想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

除染技術の現状と科学者の良心について

2011-12-07 10:50:51 | 
(放射能雨が降り出す1日前、まだ美しかった時に撮った1枚)

以下、特定の誰かを非難するために書くのではなく、事実について
知っていることを述べるだけであることを予めお断りしておきます。

日本原子力研究開発機構(JAEA)が募集した除染のための技術に
よるモデル事業が始まり一部公開されているが‥。
技術と言っているものの主流は1.水または湯を用いて 高圧洗浄機で
押し流す。2.重機で掘り返して天地返しもしくは表面15センチ位
を剥がし除去する、というものである。(他にこれらに細かな工夫が
施されてはいるが大別すればこうなる)

流したり剥がしたりした後の処理については汚染土、汚染水のその
後の処理が、仮置場と海や川への垂れ流し問題につながるのだが、
そのことはこのモデル事業では問われていないようだ。
まずは、そこにある放射能物質を除去する方法、が事業の目的だ。

上記のような稚拙とも思える方法になぜ大金の税金が支払われるのか
と思われるだろうが(業者はJAEAから支払われ、JAEAは国家予算で)
新たな技術がないからである。
そのことはフランスのアレバ社から60億で買った第一原発の汚染水
浄化装置に始まり東芝のサリーはまだマシだが同じことで、結果
このたび発覚している高濃度の汚染水が建屋内、側溝と流れて海へ
流入したという事でも明らかになった。
汚染水の濃度を下げる技術という触込みで高額の装置を導入してきたが、
いかんせん放射能相手にお手上げなのが現状である。
ゼオライトはセシウムは吸着するがストロンチウムには効かないなど
今ごろ白状するのはおかしすぎないか? 研究開発はドシロウトが
したわけではあるまい。けれど、できないことは言わずに、できた
ことだけを評価するという方法でゴマカしてきたのだ。

つまり放射能を除去する方法が見当たらん!というのが実情なのだが、
お手上げといっているわけにもいかないので対処していますよ、と
公募もし、予算も組む。これは建前だけのことでもなくあたりまえの
努力であり、やらねばならないことでもある。
ほんとにみんな困っている。それは一般住民だけでなく官僚も行政も
本音でいえばなんとかしたい、だができないでいるのだ。
悪気があるなしではなく、JAEAとて本気で画期的な技術が欲しいはずだ。
本気に見えないのは東電とその関係企業のゼネコンくらいで帝国主義的
思考をそのまま引き継いだ連中は戦艦大和などと自社を比喩し悦に入り
金算段の話ばかりしている。

賞金目当ての技術屋企業や大学研究室(産学協同で)が応募して
そこから選ぶしかなく、選んで試すしかないというのが実情である。
選び方は公平かどうか、もちろんそれも選考結果が発表される寸前
メディアを賑わしたが(みのもんたが取り上げた)、それはむしろ
瑣末なことで、大事なことは金をかけるだけの技術があるかどうか
である。予算消化のためにとりあえず選んだ感もなくはないが、
一社、無名だが期待されている企業がある。

この数ヶ月、この周辺を取材し開発に協力もしてきたが一昨日も書いた
ように、いい結果をまだ得られていない。
これはいわばダークホース的な技術であった。
3.12以降、東電のだらだらとした記者発表を見続けた日々にわたしは
考え続けていた。今なにを為すべきか、考えていた。
いつもなら周辺が賑わうはずの五月GWの森の中で、死んだように、
静まり返った森にいて、思い切って東京へ電話をかけた。
十数年来の知己だが、数年ぶりにかけた電話であった。

「そんなことはできない、放射能がとれるわけがない、ムリムリ、
無理ですよ、何言ってんですか」と電話の相手は応えた。余裕の声に
昔の記憶が蘇りもし、この人に電話したりして最低だと自己嫌悪で
あった。しかしダメに挑戦するのは仕事ではないか、この国難の時に
君は平気でいられるのか、自分さえよければいいというのかと言うと、
そんなことはないと彼も言った。
そこから始まったことである。
夏が終わるころ開発に成功したという知らせがあった。

前の記事に書いた放射能が落ちないという結果の原因もわかっている。
功を急ぐあまり、検証を重ねるという科学者の良心を打ち忘れたから
である。その上で目の前にある一つの結果に対して理論で裏付けした。
役所も官僚もペーパー、ペーパーと書面でばかり判断するから書かれた
数値がモノを言うのである。

わたしは現場で検証してくれと催促し、現場での数値でなければ信用
されないと促し、そして高濃度汚染地域の民家と、浪江町赤宇木の山へ
でかけてもらった。その頃は皆、はりきっていた。
放射能専門学者2名の立ち会いの元に試験は行われた。
その結果6割から7割のセシウム濃度低下の結果が得られたのであった。

これに喜んだ開発担当者はあとは公募、公募で、現場での検証を重ねる
ことをしなかった。営業した相手先への責任を感じていないのではないか、
と指摘するとようやく腰をあげて汚染地域で実験を再び行った。
その結果を明らかにしないので三たび催促し、面前で行ってもらった。
今度は本当に思わしい結果が出ない。
そうなると逃げ腰で、いいわけしかしない。
専門用語を使って煙に巻こうとさえする。普通の人の感覚をあなどって
いるから、べらべらとしゃべる。しゃべればしゃべるほど、目の前の
数値が現実性を帯びてくるのである。いったい何のための仕事であるか、
忘れ果てている。自己保身などどうでもいいことなのだ。誰も個人を責め
たりはしていない、東電は責めても。

ダメだったという結論は、すなわち「放射能には勝てない」につながり
「半減期を待って放射能とともに暮らし生きるしかない」ことになる。
土壌汚染を解決してもらいたいと思う気持ちは今も変わらない。
だから、軽卒で無責任すぎる諸々の除染業者にさらに技術改良を促し開発を
進めて公募技術の実証の約束を果たすべきではないかと話した。
するとダメかもしれない、ダメだったら止めるとあっさりと言い出す始末で
あった。それなら金目当ての東電関連業者と同じである。
やる気を出したのは除染でひと儲けできると思ったからということになる。
金を先に積んでもらえばやりますよというのと同じだ。
公募は先に予算ありきだったからはりきったというわけだ。
厚顔無恥には呆れる。やっぱりまだこういう人なのか‥と最初の電話の時
の後悔が蘇ってくる。

高圧洗浄機で約2~5割かた落ちるセシウムをそれ以上除去し濃度を下げる
ことができれば良しとし、もう今はゼロにせよという目標はわたし自身が
取り下げた。限りなくゼロにできますと聞き舞い上がって喜んでいた日々は
夢であった)
けれどもやはり何もせず見過ごして知らんフリしていいのだろうか。
苦しむ人をぬか喜びさせ、不相応な接待を受け、逃げていいのだろうか。

というわけで、モデル事業の実証とは別に実験をさらに繰り返す事と
している。秘密裏に事は進め非公開なのは企業側の事情である。
NHKはJAEAの情報で取材申し込みをしてきたそうだが、今応じられる状況
ではない。テレビカメラの前で放射能測定器の数値をどう言い訳するのか
嘘をつけば罪である。嘘をつかなくていい結果を得てからの顔出しでしょう
と出たがる社長に言った。

実験の結果はこれから先はお知らせしていこうと思っている。
良いことも悪いことも明らかにして前へ進まねばならないと思うからである。

シモーヌ・ヴェイユという詩人は、人の苦しみに寄り添い生きた人であった。
寄り添うだけなら普通だが、自分だけ幸福にはなれない、温かい場所に我先
にいるわけにはいかない、そのような幸福を幸福とは呼ばない、と。
疲れきってしまい、風呂の中に分厚い詩集を持ち込んで読み、慰めとした。
こんなことくらいで嘆いてばかりもいられない。




コメント
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