尾を引いているのだろう。日吉中では三塁手だったが、高校に入学してから遊撃に転向した。これは壷内監督が、自分が現役時代経験したポジションで教えやすいことと、遊撃がこなせるようになれば、内野ならどこのポジションでもかんたんにできるという考えからだ。まだフットワークが悪いためゆるいゴロの処理がまずいが、持ち前の鉄砲肩がそれをカバーしている。今治西高は、中国四国地方で三番目の大学進学率を誇る名門。通学から受ける場合も成績がよくないとふられてしまうといわれる。もちろん楠橋もこの関門をパスしてきているので大学進学希望。「早慶どちらかにいって、神宮であばれてみたい」と夢をいだいている。1㍍77、72㌔、右投右打、三年生。
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飯尾尊雄

2014-08-16 10:03:17 | 日記
1967年

飯尾尊雄投手・・丹原高一年のときからマウンドを踏みつづけ、昨年は、エース兼四番兼主将と大車輪だった。昨年夏は愛媛県予選で第一シードの今治南高と顔が合って敗退したが、愛媛県下では指折りの好投手だった。四国地区担当の伊藤スカウトが高く評価しているのは「まだ技術的に本格派な指導を受けたことがないが、未完成ながらいい素質をもっている。からだが柔らかく、バネもあるので、まだまだスピードがでる」という点だ。ノンプロ伊予銀行に就職が内定している。

飯尾投手「まじめに一生懸命やってゆく。決め球を身につけることを目標にしたい」
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上甲秀男

2014-08-16 03:04:47 | 日記
1970年

上甲(じょうこう)秀男外野手(23)=1㍍80、76㌔、右投右打、電電四国、北宇和高出。

上甲は、ことしの都市対抗四国予選で、五試合に3ホーマーをマーク、そのうち一本は、松山球場のバック・スクリーンへライナーでとばした長打力の持ち主。

上甲外野手「長打力に自信を持っている。反面、三振も多いが、それもぼくの魅力だと思っている。とにかく思い切りのいいバッティングをやっていきたい。高校時代は、捕手もやったりして、もうひとつだったが、ノンプロにはいってから伸びたと思う。得意のカーブ打ちを生かして常時出場が目標です」
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樫出三郎

2014-08-13 21:04:38 | 日記
1970年

樫出(かしで)三郎投手(23)=1㍍72、69㌔、デュプロ印刷、法大出。

・樫出はドラフトもれの選手。法大では山中(住友金属)のカゲにかくれ、四年間一度もリーグ戦のマウンドを踏んでいないが、デュプロ印刷にはいって腕をあげた。下手投げからの落ちるシュートが武器。東京農大付属第二高校時代の四十年、春の甲子園大会に出場、準々決勝まで進出している。

樫出投手「阪神には一年先輩の田淵さんもいるし、早くプロに慣れるようがんばりたい。いまはとにかく野球がやりたくてしかたがない」
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氏家雅之

2014-08-13 20:50:24 | 日記
1970年

氏家雅之投手・・1㍍80、72㌔、右投右打

・氏家は直球とカーブだけで押す上手投げの本格派。まだ荒けずりだが、スピードには定評があり、担当の山崎スカウトは「将来の中日投手陣を背負って立つ素質の持ち主」と期待している。

氏家投手「一日も早く一軍で投げたい。阪神の村山監督のように向かっていくピッチングをやりたい。からだをもっとがっちり鍛えるのが当面の目標で、いま一日5㌔のランニングをはじめている」
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若生和也

2014-08-12 21:39:24 | 日記
若生和也投手・・立正佼成会、1㍍75、77㌔、右投右打、塩釜高出

1967年

・若生はことしの産業大会では準決勝まで進出、優秀選手に選ばれている。


「ダイナミックなフォームの本格派投手。これからの課題は外角低めのコントロール」

若生投手「野球をはじめてから、まだ一度もバテたことはない。だから体力的には自信をもっている。先輩の小川さんのいるチームなのが非常の心強い。目標は一日も早く第一線に出ることだ」
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池田重喜

2014-08-12 00:47:34 | 日記
フォーム・・右投げオーバーハンド 球種・・ストレート、スライダー、カーブ、シュート。

1968年

「どのくらいやられるかとドキドキしながらマウンドに立ったんです。それがたったの一本。シュートやスライダーをこっそり使ったわけでもないのにね。きっとみんなルーキーのぼくに花をもたせてくれたんやないかな」というこの日の三イニング。捕手の伊藤から出たサインはアグリーのときに一球カーブがあっただけで、あとは全部ストレートだった。ルーキーといっても日鉱佐賀関でエースの座を握っていたからマウンド度胸は満点。プロからは大洋の前に一昨年のドラフト会議で広島にリストアップされた。「そのときはまだとてもプロでなんか・・と思ってことわったんです。それが去年大洋から指名されたときは、やればできそうだな、という気持にかわっていたんだ。自分のピッチングにやっと自信みたいなものが生まれてきたんですね」キャンプ前の自主トレーニングで、秋山コーチの目をひきつけた。手首をきかせたきれいなオーバーハンド。カーブは「なんとか曲がる程度」だが、シュート、スライダーは自信がある。だからノンプロ時代は「ストレートとスライダーで攻め込んでシュートをきめ球に使うピッチング」だった。「紅白試合でのスピード?70点くらいじゃないかな。力いっぱい投げたけど、まだ肩ができていないから思うようにボールが走らなかった。コントロールがまあまあだったから助かったんです。米田さんに中前に打たれた真ん中だけは失敗だったけど・・」津久見高の二年生のとき(三十八年)甲子園の夏の大会に出たことがある。だがことし早大から日本鋼管へはいった高橋がエースで、池田は控え投手だった。「ことしなんとか一軍の仲間にはいって甲子園(阪神戦)のマウンドに立ってみたい」という。別当監督にこの日の池田を聞いてみた。「コントロールがいいね。ノンプロでやっていただけあって、ピッチングにもソツがない。注文をつけるとすれば、もっとすごみがほしい」はずんだ声がかえってきた。「やはりプロのバッターは迫力がある。コースをひとつ間違うとスタンドへとばされそうな気がした」という池田のこれからの課題は「もっとスピードをつけること、からだを大きく使って、フォームにたくましさを出すこと」だ。「これからもどしどしゲームに投げてみろ」という秋山コーチの言葉に、池田は目を輝かせてうなずいていた。
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大西譲治

2014-08-12 00:32:24 | 日記
1967年

大西はことしの選択会議にあがらなかった選手。中日は昨年も選択権をとったが、つごうで入団を交渉を打ち切り、大西はことし一年ノンプロ河合楽器に籍を置いていた。上手投げからの本格派。

大西投手「河合楽器では球拾いがほとんどで、これからやりなおしのつもりです。高校に入学したときの気持ちにかえってがんばります」
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吉岡悟

2014-08-11 22:21:36 | 日記
1968年

吉岡悟内野手(18)=1㍍74、70㌔、右投左打、背番号31

・吉岡は四番の二塁手として昨春の選抜大会に出場、一回戦で熊本工に敗退。夏の選手権では三回戦で優勝した習志野高に敗れている。一昨年の北信越大会で六割をマークしたときからスカウトに注目されていた。昨年の通算打率は三割六分五厘。北信越地方では阪神入りした川藤(若狭高)にめっぽう強かった。百㍍12秒の足も持っている。

吉岡選手「いきなり第一線に出るより二年くらい下積みで苦労したい。住友金属に就職が内定していたが、最初からプロでやってみたい気持ちだった。プロ野球は阪急・東映戦をみたが、投手にしろ野手にしろスピードが段違いだと感じた。まずプロ野球のスピードになれることが先決だ」
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