想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

野に学び、境を立つ

2013-12-07 22:32:32 | Weblog
山は雪になった。
例年どおり、決まりどおり、雪虫の飛んだ数日後に初雪で、
そしてジョンレノンの命日前には必ず少し積もるくらいの雪が
降る、必ず。自然の決まりごとらしい。

あいまいな内容のまま審議を打ち切って可決した特定秘密保護法。
あいまい、曖昧と指摘され、その答弁も曖昧模糊として打ち切った。
ああ、境なく乱れきった様である。

みのえとは境と書く。
古伝先代旧事本紀大成経の根幹「五鎮」の中の言葉である。
境(みのえ)を境界線の意だと字から解釈しがちだが、線ではない。
人の思い、情、心、それらの動きとハタラキは線では表せない。
また神ならなおのこと。

境の章は「境を立つる」という。
いかにするか。それは他の四つ、神・心・理・気とあいまって立つ。
邪と私を断ち、理にそって明らめ、かたよりのない状態のとき、立つ。
政府が強引に推したかの法案は、まさにこの逆の状態で、内に私欲を
秘めていることが曖昧さに顕われていた。
整いようがなく綻びている。

恣意的な解釈の恐れがある、とたびたび指摘されてきたが、恣意的
とは「私する」ことである。自分の欲のままにしたいようにする。
つじつまのあわないことだらけ、理を明らかにせよと迫られても
明らかにすると、私欲がバレてしまうので隠すしかない。
秘密を守る法律を作る過程でありながら、何一つ明らかにしなかった。
国会は何をする場所か?ということからすでに外れた。
暴挙と言われるゆえんである。

ここでそのことをまた繰り返し言わなくてもおおかたの人々がよく
わかっているだろうからそれはいい。
古伝を学んでいるので、「境」という一字が示す大事さに思いを
致しているだけだ。
心乱れるとき、境の字を思い出す。
そして正して、明るき元へ帰ろうと努めてきたから。
理に遠く外れた悪事は決して成就はしない。綻びから始まるものは
千々に乱れていくだけだ。
そこに尊い命が巻き込まれていくことだけは、止めなければと思う。

小さな、塵のようなわたくしが
止めるなどと言っても何ができようか。
涙ばかりが流れる。
けれども、神(魂)は嘆かず、為さず、作さず、思わず。
境を立て、生まれるを待つのみ。

日本に古来ヤマトダマシイという言葉は無かった。
言葉はいつも誰かが恣意的に作り、作られたものが伝わり、居座る。
現実の目の前にあることをよく見つめ、感じている者にとっては
場違いな居心地のよくない座りの悪い言葉がある。
そういう言葉の一つがヤマトダマシイだろう。
これは江戸の封建時代に為政者と蔓んだ国学者がまことしやかに
言い放ち、一度生まれた言葉は一人歩きした。
明治の御代にはじまった長い長い戦争の時代、都合よく最も頻繁に
使われた大和魂、はなはだ迷惑な言葉であった。

今日本の若い男子はつとに乙女チックである。
好きな色は黒か白かと問うと白と答える数が多い。
紬と純絹を見せればすべすべを手にとるだろう。
どこにも剛健なヤマトはない。
変わったのであろうか?
いや、そもそも剛健なる大和そのものが、つくりものであったことに
そろそろ気づくべき頃ではなかろうか。



平和な今がいちばんいいよ、どうして戦争なんかするの、
もういいじゃん、という若者たちはわかっている。
秘密にして何がしたいのか。
てっとり早く破壊に破壊を重ね、常に不安と恐怖を煽ることで
混乱した世の中を牛耳ろうとする者が語るエセ民主主義に
ぼんやりと従わない。
それは平和に育ったからこそ失わずにもっている人間らしさだ。
そのことをさらに自覚する時、言葉少なの若者も声を上げる。

よく学び、境とはいかにして立つかを闘いながら知るだろう。
他を思いやり、義しみ、深き智慧をもって協調していくときに
争わうことなく自他共に生きることができる。

自然のなかにカラダを委ねていっとき自我を忘れてみる。
なにもかもがじめたい、勝ち抜きたいなどと、偏狭な考えは消え、
空っぽになるから。
空っぽから、境を立てること、そこに入れるのは…
「私」ではなく仁、今ふうに言えば「愛」だろう。

ps:縁側通信
ジョリちゃんは江戸ちゃんに寄り添って、さささとご飯を
二度食いし、いっしょに井戸小屋へ帰っていった。
黒いチビも一緒にいるらしい…川の字で寝るのかな






コメント
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