お風呂の話

2005年11月16日 | 健康・病気
   水風呂に戸尻の風や冬の月   十 丈

増殖する俳句歳時記」のこの句を紹介している文章で、
清水哲男さんが、
“田舎にいたころの我が家の風呂”のことを書いている。
触発されて私も子どもの頃に入った風呂のことを書きたくなった。

五右衛門風呂でした。
薪でお湯を沸かしていた。
風呂に入るための台はあったが、身体を洗うところなどない。
誰も風呂の中で身体を洗っていた。
というより身体を手拭いでこすっていた。
考えればお湯は汚なくなっただろうね。
ただ、風呂場の隅で燃えていたロウソクが照明だったので、
暗くてあまりお湯に浮かぶ垢などは見えなかった。
風呂に水を入れるのが大変なので2、3日替えない。
家の外にある釣瓶井戸からバケツで運ぶのです。
重労働でした。

風呂場はお勝手の隅だった。
区切ってあるものなどない。
薪をくべる人と風呂に入っている人がじかに話ができた。
女の人などいやだろうなと思うが、
薄暗くて、あまりよく見えなかったから関係ないか。
そんなことはないでしょうね。

その風呂に一番最後に入るのが母だった。
井戸から運び水を入れ、薪で風呂を沸かした母でした。
一日中、田畑で百姓を父とやってきて、
晩飯の用意もしていた母だった。
風呂から出た母は、「いい風呂だった~」といつもいっていたな。

   煤湯にて母の一日過ぎてゆく   九想
コメント
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