お鍋の中から

ユル~く作れてヘルシーで 
歯の悪いダンナでも食べられる料理
を目指すアラコキおばさんの
お料理です~♪

フラッシュバック・・・ボー( ▽ )・・・

2014-06-14 21:35:01 | 出来事や思う事 お勉強
フラッシュバックなんて聞くと悪い事の記憶みたいに思うけど

全然そんなんじゃないからね♪(* ̄ー ̄)b



私が小学校3~4年の頃(もう60年近く前やん!(/▼▼)/げっ)

その頃はやっとテレビが普及し始めていたけれど

放送は決まった時間帯にしかなくて映画が娯楽の王様でした

その頃は神戸に住んでいて市電に乗って「水道筋」という

大きな商店街の中にある映画館に土曜日の夜ともなると

ほぼ毎週母親と二人で通っていました


その頃の母のマイブームはミシンでの裁縫でした

何を縫っていたかというと私達姉妹の服~♪

何しろ既製品がまだ珍しい時代やったから

気の利いた物なんかデパートでも売ってなくてね

自分で縫うのが当たり前の時代やったし 日本も戦後のごたごたが

一応治まった頃の時代で主婦の洋裁が流行っていたんでしょう

母も私と同じでのめりこんだら とことんやる人だったし(*・艸・)プププ


4畳半と6畳と2畳の4軒長屋で形ばかりのトイレに続く廊下が

そのミシンの置き場所で朝私が目を覚ますのはミシンの音

夜寝る頃の子守歌もミシンの音でした

ミシンの前の狭い棚にラジオが置いてあって

ラジオドラマやらラジオ歌謡やら散々憶えました

それが今の「うたごえの会」に役立ってるし(^ー^* )フフ♪


\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コツチニオイトイテ



ところで映画館ゆうたら今はポップコーンがつきもんやけど

その頃には当然そんなしゃれた物が存在してるわけもなく

おかきとか酢昆布とか まあジュースもあったけど・・・

でも私の母親は私同様おケチでねえσ(^-^;)アセ

一切飲食なし!(乂>ω
おかげで私は今でも映画に行っても何も食べないです

あ ジムの前の映画館やから飴ちゃん程度は持ってるけど~♪


んで なんで毎週のように夜に映画館に行ってたかというと

父親が夜遅くしか帰ってこなかったから-_★)キラーン

母親にしたらそりゃ退屈な夜の時間だったんでしょうね^^;

昭和30年代の日本は父親の年代が戦後の何もない所から

必死で今の日本を作り上げてた訳!d( ̄ ・ ̄)

土曜日だって会社は休みとちゃうかったんよー^^;

それに今みたいに祝日も少なかったしねえ^^;

ウィークデーに父と顔を合わせた記憶が殆どなかったかなあ

私が知っている父親は日曜になると布団にくるまっている姿と

夕方にラジオの野球中継を聞きながらハイボールをちびちびと

飲んでいる姿やったですよ(´-`).。oO(ゥ~ン…)


\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コツチニオイトイテ



その頃はちゃんばら映画が流行っていて(白黒やったんよ) 

私は大川橋蔵の若侍が好きでねえ(ョ´w`*)ポ

思い出したらその映画館はトイレの(というか便所の)

臭いがほのかに漂っていたような^^;

定連であろう同じ年齢位の男の子たちが

ちゃんばらのフリを覚えようと腰にカタナを差して

後ろの方で主役と同じように立ち回りをしていましたww



映画の帰りにはその近所にある貸し本屋に寄って

前の月の少女漫画雑誌を5円で買ってもらって(リボンとかね)

それで手塚治虫の「リボンの騎士」とか読んでいたわけ~♪

その後商店街のはずれの屋台のお寿司屋さんで

たこの握りを食べて帰ったものです

私はその当時好き嫌いがひどくて生魚が食べられなくて

いつもたこだけでした(ノ_〃)ゞ

今頃屋台のすし屋なんて滅多にお目にかかれないけれど

昭和30年代の景気復興期には多かったんじゃないかと思いますな




なぜこんな事を急に思い出したのかわからないけど・・・


とにかくあの頃の日本は静かだったよなあ |ョ-ω-)。oO()

コメント (12)
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