2000年
自分をめがけて飛んできた打球に、岸川登俊は「しめた」と思ったという。それが痛恨の力みにつながった。強めだったとはいえ、狙い通りの併殺コースに、グラブが追い付かなかった。体に当り三塁方向に転々とするボール。岸川のプロ初勝利は、その白球とともに遠のいていった。プロ6年目で通産0勝3。ロッテー中日と渡り歩き、オリックスに移ってからも、ほとんどが対左打者の三ポイントの中継ぎ登板。初勝利どころか、先発マウンドという経験自体が貴重であった。オリックスは、7月になると先発陣に故障が相次いだ。ライバルの西武に、苦手とする左腕をぶつける首脳陣の方針があり、岸川も西武戦限定で先発に回った。「先発でも、いつも中継ぎのときと同じ気持ちだった。1イニング、一人一人を抑えていこうと。5回を投げたら勝ち投手、なんて意識しなかったのですが・・・」過去3度は、早々とマウンドを降りた。だが今季4度目の先発となった8月31日、岸川は初勝利に限りなく近づいた。初回に2点、4回に6点と味方が大量得点。失点は初回と4回に1点ずつで、楽勝ムードが漂っていた。5回裏、先頭の松井とフェルナンデスに連打を許した。1点返されて無死満塁、五番・和田を迎えた。「ヒザ元へのスライダー」右打者を詰まらせる計算は、ピタリとはまった。和田の打球はバットの根元に当ってマウンド方向に転がる。だれもが併殺、と思った矢先に、岸川はこの打球を弾いてしまったのだ。続く垣内には前の打席で、ソロ本塁打を浴びていた。「惜しいことをした。実戦経験のなさが、あそこで出るとは…」(河村投手コーチ)ベンチは初勝利目前の岸川に降板を告げたが、ゲームの流れを考えれば致し方ないさい配だ。ゲーム経験という魔物に屈し、岸川は悔し涙を飲み込んだ。
自分をめがけて飛んできた打球に、岸川登俊は「しめた」と思ったという。それが痛恨の力みにつながった。強めだったとはいえ、狙い通りの併殺コースに、グラブが追い付かなかった。体に当り三塁方向に転々とするボール。岸川のプロ初勝利は、その白球とともに遠のいていった。プロ6年目で通産0勝3。ロッテー中日と渡り歩き、オリックスに移ってからも、ほとんどが対左打者の三ポイントの中継ぎ登板。初勝利どころか、先発マウンドという経験自体が貴重であった。オリックスは、7月になると先発陣に故障が相次いだ。ライバルの西武に、苦手とする左腕をぶつける首脳陣の方針があり、岸川も西武戦限定で先発に回った。「先発でも、いつも中継ぎのときと同じ気持ちだった。1イニング、一人一人を抑えていこうと。5回を投げたら勝ち投手、なんて意識しなかったのですが・・・」過去3度は、早々とマウンドを降りた。だが今季4度目の先発となった8月31日、岸川は初勝利に限りなく近づいた。初回に2点、4回に6点と味方が大量得点。失点は初回と4回に1点ずつで、楽勝ムードが漂っていた。5回裏、先頭の松井とフェルナンデスに連打を許した。1点返されて無死満塁、五番・和田を迎えた。「ヒザ元へのスライダー」右打者を詰まらせる計算は、ピタリとはまった。和田の打球はバットの根元に当ってマウンド方向に転がる。だれもが併殺、と思った矢先に、岸川はこの打球を弾いてしまったのだ。続く垣内には前の打席で、ソロ本塁打を浴びていた。「惜しいことをした。実戦経験のなさが、あそこで出るとは…」(河村投手コーチ)ベンチは初勝利目前の岸川に降板を告げたが、ゲームの流れを考えれば致し方ないさい配だ。ゲーム経験という魔物に屈し、岸川は悔し涙を飲み込んだ。