プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

清俊彦

2017-01-21 20:02:47 | 日記
1963年

清投手は一年生まで一昨年の甲子園大会に出場した。秋田商に1-0とリードされて五回から登板。三イニングスを投げて二安打の散発に押えている。この登板で自信をつけ、秋の九州高校野球大会では優勝の原動力となった。上手投げの本格派投手で速球とカーブが武器。身長の割りに体重がなく球が速いが上体が乗らないため球が軽いという悩みもある。清投手を三年間みっちり指導した高鍋高平原監督は「大変な努力家だ。三年間いっしょにいたが肩をこわしたこともなく精進もよい。足は速い。ただ清君の場合、速球とカーブが大きいので投げ方によっては次に投げる球がわかる。シンカーかスライダーを覚えれば二、三年すれば第一線に出てこれるだろう」と期待している。本人は西鉄一辺倒で「九州に育ってライオンズに入団できるなんて光栄に思っています。一日も早く恥ずかしくない立派な選手にならねば・・・」と心構えも十分。昨年、チームが出場停止になって一年を棒にふったのがかえって精神面のプラスになった。見かけがスマートすぎて頼りないといった感じもする。そこでもっと野性味がほしいという野球評論家もいるが、問題は球種も多くし、スタミナをつけること。性格は素直で明るく、ちっとも気どったところがない。西鉄新人投手のなかでは一番有望視されている。1㍍77、67㌔、右投げ。
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青木宥明

2017-01-21 19:20:11 | 日記
1960年

新人の青木が早くも5勝目をあげた。試合前水原監督が「きょうは絶対負けられんよ」といっていたが、その大事な試合に先発して六回無死で古葉に右前安打されるまで堂々と投げ、巨人の勝因を築いたのだからたいしたものだ。四回広島に3点の反撃を許したが、これはバックの失策が口火になったもの。とくに三回まで三人ずつきれいにかたづけたときのピッチング内容はきわめてうまかった。浜崎コーチは「後楽園で投げていたころよりちょっとスピードがなかったが、コントロールがよかった。いいコースに投げれば投手はそれだけでも結構やれるといういい証拠だ」という。試合終了後、さっさと帰ろうとする青木をつかまえると「ボクが勝利投手ですって?そうですか。5勝目といっても別に感想はないですよ。ただ投げろといわれたとき投げるだけ。きょうはカーブとシュートの制球力がよかった。ぎこちなく投げるので広島の打者もタイミングが合わなかったのでしょう。ボクなんかなれられたらおしまいですよ」とひと口でいう。しゃべるたびに左ほおの黒いホクロがびくびく動く。ドロくさい投球フォームといわれながら、クソ度胸であっという間にハーラーダービーのトップに立ったのだからえらいもの。投手難にあえぐ巨人にはまさに救世主ともいえる存在である。
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峰国安

2017-01-21 18:53:48 | 日記
1960年

引きあげてきた峰は、みんなに肩をたたかれてすっかり感激、ロッカーでは辻村大洋副社長によかったなと声を掛けられて下を向いてしまう純情さをみせていた。峰は長崎海星高から昨年途中に入団。昨年は3試合に登板しただけで8安打、防御率13・50の成績だった。ことしは球速、コントロールともに一段と進歩し高校時代にことし西鉄入りした同じ長崎の杉町投手(南山高)に負けぬ投手といわれていた素質を現しだした。ネット裏で観戦の森代表もことしはいいですよ。外角球がおもしろい変化をするしカーブは手元へきて急にスピードが変わる落ち方をするので打者は面くらうのでしょう。楽しみですと喜んでいた。峰は一回中を歩かせたら土井さんが刺してくれたし、森の左飛も岩本さんがフェンスいっぱいでとってくれたので助かった。スピードもコントロールも普通ですという声もふるえていた。1㍍74、72㌔のがっしりした体。まだ19歳の若さでことしは大いに期待していいだろう。右投右打。
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柳田利夫

2017-01-21 18:08:25 | 日記
1960年

「ひさしぶりに胸のつかえがおりたようです」報道陣に取り囲まれた柳田はそうこうをくずす。試合開始直後の第一打席、大津投手の四球目をとらえて左翼ホーマー、そして三打席目の四回一死一、二塁で同じ大津から三塁線突破の逆転二塁打を奪い、さらに五打席目の八回ではダメ押しの左翼二塁打と、まるでこの試合を一人で噴出するような猛打ぶり。「本塁打は真ん中高目の直球、四回の二塁打は内角シュートでした。さいきん腰が回らず、いつもならつまっていたでしょうが、あのとき(四回)だけはうまく腰が回りました」と、久しぶりの本塁打より腰の回ったほうを喜んでいる様子。「大津さんの球はごまかしが多かった。一つごまかされて三振しましたが、やはり球がおそいのと気持ちのうえで楽ですネ」こう語る柳田は「これで南海戦にも自信がつきました」とニッコリ。ともかく不屈の闘志で不運の負傷をのりこえたものの、そのごはとかく精彩を欠いていた柳田だけに、この夜の活躍はまさに殺し屋のリュウ復活である。
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矢ノ浦国満

2017-01-21 17:37:39 | 日記
1960年

1対1のまま迎えた八回一死後、矢ノ浦がたたいた一打は三塁線いっぱいにころがる二塁打になった。これが勝ち越し点を生んだわけ。島田が三塁打して2点を追加したときは、スタンドのお客さんも帰りじたくを始めた。またスコアボードに並んだ0の列を最初に乱したのも矢ノ浦。五回二死後、好投する井上善のシュートを右中間に三塁打。一塁走者の川上をかえし先取点をあげた。西鉄、花井の打球が中堅川上のグラブにおさまってゲームが終ると、矢ノ浦はうつむき加減でベンチに走り込んできた。汗ひとつ流さず、いまからゲームを始めるような元気さだった。さっそく記者たちに囲まれ質問を受ける。てれくさいのかスパイクにくい込んだ土をはらいのけながら「八回に打ったのはインコースのまっすぐで、ゆっくり入ってきた。五回のときはねらっていた」と素直に答える。矢ノ浦はこの春東筑高から入団したルーキー、近鉄選手のなかでも童顔がひときわ目立つ。「やはり平和台は地元ですからね。ぶざまなプレーはできません。ファイトがわきます」という。選手たちがベンチから引き揚げたあと矢ノ浦は大きな袋をさげて、練習で使用した球を一生懸命につめ込む。グラウンドではベテランなみの働きをする矢ノ浦もプロ選手としての第一歩から鍛えあげられている。
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宮崎晋一

2017-01-21 16:39:29 | 日記
1961年

日鉄嘉穂から中日入りした宮崎晋一投手が試合前の練習中に一塁側ブルペンでピッチングをしていた。濃人監督が「水車式投法だよ」といっていたが、まったくそんな感じのするフォーム。ストレート、シュート、カーブなど約約五十球投げたが「コントロールはいい。もう少しスピードがほしいね。タマをそろえ過ぎるので、荒れるピッチングも必要だろう。いまの調子でも三回くらいはいける」というのが石本ヘッド・コーチの評。しかし当の宮崎は「三日タマを持っていないせいか、スピードがさっぱり・・・」というし、ノンプロ時代に顔を合わせた権藤も「ストレートがいいですよ。それに四日くらいの連投はヘッチャラでやる」といっている。これから先が楽しみだ。
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林俊宏

2017-01-21 16:21:29 | 日記
1971年

南海のスタート・メンバーが発表されたとき、一塁側スタンドから「ハヤシ、まだいたのか」とヤジがとんだ。その林に決勝打を打たれたのだから、東映ファンもくやしかったろう。林の名が忘れられてから久しい。四十年だから、もう六年も前になる。17勝3敗の成績を残して、パ・リーグ最優秀勝率投手となり、日本シリーズでは巨人相手に、南海ただ一つの勝ち星をものにした。ただこの年をピークに林の左腕はしぼんでしまった。左ヒジの故障に泣き、球威は落ちる一方。四十一、二年は勝ち星なく、四十三年7勝、四十四年2勝。昨年はついに1試合に登板しただけ。しかも二回投げ、3安打で3点を取られるというさんざんの出来だった。この林が突然復活した。「十日前ぐらい前だった。打者に転向しろよといわれて、無条件でとびついた」ヒジの痛みと戦い続けたこの六年間が、林にはよほどつらかったに違いない。打者転向の指示を待ち構えていたようである。まず右翼の守備から練習を始めたが、二十二日の近鉄戦では、いきなりスタート・メンバーで、しかも未経験の一塁。だが3打数1安打を記録して上々のスタートを切り、この夜と合わせて6打数2安打となった。「守りは心配で心配で。ゴロがとんできたら足が動かない」と嘆く。でもバッティングには「打つ方が気楽でいい。なんとかバットに当るから」といささか自信がわいてきたようだ。もっとも中京商時代には、投手のほか、右翼、一塁もこなし、木俣(現中日)の三番に続いて四、五番を打っていたから、打つ方にも素質があるわけ。しかもスイッチ・ヒッターである。東映が右腕の皆川から、左腕の中原勇にリレーしたから、交代しなければ右打席でも快打を見せたかもしれない。「林がよう打った」と野村監督も祝福した。まだ二十七歳、これからだ。「ハヤシもあるでよう」東映ファンのやけくそのヤジがむなしかった。
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伊藤幸男

2017-01-21 08:25:49 | 日記
1971年

打撃フォームは十人十色である。それは、人によって上背や筋力が違うからだ。昨年の柴田は、右足に体重を残してタマを呼びこんで打つ、長島スタイルを取り入れたが、さっぱり打てず、スイッチ・ヒッターに再転向している。打撃フォームに、これといった完全な型がないとすれば、バッティングにもっとも必要なものは何か。打撃の神様、川上監督は「要するにタイミングだ。われわれが打者のフォームをあれこれ直すのは、どうしたらいいタイミングで打てるか教えているのだ」という。同監督は現役時代に「カーブ打ちの名手」といわれた。相手投手の一番速いタマにタイミングを合わせ、カーブがきたら一呼吸バットをためて打ったそうだ。だから、七回一死一、三塁のチャンスであえばく三振した高田に対し「あの三振が痛い。くふうがないとしかいいようがないよ」と怒るのはまずいタイミングのとり方にいらだちをおぼえるからである。125分の10がこの試合のハイライトだった。-精魂をかたむけて伊藤は125球を投げたが、そのなかで七回、高田に対した10球がとくにさえていた。この10球の内わけは省略するが、要するに2-2に追いこんでから立て続けにカーブを5球投げた。高田はそれこそ必死にバットを当てファウルでねばった。投手、打者の根くらべだった。こういう場面になると「根負けした方がやられる」とよくいわれる。高田も「負けるものか」と闘志をふるいたたせていた。ところがマウンド上の伊藤は「定説」などどこ吹く風で「こうなってはかえってコースをねらったら打たれる。ど真ん中に投げてやれ」と考えていたというから愉快だ。それまでの9球にシュート、カーブとゆるい変化球を使ったあとに力一ぱい直球を投げた。「とてつもなく速くみえて」高田はから振りの三振。完全にタイミングをくるわされたのである。九回王にもフォークボールを投げたあとに真ん中の直球で遊撃フライ。「バッティングとはタイミングなり」をモットーとする敵将の裏をかく伊藤のピッチングだった。
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里見進

2017-01-21 08:03:04 | 日記
1970年

昼食の作戦タイムを待ちかねるようにして南海・沼沢コーチが会議場から出てきた。顔見知りのロッテ担当者をみつけると廊下のスミに引っぱるようにして連れていった。「里見って人間的にどうなの?」答えが悪かろうはずがない。性格もいいし、頭もきれる。現在高円寺にある寮長を兼任、将来はバッテリー・コーチの声もかかっている選手だ。「ありがとう。こいつがこんどの収穫になりそうだ」急いで会議場にもどる沼沢コーチ、あとは前に指名する東映、阪急が見のがしてくれるのを願うだけだ。野村監督はシーズン中から里見をねらっていたフシがある。今シーズン一塁前田益の影武者で出場一回の里見を・・・とビックリしてはいけない。さすがインサイド・ワークにたけた野村、目のつけどころが違っていた。里見のロッテにおける役どころはこうだ。
一、球筋のよさを買われてバッティング投手。
一、日本シリーズ前は西スコアラーに代わってスコアラー。
一、サインの中継。(球団は否定しているが)
そして昨年まではブルペン捕手をしていたのでロッテの誇る三本柱の球筋は先刻承知である。ある球団関係者はなげく。「里見は打者同士のサイン、監督のサインの出すクセなど知っているはずだ。サインなんて毎年そう大きく変えるわけにいかんからな」この言葉の裏には「どうしてリストアップしたんだ」という怒りがこめられている。またこんな話もある。会議場でくばられたリストをみて飛びあがらんばかりに驚いた某氏は濃人監督に詰め寄ったそうだ。「もし里見をとられたらウチの手の内はすっかり読まれてしまうじゃないですか」「十番目の選手でほかに適当な人間がいないからアテ馬のつもりで出した。まさか指名はせんだろう」しかし結果はごらんのとおり三巡目で南海が指名した。群馬県立富岡高からオリオンズにはいって九年目。136試合、打数21、安打5、本塁打1、打点3、打率一割八分五厘。これが里見の公式戦における成績のすべてだが、この表面に現れたアベレージとは問題にならないくらいの損失をロッテはしてしまった。逃がした魚の大きさを来年のペナント・レースでロッテが身にしみて味わわなければよいが。
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伊藤幸男

2017-01-19 22:09:03 | 日記
1971年

散発の三安打と、また巨人を手玉にとった伊藤は、十五日の十六回戦(後楽園)につづく巨人戦連続完封勝利。「ことしで十年目になるけど、巨人戦どころか連続完封なんておぼえがない。最後まで息が抜けなかったから、心身ともにくたくたで・・・」と、いまにもグラウンドにすわり込みそうな顔だった。これで巨人戦はことしまだ1点もとられずに二十一回三分の一を無失点。「先発は四日前にいわれた。ちょっぴり緊張したけど、いざとなったら腹がすわった。カーブがよかった?いや、真っすぐですよ、七回のピンチに高田を三振にしとめたのもど真ん中の真っすぐだった」新しい巨人キラーは鼻高々だった。

伊藤に二試合連続完封でひねられた巨人バッターのなかで、ただ一人気をはいていたのが長島。この日も三打数二安打と絶好調のバッティング。打率をグンとあげ、三打数無安打の王との差を一気につめた。「いやあ、打てば打率があがるのは当たり前ですよ」とさかんに首位打者争いには煙幕。「それより伊藤がよかった。落ちる球を多投し、いいところにきまっていた」と長島は王との争いよりも、伊藤のピッチングをほめていた。
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伊藤幸男

2017-01-19 22:00:41 | 日記
1962年

近鉄は十六日午後、大阪阿倍野の球団事務所でノンプロ積水化学伊藤幸男投手(19)=大鉄高出、1㍍79、75㌔、右投右打=の入団を発表した。背番号62。同投手は大鉄高時代、近鉄・土井外野手とともに三十五年の選抜大会に出場。三十六年積水化学に入社。三十六年、七年の都市対抗野球大会(三十七年は日本新薬の補強選手)に出場している。速球が武器で、東映、大毎、広島、大洋もねらっていた。
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榎本直樹

2017-01-19 21:35:56 | 日記
1970年

大洋に六位で指名された中京大の榎本直樹投手(22)=1㍍78、70㌔、左投左打=は十日の神宮野球大会(神宮)決勝戦が終ったあと「プロでやってみたい」とプロ入りの意思を表明した。十一日、名古屋へ帰ったあと中京大・滝野部長(監督兼任)母校の三重高・梅村校長、三重県南牟婁郡御浜町に住む両親と相談したうえで最終的な態度をきめる。なお、大洋は森代表と宮崎スカウト部長が試合前、中京大・滝監督に指名のあいさつ。滝監督には「拓殖銀行に就職が内定しているので」と断られたが「本人はプロでやりたい気持ちがあるようだ」とあくまで獲得に全力をつくすことになった。
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吉田勝豊

2017-01-17 21:14:59 | 日記
1966年

バルジ大作戦のようなゲームにピリオドを打ったのは、吉田勝のバットだった。握りの細い黄色いバット。多摩川でレギュラーと離れて黙々とバッティングをしていたときのものだ。ボールのあとが一ダースばかり塗料をはがしていた。二軍落ちを象徴するように、その打球のあとはあちこちととんで、正確な位置を示していなかったが、この夜のヒットは左中間へジャスト・ミートでとんでいった。「シュートだったかな。まっすぐきたけどね」多摩川の日焼けが残っているせいか、笑うといやに歯が白い。吉田勝の背中、腕をナインがつっついてすり抜ける。長島はわざわざ報道陣のあいだをリスのように走り抜けて握手をしにきた。「ヨシさん、ナイス・バッティング。いやあ、よかった、実によかったよ」長島も二度ほど特訓で多摩川行き。そこで吉田勝の努力をみているのだ。六月一日、富山の対大洋戦が一軍カムバックの第一戦。六回、代打に出て、中前タイムリーし、チームの勝利に貢献している。このところ当たっているのは川上監督のカンも同じ。「池沢とか塩原とか代打の切り札はいたが、吉田勝を出したのは多摩川で彼が打っているときのフォームが目に焼きついていたからだ。瞬間に吉田勝の名が浮かんだわけです」というのは、富山での川上監督の話。この夜はニュアンスが違う。阪神ベンチが太田を出していたため左に強い吉田勝を送った。杉下監督はすぐ安部にスイッチ。しかし、ここで川上監督は代打の代打を出さなかった。「安部は軟投のピッチャー。左にも強いが、ゆるい球にも吉田勝は強い」打たれた安部の説明はこうだ。「西鉄時代は自信を持っていた。ほとんど負けなかった。きょうだって外角を攻めれば勝っていたはずだ。しかし、サインは内角。もう少し考えて投げればよかった」だが、川上監督が西鉄ー東映のころの二人の関係を知っていたとしても、吉田勝を代えなかったろう。「迷いはカンをにぶらせる」というのが川上監督の信念だ。バスへ向かう吉田勝の足はだんだんはやくなった。報道陣にかこまれていて一人ぼっちになってしまったからだ。「最初は引っぱろうと思っていたけど、三振してはまずいという考えもあった。でも一死満塁なら外野フライでもいいという頭があったから、気持ちは楽だった。このところバットを短くもっていたせいか、スイングが小さくなった。だからきょうは少し長くもって大きく振るように気をつけた。これもよかったんだね。代打?やはり最初から出たいよ」五月十八日、一軍とわかれて多摩川へ行くことがきまったとき、吉田勝はこういって後楽園を去った。「なあに、すぐもどってくる。もどってきてオレは必ず打つよ」この言葉はウソではなかった。
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中田昌宏

2017-01-17 20:56:52 | 日記
1966年

ことし十年目。もうベテランもいいところだ。だが練習量では若い選手に決して負けない練習熱心さだ。「自分で納得できるまで打ち込まないとどうしても調子が出ないんだ」という。だから練習量の少なくなるロードではあまりいい結果が出ない。この日で七本になったホームランも、そのうちロードで打ったのはたった一本。ロードの不成績は内弁慶なのではなく、練習量の波だという。試合後、ベンチにどっかと腰をすえた中田はごきげんだった。五月十一日、対東京五回戦以来一ケ月ぶりに出たホームランのせいだ。「もうホームランの味なんて忘れていたよ。五本でことしのホームランは終わりだと思っていた」流れる汗をぬぐいながらホームランの瞬間を再現した。「一本目はまっすぐかシュートだったと思う。内角へヤマをはっていたんだ。いい感じでバットが出たよ。てっきりファウルになると思っていた。一塁へ走りながら思わずはいってくれと祈ったよ」そういって質問を持たずに言葉をつづけた。「とにかくホームランよりチームが勝つことの方がうれしいんだ」前夜、小林オーナーにハッパをかけたれたことが、よほどこたえているようだ。「もうオーナーに心配させたくないからね。とにかく勝つことよ」笑顔が消えそうになってはまたよみがえる。中田をごきげんにしている理由がもう一つある。いままで苦手だった左投手攻略のメドがついたことがそれ。「きのうも鈴木からタイムリー、きょうも安打にはならなかったけど、いい感じでバットが振れた」その攻略法は右肩を十分回してバットをためて打つことだという。五月十四日、対南海戦で死球を受けて退場して以来、久しぶりに見せたスカッとした中田の表情はいつまでもつづいていた。
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中暁生

2017-01-16 21:04:46 | 日記
1966年

綿密な中らしい計算が生んだ一撃だった。石川にパーフェクトに押えられていた前の三打席は、とにかくヒットを打つことだけを考えた。245匁(919)のバットで合わせるバッティング。「振り回してはいけない。重いバットでジャスト・ミートしなければ完全試合をやられてしまう」七回の第三打席は石川の右を抜き、右前へ抜けそうないい当たりだった。一枝の初安打でヒットを打たなければならない責任感から解放された第四打席のバットは242匁(908㌘)の軽いのに変わっていた。「ねらっていいケースだからね。でもよくとびました。ストレートかシンカーだったと思う」いつもと変わらない口調。「修平(一枝)、おまえのヒットが勝因だ。おまえのがなかったらこっちのホームランは出てこなかったんだから」と一枝をたてた。3号ホーマーは四月十九日に同じ石川から甲子園で打った。それから4号(五月二十六日)が出るまで一ケ月半近くもホームランのブランクがつづいた。右足のヒザを痛め、完調にはほど遠いコンディションだったのだ。その故障もほとんどなおり「ホームランが打てるようになったことより、足が軽くなったのがうれしい」という。「サヨナラは二本目、ミドリさん(石川)からは通算三本目」と、これまでの自分の記録がスラスラとでてくる。阪神の杉下監督は、試合前こんなことをいっていた。「中と高木守には痛い目にあわされている。きょうは高木守がケガで出ないらしいね」いやがっていた一人が欠けた分を、もう一人が十分に補う活躍を見せられた杉下監督としては、たまらない気持ちだったに違いない。
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