プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ミラッキ

2020-08-29 08:28:05 | 日記

1997年

メジャー通算39勝の右腕。192センチの長身から投げ込む145キロの速球とスクリューボールは威力十分だ。メジャーでは名誉ある開幕投手も務めるなど、実績は申し分なし。33歳と年齢的にも脂が乗っているところだ。昨年のアキーノ以上の成績を期待しても、裏切られることはないだろう。

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ボルトン

2020-08-29 08:21:35 | 日記

1996年


王監督が直接テストを繰り返して獲得した、実力は折り紙つきのメジャーリーガー。といっても今年28歳と若く、将来性にも期待できるピッチャーだ。持ち味は多彩な変化球と抜群のコントロール。単純なストレートはほとんどないという「くせ球」は日本の巧打者たちをも幻惑するだろう。入団発表では「日本でノモになりたい」とユニークな発言をした。「メジャーでノモが新人王に輝いたように、ホークスで同じような活躍をするよ」昨シーズン、野茂のいたドジャースは地区優勝を飾っている。アメリカからやってきたノモが、公約通りの活躍をすれば、日本のホークスにもVが近づいてくるだろう。ボルトン旋風を福岡ドームで巻き起こして欲しい。

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ドリスキー

2020-08-29 08:18:47 | 日記

1998年

最速145キロの速球、カーブ、スライダーを安定した制球力で投げ分ける。ブロス(ヤクルト→西武)のように日本での成長を期待。 

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カラーラ

2020-08-29 08:13:50 | 日記

1998年

メジャーでの成績は3勝6敗だが、3Aでは27勝16敗の実績を持つ。「気分を高めて投げ込むタイプです。チェンジアップ、スライダーなどの変化球に速球を加えたコンビネーションを武器に、常に相手に向かって行く、攻めのピッチングを心掛けます。日本でプレーしたことのある選手から日本の野球情報も聞いているし、力を出し切れば、15勝前後は確実に出来ます。ヴェネズエラのウインターリーグで投げてきたので、体は十分に出来ています。ご期待ください」と語るカラーラ投手。 

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エーカー

2020-08-29 08:08:48 | 日記

1998年

昨秋のテストで長身から繰り出すストレートはMAX146キロを計時。カーブをおりまぜ、勝負球にフォークを持つ。先発を予定。 

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寺西秀人

2020-08-29 08:01:33 | 日記

1991年


遅れてきたルーキーだ。26歳でプロ入り。「こんなオジンだから、1年目から勝負ですよ。なりふり構わずビュンビュン投げ込みたい」とユーモアたっぷりに抱負を語っていた。2年前までは、それほど目立った活躍はなかった。NTT北陸で頭角を現したのは、昨年、エース上原が故障してから。スリークォーターから繰り出すシュート、シンカーの切れがよくなって、エースにのし上がった。「一見ちゃらんぽらんに見えても、努力家で研究熱心」と周囲がいう通り、練習でもコツコツやっていた。タイプとしては中継ぎ。鹿島のようなロングリリーフも可能な変化球がある。「プロではフォークを武器」と意欲満々だ。 

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ホージマー

2020-08-28 18:14:39 | 日記

2001年

大リーグ・フィリーズから経験豊富なサウスポーがやってきた。ずば抜けて速い球を投げるわけではないが、抜群のコントロールとカーブ、シュート、スライダー、そしてウイニング・ショットとなるチェンジアップと多彩な変化球を織りまぜながら、打たせて取るハッカミー(前ヤクルト)に似たタイプの技巧派。キャンプ中は森野球の全てを吸収しようと、何事にも積極的に取り組んでいた姿勢は、シーズン本番で必ずや生きてくるだろう。 

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干場崇永

2020-08-28 16:04:03 | 日記

1998年

干場崇永投手が5月30日の近鉄戦(大阪ドーム)で、6年目にしてうれしいプロ初勝利を飾った。「最初は、僕が勝利投手なんて知らなかった」先発の武藤が3点リードの4回2/3、あと一人で勝利投手の権利を得るという場面で降板。その後、小刻みの中継ぎリレーが展開され、5番手として最後の2イニングを無失点に押えた干場に、貢献度から勝ち星がついた。「本当はもっと早く勝ちたかったけれど、力がなかった」入団当時は、MAX150㌔の速球で伊良部二世と言われた逸材。しかし昨年、右肩を手術、球速は衰えたが、その代わりに開幕後、二軍で新球・シュートを会得。ピッチングの幅が広がり、才能が一気に開花。普段は表情を表に出さない右腕だが、この時ばかりは満面の笑顔を見せた。チームにとって今や、ロングリリーフができる、貴重な中継ぎ、今後も注目だ。 

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加賀元

2020-08-28 15:33:58 | 日記

1991年

目標は大きく、遠藤2世だ。東北のジャンボ右腕は、希望に胸をふくらませた。「大洋の遠藤に似たフォームで、手が大きい。フォークボールをマスターしやすい条件はそろっている」と三宅スカウトは、将来性に富んだ素材として評価した。全国的には無名だが、140キロ近いストレートとしっかりしたコントロールは大きな可能性を秘めている。 

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スコット

2020-08-28 15:29:39 | 日記

1994年

助っ人獲得で再三ヒットを放っているベイスターズが「何人かいた候補の中で最も欲しかった投手」がスコットだ。サイドハンドぎみの右腕からフォーク、ムービングファーストボールをコントロール良く操る。三振奪取率に目を見張るものあり。25歳の若さだ。一昨年3Aでチームメイトだったローズ同様、日本での大成の可能性十二分。近藤監督の構想はストッパー役だ。 

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オレラーノ

2020-08-28 14:42:29 | 日記

1998年

昨年秋の鴨川キャンプ、来日した翌日、早速ブルペンに入り、ビュンビュン投げ始めたのにはびっくりさせられた。メジャーの経験こそないが、しなやかな左腕から投げ込むキレのいい速球がミットにはじけ、小気味良かった。軽く145キロはクリアしていたはずだ。一見、若い頃のサミー・デービスJr.に似たやさ男らしからぬ豪腕に首脳陣の目がキラリと光った。外国人枠という厳しい壁があるものの、25歳という若さが、楽しい夢を描かせてくれる。

1999年

登板2戦目で殊勲の星を挙げた。4月12日のオリックス戦(東京ドーム)7回途中から4番手で登板、打者10人をノーヒット、4奪三振を完璧に抑えこみ、延長10回、自軍のサヨナラ勝ちを誘い出している。スクリュー気味に落ちたり、フッと沈んだり。得意のシンカーを駆使しての味のあるピッチングも、この1勝のみ、というのは寂しかった。ストレートに制球力をつけて、まずは打者を押し込んでいきたい。26歳の若さはまだまだ大きな可能性を秘めている。

2000年

あのチャンスをモノにしておきたかった。8月に入って先発陣が苦しくなり始めた頃、左打線対策に起用された時だ。15日の西武戦、続く22日のダイエー戦に先発したが、いずれも中盤に打ち込まれている。左腕からのくせダマも常に四球がからみついては防ぎきることは出来なかった。やっと29日の近鉄戦(東京D)で唯一の勝ち星を挙げたが、これも5回7安打、6四球。2失点に止められたのが不思議なほどの内容だった。粗削りな魅力は確かにある。キレのいいストレートに鋭い変化を見せるチェンジアップ。27歳という若さが拍車をかけて大化けしそうな雰囲気をその周辺に漂わせているが、四球から崩れる最悪のパターンから何としても抜け出したい。オレラーノが一軍の座を不動のものにするにはイチにも二にも制球力の取得にかかっている。 

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ロックフォード

2020-08-28 14:36:55 | 日記

1990年

「外人選手は、あれだけ高い金をもらっているんだから、働いて当然」といわれる。近ごろでは「若い、安い」の選手を日本で育てることも多いが、それでもやはり「助っ人」なのであるから、チームを助けてもらわなければ、お話にもならない。目下、5位のヤクルト。その窮状を救うべく、15日の巨人戦、わずか3日前に来日したばかりの新外人・ロックフォードが先発した。来日の記者会見で「ゲームから3週間遠ざかっているが明日(13日)投げろといわれれば投げる」と、自ら即先発登板をアピールしてはいたものの、番記者はみな加藤(もしくは内藤)を先発を予想していた。開けてビックリ、玉手…いやロックフォード、といったわけだが、野村監督にしてみれば、初モノに弱い巨人相手。3失点は覚悟しなければならない加藤なら、いっそのこと未知数のロックフォードで…の胸算用があったのかもしれない。新助っ人への期待。だが結果は、3被本塁打4失点で、5回降板。元広島のランスから来日前に日本球界のレクチャーを受け「最初が大事と聞いている」といっていたロックフォードも最初の登板後は「4試合ぐらい投げなければ、日本野球の印象はわからない」に早変わりしてしまった。そういえば、パ・リーグの某チームには、6試合投げても打たれてばかりの新外人もいるけれど…。それに比べりゃ給料が安い分、救いといえば救いだが、ロックフォードが本当の助っ人になってくれるまで、果たしてヤクルトは待てるだろうか…。 

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大石昌義

2020-08-28 14:17:41 | 日記

1992年

頑張り屋。ひたすらにプロ野球選手をめざした。一年前の春、大学進学を断念。プロ野球入団テストへ向けて、一年間ひそかに、ひとりぼっちの孤独なトレーニングに耐えて励んだ。カープには3度にわたるテストを受けて合格。「ややサイドスロー気味の変則な投球ながら手首が柔らかいし、キレのいい球を投げる」とは備前チーフスカウトの評。今後、体全体の筋力がついてくれれば、著しい飛躍も期待できる。 

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植上健治

2020-08-28 14:09:11 | 日記

1973年

好投手と折り紙つきの高松・植上投手が、やはり評判どおりひと味違うピッチングをみせた。落着いたプレートさばきで外角速球とカーブ、内角シュートを自信たっぷり投げ込んだ。 

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カンポス

2020-08-28 13:57:55 | 日記

1993年

日本ハムが第三の外国人選手として大リーグ、シカゴ・ホワイトソックスの傘下のAAA、ナッシュビルの右腕・フランク・カンポス投手(25歳=186㌢、76㌔)に候補を絞り込んだことが明らかになった。さっそく11月1日に、コミッショナー事務局にカンポス投手の身分照会が行われ、早ければ今月5日から始まっている千葉・鴨川での秋季キャンプ中に同投手をテストすることになる。日本ハムには現在、マット・ウインタース外野手、リック・シュー内野手の両外国人選手がいるが、来季から外国人出場枠が3人と増える。3選手の同時出場には投手、野手の組み合わせが必要になる。そこで、来季優勝を目指す日本ハムは投手獲得に動いていた。カンポス投手は今季、19試合に出場して7勝5敗。防御率は3.55の数字を残した。昨年、AAAに上がったばかりの成長株だけに、カンポス投手の実力に注目が集まる。

日本ハムの新外国人選手候補、フランク・カンポス投手(25歳=AAA級ナッシュビル)が11月10日、テストのため千葉・鴨川の秋季キャンプに合流しました。熱いベネズエラの長旅の疲れも見せず、初日からいきなり、首脳陣にやる気をアピールしていました。カンポス投手はすでに妻カルメンさんに、一男一女の父親ということもあって、日本ハムの入団に必死の覚悟での来日だった。球場に到着するや、いきなりTシャツ姿となってランニング、キャッチボールを開始するなどやる気満々でした。アップが終わるとブルペンで約40球のピッチングも披露。また、本格的なピッチングではないものの、「オレにとっては日本のプロ野球はアメリカのメジャーリーグと同じ。必ず受かる決意で日本に来た」と意欲を見せていた。これに対し大沢監督も「ベネズエラか、サボテンの国から来たな。とげにひっかからないよう、丁重に実力を見ないとな」と、相変わらずの大沢節で来日を歓迎し、獲得へ前向きな姿勢を見せていた。

日本ハムの第三の外国人選手としてフランク・カンポス投手が決定した。11月18日に大沢監督ら現場サイドが獲得の最終判断を下し、これに球団側も「現場の意見を最優先していきたい」と、獲得決定を表明しました。カンポス投手は今月10日から鴨川の秋季キャンプに参加してテストを受けてきましたが、ベネズエラから来た陽気なカンポスはすぐに選手にとけ込んだ。「絶対に受かるつもりで、日本に来た」と、必死に練習に取り組む姿勢を大沢監督も高く評価し、「まだまだ実力的には満点といかないが、野球に対する態度や25歳という若さを考えて、取ることに決めた。球も重いし、これからコントロールを磨いて、ウチの戦力になってくれればいいんだがな」と、獲得の理由を説明した。「日本ハムでプレーすることができて、うれしい。チームの優勝のために頑張る」と、カンポス投手は朗報を胸にいったん帰国し、来年、再び日本に来る。

1994年

日本のお勉強にぬかりはない!?「だいぶね、日本のチームのクセ、傾向と対策がわかってきたよ」何故か新外国人フランク・カンポス投手は自信満々だ。「教材?これこれ」と宿舎ホテルの自室を指差したのですが、何とファミリーコンピューターのセット。ご存じ、ファミリー・スタジアムの野球ソフトで極秘密室チェックをしているという。で、ついでに室内を見渡すと「外国人労働者のための日本語」なんていう本が、パラパラとめくってみると、工事現場で使う専門用語や季節労働者の賃金交渉の仕方、なんてのがズラズラと並んでいる。助っ人野球選手も確かに、外国人労働者であるわけで、そこは間違っていないがピントが・・・。心配しているうちに、グラウンドでもピント外れ。フリー打撃、紅白戦に登板しても半分がボールと、ストライクが入らない。まさか日本の野球のルールが違うなんて、思ってはいないか。

昨年秋の鴨川キャンプに南米ベネズエラから馳せ参じ、一週間のテストの結果、晴れて合格証を手にした。休日のときでも「投げたい」と首脳陣に申し出るひたむきさは「どうしても日本でプレーしたい」という強い気持ちの表れだった。昨年、ホワイトソックスの傘下3Aナッシュビルで7勝5敗、防御率3.55の好成績をマーク。メジャーまであと一歩と迫りながら、強く日本でのプレーを希望するのは「これまでもそういうチャンスがありながらいつも挫折感を味あわさえれてきた」からだ。サラリーが低く、生活も苦しかった、ともつけ加えた。185センチ、85キロのがっちりした体から投げ込むストレートに切れ味鋭いスライダーが武器。鴨川のテストではわずかに制球力に不安を残していたが、環境のちがい、緊張感もあっただろう。ハングリー精神をプンプン臭わせながら、晴れて日本でメジャーを目指す。 

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