ぜいたくなライブ

2005年11月05日 | 健康・病気
「井上陽水・空想ハイウェイ・Act4 」
(2005年11月4日 22:00~23:30 NHKBS2 )を
昨日ビデオに録っておいたのを今日観た。

最初は、アコースティックギターの押尾コータローだった。
彼はギターを独自の演奏スタイルで演奏する。
あのテクニックはすごい。
曲は、「東へ西へ」「リバーサイドホテル」だった。

次が、ジェイク・シマブクロ、ウクレレプレーヤーだ。
彼のウクレレがまたいい。
ウクレレをあんなふうに弾くとは素晴らしい。
曲は、「氷の世界」「心もよう」だった。

そして、ジャズピアノの山下洋輔。
子どもの頃、陽水の育った田川に住んでいたという。
田川の言葉や暮らしのことの話が面白かった。
曲は、「少年時代」「最後のニュース」

スチールギターの高田漣との話が興味深かった。
彼が、高田渡の息子ということを知った。
陽水は、高田渡と仲がよかったそうだ。
過去にこの番組に出たときのVTRが流れた。
「父は、『たばこを買いに行く』といって
 2、3週間帰ってこないときがあった」
高田渡の酒の話も出た。
「人とうまく接することのできない父は、
 酒を飲むしかなかった」
高田漣が音楽の仕事を始めるとき、
「百万円の仕事のあとに、一万円の仕事がきても断るな」
といわれたそうだ。
そんなお父さんの危篤のとき、早く行きたかったが、
コンサートで行けなかった。
コンサートをキャンセルして行っても仕方ないと思い。
最後までライブを続けてから高田渡の病室に行ったそうだ。
いい父と子の関係だなと思った。
曲は、「いっそセレナーデ」「夢の中へ」。

最後は、ジャズテナーサックスの菊地成孔だった。
東大で講師もしているそうだ。
日本銀行の地下でトークをし、中庭でライブをやった。
曲は、「ジェラシー」「背中まで四十五分」だった。

井上陽水は、私の20歳の頃の話をするとき、
なくてはならない存在です。
陽水の曲をよく聴いていたし、ギターを弾いてうたっていた。
同じ歳の23で死んだ龍彦は、陽水の歌しかうたわなかった。
それまでクールファイブの前川清の歌しかうたわなかったのに。
初期の頃の曲を聴いていると、
どうしても龍彦のことを思い出して涙が出てしまう。
コメント (2)
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