プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

蔦行雄

2017-11-19 14:48:41 | 日記
蔦は洲本高ー近鉄から入団しためがねをかけた大型投手。近鉄では中堅投手として活躍した。1年いてスポーツライターに転向。いまも活躍している。
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鈴木宇成

2017-11-19 14:19:57 | 日記
180㌢、70㌔の本格派左腕投手。速球とカーブに見るべきものがあった。高校時代、各球団にマークされた投手。間もなく肩を壊してやめた。
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赤井勝利

2017-11-19 14:18:00 | 日記
赤井は米子南高出身。当時の投手の型は別所スタイルと大友、長谷川スタイルがあったが、赤井は別所型の本格派投手だった。体もあり、一軍入りも近いと言われていたが、きっかけをつかめないまま三年間でユニホームを脱いだ。
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永田徹登

2017-11-19 14:14:55 | 日記
永田(松本高)は下手投げの投手。小さな体にムチを打って7、ファームでは立派に通用していた。しかし、球威がもうひとつ乗らず、一軍へのラインを越せなかった。
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高橋俊春

2017-11-19 14:05:53 | 日記
1982年

ドラフト外、契約金2500万、右の本格派投手。54年、56年に三菱名古屋、55年に新日鉄名古屋の補強選手として都市対抗に出場している。キャリアがあるだけに即戦力になる可能性十分。

1983年

今季より試合時間の20分延長。中継ぎのふんばりが勝敗に大きく影響することになる。福士の抜けた穴を埋めるのは高橋俊「自分が投げている間には決して点を与えない」首脳陣の期待に応え、一軍でのフル回転が望まれる。

新人ながらショートリリーフとしてよく起用された。勝ち星こそなかったが、その貢献度は認めてやりたい。ことしもリリーフ役が多くなりそうだが、まず1勝が当面の目標。

1984年

広島からの移籍選手。ライオンズの水が姓に合ったのか、生き生きしている。本人はプロ入り3年目の今季が勝負とすごい気迫。昨シーズンこそ登板がなかったものの、1年目は中継ぎで24試合に出場。もともと素質があるだけに開花するチャンス。心機一転思い切って投げてもらいたい。

小林とのトレードで広島から移籍。中継ぎ用の投手だが、昨年は一軍登板がなかった。しかしおととしは24試合も登板している。投手陣豊富な西武で出番はあるか。
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吉江喜一

2017-11-19 13:58:30 | 日記
1966年

ストレートの四球で押し出しの決勝点をとられた塚原吉江投手は、ナインの一番うしろから重い足どりでベンチ裏から引きあげてくると「スクイズを警戒しすぎたんです・・・」としょんぼり。「満塁にされても負けるもんかと自分にいい聞かせてがんばったんですが・・・。きょうはカーブもよく切れたし、調子はよかったんです」ととぎれとぎれの口調でいまにも泣き出しそうな顔。塚原校長兼部長に「すんだことはもうしかたないよ」となぐさめられていた。
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バッキー

2017-11-18 22:00:02 | 日記
1969年

球の種類の多いことでは定評がある。速球、カーブ、チェンジアップ、フォーク、スライダー、シュート、シンカーなどあらゆる種類の球を駆使して、打者を幻惑させる。スピードは落ちるが、コントロールはよい。腕や指の長い利点をうまく生かし、それに手首が柔らかいので変化球を投げるのに適している。
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石井清一郎

2017-11-14 19:31:30 | 日記
1968年

とにかく選球眼がいい。それに俊足、器用なので格好のトップバッター。守っても外野のカネメで副主将をつとめている。「一番うれしかったのはセンバツで名門平安に勝ったとき、苦しかったのは帰ってきてからスランプに陥ったとき」というが、波のないことにも定評がある。「小さいころから暴れん坊だった」そうで闘志をむき出しにするファイター。だがテニスをやっている妹のきみ江さん(与野高1年)とは「めったにけんかはしない」兄妹仲。青果物商の父親喜一郎さんも大の野球狂である。昭和二十六年一月十一日生まれ、十七歳。174㌢、70㌔、与野市与野349。長男。

打、守、走と三拍子そろった好選手、選球眼がよく予選で五試合で12四球を記録している。うってつけの一番バッター。チーム一のファイターでもある。
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釜本勝義

2017-11-14 07:07:18 | 日記
1953年

釜本一馬(18)山口県 (右投右打)
下関東ー大洋 五尺七寸、十八貫
恵まれた体格を誇り、オーバー・スローからの速球には見るべきものがある、ドロップもよい
権藤、浮田と並んで新生ロビンスの若手三羽烏、登板させても恥かしくない
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小林恒夫

2017-11-13 21:58:51 | 日記
1953年

小林恒夫(27)
長野県 投手(左投左打)台中商ー金星ー大陽ー松竹
五尺九寸、十九貫五百

廿三年金星に入団以来、ベーブというニック・ネームを戴き名古屋の杉山とともに将来を楽しまれていたが、ようやくここ一、二年にして大投手の風格を帯びてきて長身から投げ下ろす速球、ドロップには定評がある。昨年は十二勝廿七敗今年はエース的存在である。
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金子裕 勝利日

2017-11-13 21:44:14 | 日記
金子裕勝利日

1937年5月15日
1938年5月15日
   5月22日
   5月30日
   6月16日
   9月12日
   9月13日
   9月18日
   10月1日
   10月11日
   10月17日
   10月24日
   11月3日
   11月10日
1939年3月21日
   3月24日
   3月26日
   5月19日
   5月30日
   7月14日
   8月22日
1940年4月10日
   8月23日
1941年11月3日
1942年4月11日
   5月18日
   7月12日

   
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劉瀬章

2017-11-13 20:20:13 | 日記
1932年

昨秋は、法政軍にとっては余りにも陰惨なシーズンであった。それは輝かしい覇業の頂上から、ヂクヂクの泥沼に蹴落とされたいたましい転落であった。しかし、苦悶の、隠忍自重の、あの灰色の冬も既に過ぎ去った。新井薬師の原にも春は甦って来た。新しい合宿の移転、新人転登籠の意気、我法政チームの上にも一陽来春の時は迫っている。ここの新興の意気に燃える法政軍の練習を見るために、上野、飛鳥山の櫻も満開を過ぎた或る暖かい日、筆者は新井薬師裏の法政グランドを訪れた。明、慶の粒選りの新人に対して寸がうの見劣りもしない法政の新人連の活躍には素晴らしいものがあった。新人投手としての劉、伊藤、田子君あたりは多少肩の調子が悪いのではないかと思われはしたが、そのガッチリと取り組んでゆく意気は、正に天を衝くものがある。又打撃に於ける新人熊代君は、其の最たる當り屋であった。とまれ、春のペナントを目指して驀進するこの法政チームには、もの凄い意気の充実さが感知された。投手としての劉君の魅力は何か。それは打者の前に来て急にグッとさがる球、シュートして急にグッと上がる球であるが、この柔らかい変化ある球は、現在の六大学投手中にも類の殆どないものである。今少しカーブの威力を備えるなら、恐らく現投手中にあっても、一寸追従を許さない投手となるであろう。
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奈良正男

2017-11-13 19:32:45 | 日記
1968年 高校時代

三年生、チーム髄一の長身。製図が得意。マジメ男で通っている半面、冗談も飛ばすというひょうきんものである。「野球ができればそれだけでいい」という野球の虫で、「昨年五月、練習中に左目を負傷したときは本当に苦しかった」としみじみいう。六人兄姉の末っ子で三男坊。「好ききらいはなくなんでも食べた」ので立派な体格をしている。ツボにくれば一発長打の魅力をもっている。趣味は軽音楽。父親の多三郎さんは会社員。昭和二十五年五月九日生まれ、十八歳、179㌢、69㌔、戸田市中町一ノ二八ノ二五。

電気科三年、外野手、戸田東中出、三塁コーチャーを受けもつ。
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大西洋一

2017-11-13 19:24:14 | 日記
1959年 高校時代

県下で屈指の速球投手大西が健在である。大西は幅はあまりないが1㍍75の恵まれた体格と柔軟さをもち体を二つにおって投げこむオーバーハンドからの速球はすごみがある。アウトローにコントロールされた日には直球一本で十分Aクラスチームの打線も料理できる力を持っている。最近シュートもききだしているがまだ打者がたつと死球になるのがこわくて思いきれないそうだ。これでインを攻められるようになると投球にぐっと幅ができるのだが・・・。ときおりみせるカーブは甘い。敗戦はこれをねらわれてのものが多いだけに欲をみせずストレート一本で力投することが大西の一番いい道のようだ。
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佐藤敬次

2017-11-13 19:13:42 | 日記
1968年

豪快なフォームで速球をビシビシ投げる。エース吉沢の陰に隠れて登板の機会にめぐまれないのは制球難のため。立ち上がりさえうまくいけば完投能力も十分持っている。山崎監督は「打線が爆発して安全圏にはいれば是非投げさせたい」と期待をかけている。五人家族、男ばかり三人兄弟の末っ子で気性はさっぱりしている。好物はくだもの、魚、ピーマンは苦手。昭和二十五年九月二十二日生まれ十七歳、175㌢、70㌔、大宮市東大成一の二一九。国鉄に勤務する父の敬さんは野球部後援会長。

電気科三年、大宮桜木中出、球速は豊かだが、制球力がいま一歩、父親の敬さん(53)は野球部の後援会長。
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