プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

有吉洋雅

2017-11-26 09:30:55 | 日記
1955年

プロ入りする前当分の間は二軍で苦労して、一日でも早く一軍に入ることを目指すつもりでいたので、夢のような毎日です。学生時代に西鉄のゲームを数回見ましたが、とにかく打つチームだなと思っていました。僕が投げるときもよく打ってくれてツイている感じです。実際プレートに立って投げて見てつくづく思ったのはコントロールが大事だということです。スピードはちょっとあるつもりですが、高校時代ならボールでもそのスピードにつられて手を出してくれましたが、プロのバッターはボールには絶対といっていいくらい手を出しません。あちらこちらと実行するのもいまのところはたのしみの一つ。ボクと同年輩ぐらいの若い選手が多いのでとても愉快です。監督さんは何もいいません、気味が悪いくらいです。ゲーム中はもちろんですが、練習でも合宿でもじっとにらんでいるだけ。僕たち若武者の一挙一同を黙々見つめているだけです。それだけに何事も自分でやっていかなければならないわけですが、プロという本人の世界、実力の世界ではあたり前のことかもしれません。ピッチングについてはコーチの石本さんがいろいろと注意してくれました。正直なところ無我夢中で投げているのでこれといったことはないのですが・・。キャンプ中に覚えたシンカーとフォーク・ボール、これを少し投げているんですがかなり効果をあげているのではないかと思っています。僕が投げるゲームはいつもツイていてとくに失敗して困っているようなこともありません。まだよくわからないということろが本心ですが、比較的変化のないピッチングなので、前で合わせるいわゆる巧いバッターというのが苦手といえばいえます。ことにいやなのが荒川(博)さん(毎日)土井垣さん(東映)です。荒川博さんにはシュート、土井垣さんには速球で勝負するのがいいのではないかと思っています。 はじめは二、三勝よくて五勝をと思っていたんですが、いまとなっては投げられるだけ投げまくるつもりです。細かい点ではシュートのコントロールをつけることが第一です。
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坂上惇

2017-11-26 09:00:51 | 日記
1955年

大映の坂上は横手からの速球をきめ、後半つかれが出てコントロールを欠きはじめるとカーブで逃げ込み完投。大洋は二回一死後四球、別所の左前安打、野手の失策で一点を先取したがその後は無気力な攻撃ぶりで後半の坂上のつかれにつけ込めなかった。坂上は攻撃面でも二回裏レフトへ本塁打して失点を取り返し、四回には左前安打して二走者をかえす活躍ぶりだった。大洋は前半6-1と離されてからは戦意を失い九回表浜田の安打で一点を加えただけで敗れた。
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片田謙二

2017-11-26 08:22:14 | 日記
1956年

ウエスタン・リーグ

広島片田のしゃくるようなくせのあるピッチングはカーブが主武器。そのカーブがサイド・ハンドから外角をねらうため角度が一そう大きくなり、また内角シュートもよく、立上がりと最終回に打たれはしたものの11三振、三回には三者三振という好投であった。広島は一回一死後三原が安打、四球の走者をおいて2-3から好球を左翼二塁打して先行。三回には阿南、桧垣の長短打でまたリードを奪った。このあたりから片田のピッチングはペースにのってらくに試合を進め、四回に選失から藤井の左翼2ランホーマー、六回にも四球、安打、犠飛で加点。七回から代った駒場に八回原田の安打にはじまる三安打、2四球、二失策の打者一巡で、五点をとって大勝。
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宗近守平

2017-11-26 08:07:17 | 日記
1955年

各紙の「キャンプめぐり」や「監督の抱負」を読むと、広島には江津工出身の宗近というあまりファンには知られていない選手の名前が必ず出てくる。江津とは島根県、日本海に面し、最近市になったばかりの小都市である。江津はまったくの無名校宗近の出現で一躍A級にのしあがり、一昨年秋の島根県大会に優勝中国大会でも準優勝、昨春の県大会にも優勝という好成績をあげるようになった。法大に岡崎という左投手がいる体力はあまりないが試合度胸があり、球の配合もうまい。宗近はこの岡崎の身体つきからフォーム、球質までそっくり、岡崎より球質があるだけ宗近の方が上手だ。宗近は中国地区の三振奪取王といわれ、一昨年秋の県、中国地区大会では平均十個以上、昨夏の予選でも六試合で62、とくに東中国大会一回戦では玉島高から三振20を奪って(被安打1、与四球2)いる。このような好成績をあげ、しかもサウスポーという有利な条件を持ちながら、ストーブ・リーグで話題にならなかったのは五尺六寸という短格であるからだ。しかし私は宗近の身体にほれ込んでいる。肩幅、胸囲、腰が非常に発達し身長五尺六寸に比して体重が十八貫もある筋肉質でぜい肉は少しもなくちょうどつい立のようなガッチリした身体つきで、野球選手としては文句ない。フォームはやや固い感じだが下半身が強いので腰のひねり、体重の移動がスムーズ、したがってコントロールがいい。欠点は手首が固いことで、このためにせっかくの強肩と強い腰のバネを持ちながら球にもう一つののびがたりずカーブのブレーキも高いのである。高校時代はこの欠点を意識してほとんどストレート一本で打者と対し、カウントがよくなると外角に逃げるサウスポー特有のシュートで勝負していた。高校生相手ならこれでよかったが、プロではそうはいかない。サウスポーの最大の武器である内角低目をつく速球をマスターするとともにカーブをもっと勉強すべきだ。これまでの宗近のカーブはブレーキも鋭いしスピードも直球にくらべて落ちすぎる。これを研究せねばならない。

プロ入りの動機 早大に進みたいと思っていたが、家庭の事情でプロ入りした。

高校時代からスピードには少しばかり自信をもっていたが、コントロールがないためスピードが死んでしまうことがしばしばだった。まずコントロールをつけることスピードもいままでのものでプロで通用するとは思っていない

目標とする選手 巨人の中尾さんと広島の川本、片田さんです。いずれもサウスポーでありながらコントロールがあり、安定性があるからです。

趣味 映画(西部劇)音楽(ジャズ)

五尺六寸十八貫、左投左打十八歳、背番29。

現住所島根県邇摩郡温泉津いの五八。
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長尾旬 勝利日

2017-11-26 07:29:39 | 日記

1956年10月3日
1956年10月6日
1957年9月15日
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水谷茂雄

2017-11-24 23:51:11 | 日記
1978年

二年生の水谷のワンマン・チームは四日市工。水谷は右腕は速球を主体にシュートを決め球とする本格派で、昨夏はノーヒットノーランを記録した。打つ方でも4割2分をマークして、本塁打も二年間で20本以上は打っているという。守りの弱さが克服できるかどうか。
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植村秀明

2017-11-24 23:10:46 | 日記
1966年

「でっかいなあ」-郡山ナインが守りについた一回表、スタンドから思わず歓声がもれた。身長1㍍86、82㌔。マウンドをふんまえた郡山の植村投手の初印象である。植村投手はスタートから力強いピッチングで押しまくった。三回、小千谷先頭の山本の3球目に、はじめてカーブを投げるまで速球一本ヤリ。剛腕投手とあまり手合わせしたことのない小千谷打線は、植村投手の二階から投げてくるようなスピードボールにのまれ、ノーヒットのまま、いつしか八回を迎えていた。この間、走者は四球で歩いた二人だけ。重い速球に二本のバットを折られ、外野には一度しか飛ばなかった。八回裏の二死後、小千谷の広川に打たれた94球目の打球が三塁手のグラブをはじき、ノーヒット・ノーランという大漁を逸した植村投手は、試合後「カーブ、シュートをふくめて変化球は全部で三つ」「ノーヒット・ノーランはおろか、いま何回なのかもよくわからなかった。ただアウトとボール・カウントだけを頭に入れていた」「ホーム・プレートが近くみえました」と語った。つまりあがってはいたが、調子はよかったということになる。王子中学時代からマウンドを踏み始めたそうだが、コントロールのあまさがこの大器の成長をさまたげていた。しかし「3ボールになるまでに、どうすればよいか考えろ」と浴びせられた森本監督の一言がきっかけで、コントロールの重要さと完投のペースがのみこめたという。県予選準々決勝から紀和大会、そしてこの日の試合と、連続5試合完投で、失点は2点だけ。大観衆の見守るヒノキ舞台で、自信を深めた植村投手の真価が問われるのは、むしろこれからだ。
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山本寛

2017-11-24 22:59:30 | 日記
1965年

高台のグラウンドで部員四十人が練習に打ち込んでいた。平均身長1㍍73おとなしいのが玉にキズだが、調子に乗るとこわそうだ。練習は打撃中心。梶田、中条の下位にも長打力がある。中心の酒井、本田、山本、黒田は三割打者で、本田は好機に強く力がある。先輩金田(学院大一年)の速球を苦もなく打ち返していた。「最近六年間でことしが一番ねばっこい」と鹿島田監督はいう。投手は山本、本田の左右二人。エース山本は豪速球を投げ、コントロールもいいが、気分屋。監督は精神面の充実を期待していた。

事実上の決勝戦ともいえる顔合わせ。愛知の左腕山本がしり上がりに調子を出してきた。対名電工戦でも切れのいい速球、カーブを投げ込んだ。まだコントロールが万全とはいえないが、東邦打線も簡単には打ち込めない球威。

1967年

在京球団のトップを切って、サンケイが四日、ベテラン捕手島野をふくむ投手の山本寛、内野の太田三塁手の整理を発表した。島野は任意引退で、あとの二人は自由契約。球団側でははっきり見切りをつけたかたち。とくに山本の場合は、昨年、愛知高から入団した左腕投手だが、ことしは一軍で合計4回1/3投げて防御率が11・25。球団側はその左腕を高く評価し、リミット(一千万円)に近い値段をつけたという消息通もいるくらいだから、サンケイとしては大損害だったわけ。このほかこんどトレード要員となった某選手は、若手中の最有望選手に手なぐさみをコーチしたのが原因というし、サンケイは、新首脳が文化大革命、球団側は構造改革をねらっているようだ。
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吉江喜一

2017-11-24 21:36:46 | 日記
1966年

投打とも力の差がはっきりした試合だった。二回から恩田投手にかわった左の吉江は、直球と切れのよいドロップで、梓川の打線をまったくよせつけず、打線は足と長打でよくかせいだ。梓川は、バットを短く持ってあたったものの、14三振奪われ完敗した。

ベスト8進出が有望の塚原は、県下一の折り紙をつけられた左腕吉江が健在、球威、カーブもよく、相手チームは高めスピードボールに手を出して凡打する。ただ走者を出すと制球力、球速が落ちる欠点は消えていない。

塚原の先制攻撃はきいた。塚原は一回、一死後青柳が中前安打、中田死球、川口は三振したが、西沢が左前にテキサス安打して1点、吉江の中前安打と吉江、西沢の重盗でこの回3点をあげた。小根山は立ち上がりの制球難をうまくつかれた。以後は安打こそ許したが、低めのカーブで凡打させた。先制点に気をよくした左腕吉江は、打者の胸元にくい込むタマとシュートがよく、埴生打線を2安打、全員三振の17三振を奪って完封した。埴生打線は、高めのボールに手を出したのがたたった。

塚原の左腕吉江と長野打線の対決だが、長野にとって塚原は、ニガ手のチームといえよう。長野打線は、好投手の中島(丸子実)、宮下(長野吉田)の本格派を攻略して、ようやく不調から脱した感じ。とくに吉田の投手陣からは14安打、そのうち6長打をとばして10点をあげる猛攻をみせた。しかしこの大会で左腕に対するのは、これが最初だ。コールドゲーム勝ちでの大当たりがわざわいしないだろうか。とかく高校野球は、大量得点のあとに、貧打で苦しみやすい。加えて、当たりの出てきた早川、桜井が左打者であることも気にかかる。吉江は、ドロップを武器に、シュートがいい。長野打線が強振するようだと、吉江のペースにはまってしまう。この吉江も、選球眼のいいチームには苦戦する。長野打線の目が勝負のポイント。
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吉江喜一

2017-11-23 15:11:13 | 日記
1966年

塚原の左腕吉江投手が、前評判の高い松山の西本と、堂々渡り合う投手戦を演じ、第一日から早くも延長の好試合を展開した。吉江は制球力で西本に一歩ゆずるとはいえ、手ごたえのある速球と、グイとまがる内角のカーブで、松山打線を押えた。
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高橋俊春

2017-11-23 14:25:34 | 日記
フォーム・・・右の本格派 球種・・・ストレート、カーブ、シュート、ナックル。

1979年

補強の高橋(日通名古屋)は中央大を出て2年目。ことしの進境は目ざましく、落ちる球を武器にイキのいい投球を見せた。

1981年

今大会の優勝候補ナンバーワンにあげられている川崎市も、名古屋市の素晴らしい食い下がりにあって危ない橋を渡らせられた。苦戦は先発投手の読み違いから始まった。名古屋の先発をエースの桃田(高田高)と計算した川崎は、練習でも下手投げをみっちり打ち込み満を持して臨んだ。だから右の本格派、高橋俊(中京大、日通名古屋から補強)を聞いて選手たちは戸惑った。しかし、その高橋俊が速球にシュート、得意のナックルを混じえ、堂々と勝負を挑んで川崎打線を苦しめた。

川崎の初安打は青島の左中間三塁打だった。中堅左フェンスを直撃するホームラン性の当たり。第二打席は同点で抑えた四回。高橋俊は長打を警戒してカウントを1-3にしたあとの5球目、低目の速球だった。難しい球だったのに、青島は強いリストを生かして豪快に左中間中段に運んだ。「三塁打はカーブ。本塁打は直球。初めての都市対抗でこんなに打てるなんて最高です。この波に乗ってどんどん打ちたいです」と顔をほころばせた。
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有田二三男

2017-11-19 20:37:50 | 日記
1973年

北陽時代

江川(作新学院)の爆発的な人気に押されてあまり目立たないが、近畿でナンバーワンの折り紙をつけられているのが有田だ。三年生が抜け、二年生主体の新チームになった昨年九月から十九試合に登板。完封3、無四球試合2、防御率は0・63というみごとな成績を残している。武器は伸びのある速球とブレーキの効いたカーブ。ライバルの和歌山工・吉川監督が「コントロールが実によく、実戦向きの投手。私は江川よりも買っている」とはっきりいつのもこの有田だ。「江川、江川と騒がれてますが、ぼくは気にしてません。勝つ自信はあるからです」東のナンバーワン江川とのぶつかり合いは、すでに今大会の大きな話題を集めている。だが、こんなエースをじっと見つめながら北陽・高橋監督はいった。「よくここまで立ち直ったものだと思う」右鎖骨骨折ー。有田が思いもかけないアクシデントに見舞われたのは、一年生の四月だった。外野飛球を追っていて転倒、右肩をはげしく地面に打ちつけた。十日間でベッドを抜け出したが、ギプスのはまった右肩は動かすこともできない。「もう二度と投げられないでしょうね・・・」と有田に聞かれるたびに、松岡部長はいたたまれなかったそうだ。小さいころから家庭的にも恵まれなかった。春木小学五年のとき、父親豊吉さん(67)が肝臓炎、母親とめ子さん(61)が神経障害で相ついで入院、いまだに闘病生活を送っている。学校にも、姉(智枝子さん)の嫁ぎ先から通った。たまらないさびしさをまぎらわしてくれる野球だけが生きがいだった。高橋監督はいう。「カムバックを半分あきらめながらも、毎日グラウンドにきてはたったひとりで走っていた。そして、丸一年間を棒に振ったあとついに立ち直ったんです。ムリをさせないため上手投げをスリークォーターに直したのも、コントロールをつけた点では大成功でした」自分の力だけで逆境を乗り切った自信を胸に、甲子園へ乗り込む有田。ささやかな願いは、病室のテレビを通して両親に、江川との堂々たる投げ合いを見てもらうことだ。
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金本秀夫

2017-11-19 16:00:09 | 日記
1968年

大分県佐伯市の佐伯球場で十九日行われたウエスタン・リーグ、トーナメント第三試合、阪急対西鉄戦で阪急の金本秀夫投手(26)=米子工出=は、ノーヒットノーランを達成した。金本の投球数は131球、三振9、四死球8。なおウエスタンリーグのトーナメントは過去7回行われているが、ノーヒットノーランは初めて。
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岩井活水

2017-11-19 15:15:21 | 日記
二十八年、島田商から入団した岩井。スピードがあったが、すぐ肩を壊した。
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石川喜理

2017-11-19 14:51:54 | 日記
石川(出雲産高)は小柄ながら大きなカーブを投げた。三年間在籍したが、後半は外野手に転向。「チョロ」のニックネームでみんなにかわいがられていた。
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