さきほどお仕事ブログのネタを探すのに
そのブログの今日8月14日を5年分ひっくり返して
読み直していました じ~~~(ρw-).。o○
大した事も書いてなかったんだけれどその中で一つ!
ああ!ここでも使えるやんG( ̄∇ ̄) やったー!
ってのがあったので載せます(・┰・) エヘッ
ネタに困ったらフラッシュバックは使えるなあ(・∀・)ニヤニヤ
それはあの貸主さんに伺っていた話からフラッシュバックしたんだけど・・・
昭和30年代に貸主さんは大学教授をしていただんな様と共に
アメリカに家族ぐるみで留学してはったんだそうで・・・
その当時は飛行機なんか恐ろしい値段で 交通手段はほぼ船ばかり・・・
船で15日間過ごしたという話を聞いていたんです
昭和30年代なんてろくな食べ物もない時代にその船では
15日間「豪華絢爛の食事」の連続に目を輝かしていたとか・・・・
何しろその頃のアメリカという国は日本人憧れの国でしたもんね
今なら別にどうって事もない食事だって貧乏国日本では
まさに見た事もない「豪華絢爛」だった事は想像できますわなボー( ▽ )o〇O
まあ貸主さんの船の食事はともかく・・・(*●・ω・)σ⌒*ピーン
私が小学生の頃って本当に大した物は売ってなかったんですよ
今でもよく覚えているのが豚肉の恐るべき脂の多さ!
多分今ならそんなもん誰も買わないでしょうね
1枚の薄切り肉があったとしたら8割が脂でしたもん
子供心にも(・A・`)ぇぇ..って思ってましたからね
やっぱり食べるなら赤い肉がご馳走に見えますもん^^;
多分そんな風やから関西では牛肉文化やったと思うんですよ
牛肉はそんなに脂はついてませんでしたしね
それにその頃スーパーなんかまだありませんねんでd( ̄ ・ ̄)
市場もしくは商店街で買い物かごを提げて買うんですよ
お店の人が竹の皮に包んでくれるんですよ^^
それを緑のハトロン紙にくるんでね(´-`).。oO(ゥ~ン…)
肉屋さんはハトロン紙やったけど八百屋さんでは新聞紙only!
卵も新聞紙に5つ細長く包んでそれを2つ組み
それをもう1枚新聞紙で包んでくれてました
つまり10個パックの代わりですわな^^
その頃の我が家のお昼ときたら!
朝炊いたご飯がおひつに入っていて・・・
(その頃の我が家はガスコンロにお釜でご飯を炊いてましたよ
いちいちマッチを擦って火をつけるんです 時々バン!とか言うて
それが怖くてマッチを点けるのが怖かったΣ∩(×д×;)∩ヒェ-)
そのおひつの生暖かいご飯とハムの薄切り1枚!
それにソースをかけて・・・つまりウスターソースね
その頃中濃ソースなんか見かけたこともなかったです
レタスもなかったし マヨネーズも・・・あったっけ??( ‥) ン?
全然おいしくないの
その頃の私は食の細い子だったので食事が苦痛でした(ノω=;)
それでもまだハムがあるだけいい方だったよ
って後日母が言ってましたっけ・・・
だんなに聞くと「俺なんかご飯にかつお節がかかったのばっかり!」
だったそうです^^;
だんなは私より7つ年上で 終戦前年に生まれているから
そりゃひどい食糧事情でしたもんなあ(-_-; ン~
ご飯に鰹節 そこに醤油をぶっかけて掻きこむ!!
以前のフラッシュバックにも書いてますけど私は長屋に住んでました
お向かいさんの姉弟なんか両親共稼ぎでほったらかし!
まるで廃屋かと思うほど見事にぼろぼろのお家でね^^;
家の中に入ると湿気を吸い込んで膨れ上がった畳に
ふすまなんか破れて骨組みだけしかないようなお部屋の様子
食べ物もなく二人で壺の中の沢庵のしっぽをよく齧ってましたし^^;
他には何を食べてたんだろう・・・(p・"・q)ゥ-ン
話は飛びますけどね
昔の長屋は人情豊か~♪ ご近所とも仲良しで物の貸し借りやら
子供の行き来もあったりそりゃ楽しかったですね
そのお向かいさんの他はもちろん我が家と似たり寄ったりで
余所のお家に上がっては火鉢でお餅を焼いてご馳走してもらったり
その頃ドーナツを揚げるのが流行っててそれもご馳走だったなあ
子供雑誌の付録に付いていたマンガが描かれたフィルムを
電燈にすかして拡大して壁に映して楽しんだり・・・
とにかくご近所同士で子供をしつけるという気風があって
よく近所の大人に怒られたりもしてましたよ^^
余所のおばちゃんに叱られてそれが親の耳に入って
もっと叱られましたわなあ(* ̄_ ̄)ゞ
ああ・・・懐かしい!。:*:・(*´ω`pq゛ポワァン