木枯らし1号

2005年11月12日 | 健康・病気
今日、木枯らし1号が吹いたとラジオで聴いた。
昼間は太陽のおかげで暖かかったが、
夕方、日が暮れてからは寒かった。
「木枯らし」というと、思い出すのが、
わいわい雑俳塾に初めて投句した、

  自己嫌悪木枯らしの中ぶら下げて

という句です。
40歳のときのことなので、今から13年前ということになる。
九想庵の俳句のページの最初にある句だ。
この句から私の俳句は始まった。

俳句のことなど何も知らなかった。
ただ、そのころ山頭火が好きだった。
尾崎放哉も好きだったな。
ふたりとも自由律俳句のひとです。
そんなことから五七五の定型句のことは頭になかった。


分け入っても分け入っても青い山
うしろすがたのしぐれてゆくか
焼き捨てて日記の灰のこれだけか
ちんぽこもおそそも湧いてあふるる湯
いつも一人で赤とんぼ
まっすぐな道でさみしい
            -山頭火-

咳をしても一人
足のうら洗へば白くなる
こんなよい月を一人で見て寝る
入れものがない両手で受ける
墓のうらに廻る
            -放哉-

自由律俳句をつくったこともないのに、定型に戸惑った。
そのころ、何をしても自己嫌悪だった。
(今でもそうですが…)
そしてひねったのがあの句だった。

パソコン通信の句会に入るのに、
小心な私はパソコンの前で逡巡した。
それでもなんかそのときの暮らしを打開する意味でも、
「ええい、ままよ」と投句した。
「わいわい雑俳塾」という名前に後押しされた。
私のような俳句に無知な者でも受け入れてくれると“甘えた”。
塾長はじめそのときの参加者が温かく迎えてくれた。
そして、12年半続けた。
句会では素晴らしい人たちと出会えた。
何人かは他界してしまったが…。

12年間続けた大切なところを9月にやめた。
やめたくなかったがやめた。
“わいわい”とやっていた句会がそうできない雰囲気になった。
そして、やめた自分に“自己嫌悪”です。
しょせん私はだめな人間なんです。
ひとりで俳句をつくっていきます。
へたでもなんでも毎日一句つくるのを目標にします。
コメント (2)
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