徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

イタリア旅行-おまけ その1

2006-03-30 05:44:54 | 旅行
今回の旅行は良く歩いた。都市間の移動は電車だったけれど、市内観光はほとんど徒歩。父はフィレンツェあたりで「ひざが痛い」と言いだし(でも、「痛い」といったのはこのときだけ)、母はローマ観光初日で「腰が痛い」と言いだした。

私も「真実の口」から帰る頃には腰が痛くなり、母同様、歩くたびに腰が痛かった(くしゃみをしても痛かった)。なので、「メトロで帰ろう」と提案してみたものの、父が、

1. 街中を歩いて帰りたい
2. メトロの駅まで遠い

と言い、結局歩いて帰ることになった。バス、という選択肢もあったけれど、バスマップは持っていないし、バス停も良く分からないのでやめた(小心者の私)。ホテルまで結局45分くらいかかった。

一晩寝たらみんな、多かれ少なかれ回復したようで、翌日、元気にポンペイへ行った。最後のほうで母と私は腰痛を再発。ローマに戻って夕食を終えかけたとき、

胃痛が…(私)

普段、胃腸の丈夫な私。そんな私が胃痛。しかも、歩くたびに痛い。しかし、一晩寝てまた回復。心配なので、今まで「満腹」まで食べていたのを「八分目」くらいにまでセーブ。セーブしていたのにもかかわらず、今度は

口内炎

ができた。痛くてあまり食べられないけれどおなかはすく。痛いのを無視して食べたら(量は少なめ)、ドイツに戻ってくる日の朝、

舌の先が荒れた(これも痛い)

そして、ドイツに戻ってきて

咳が出る

そして、今に至る…(咳が止まりません)

ジムに通って体力づくりをしているのに(していたはずだったのに)、不十分だった様です。

イタリア旅行-ヴァチカン市国編

2006-03-30 04:29:48 | 旅行
ローマ3日目はヴァチカン市国へ。

ヴァチカン市国ではとりあえず、博物館とサン・ピエトロ寺院(Basilica di San Pietro)を目指した。

メトロを利用してヴァチカン市国の近くの駅まで行ったのだけれど、朝の通勤時間帯にかかったので

ものすごい人

だった。ラッシュの山手線(上野~秋葉原)という感じだった。これでは、スリにあっても気が付かないでしょう。

博物館には既に行列が出来上がっていた。30分くらい、雨の中を外で待った。朝から疲れていた私たちは、コンクラーベが行われたシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)で「アダムの創造」と「最後の審判」だけ見ればいいよ、と話していた。

中に入って、「システィーナ礼拝堂」の矢印に従って歩いた。が、

歩いても歩いても到着しない

それもそのはず。宮殿の一番裏にある、という。おかげでエジプトのもの、動物の間、ラファエロの間、大きなタペストリーなどなど見ることができた。

システィーナ礼拝堂の絵は修復作業がされたらしくとても色鮮やかになっていた。礼拝堂へは祭壇の横から入ったため、「最後の審判」が最初はどこにあるのか分からなかった…

お昼はこの博物館内のセルフサービスのカフェテリアで。安くておいしかった。

私たちが博物館を出たとき、外で並んでいる人はほとんどいなかった…

次は、サン・ピエトロ寺院へ。ここでも大行列。荷物チェックをする前は寺院の中を見る人も、クーポラへ登る人も一緒に並ぶので、大混雑していた。こんなことなら、先にサン・ピエトロ寺院に来て、それから博物館でもよかったかも。

そして、私たちはクーポラへ。エレベータを使っても、そこからさらに300段以上の階段があった。が、途中、寺院の中を上から見ることができ、やっぱり登ってよかった、と実感。クーポラからの眺めはよかった。

クーポラから戻るときは、エレベータに乗る前に休憩。寺院の屋根の上だけれど、結構広く、小さなお店があってアイスやジュースを売っていた。この日は、朝は雨が降っていたけれど、その後、晴れて蒸し暑くなり、私たちはアイスを食べた。

クーポラの出口は寺院の中。中はとても豪華だった。見知らぬ中東系と思われる男性も「きれいだねぇ」としみじみと言っていた。

陽の光が寺院の内部に差し込み、とても荘厳な感じの寺院だった(写真)。

ヴァチカン市国では博物館内とサン・ピエトロ広場の2ヶ所のお手洗いに行った。博物館は無料なのは分かるけれど、広場のお手洗いも無料(「チップは受け取りません」と張り紙)だったのには驚いた。そして、とても清潔。

オレンジと紺(?黒?)と赤の目立つ制服を着た衛兵さん(とても若い!!)の写真を撮り、ヴァチカン観光を終了。

予定ではサンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo)にも行く予定だったけれど、疲れたし、お土産も見たい、ということで、ローマへ戻った。