やっと行ってきた。ちばわんin品川。
一年ぶりに会う友人も愛犬を亡くしているので誘ったら二つ返事で
やってきた。
収容期限が迫っていてボランティアに引き出してもらい命拾いした
犬や猫たちが、新たな家族との出会いを求めるお披露目会だ。
ネット上で里親探しの写真をよく見る。なかなか日程が合わず、
今回初めて会いに行った。
成犬と別の部屋で、子犬大集合、犬好きにはたまらん光景である。
彼らがいた場所は動物愛護センターという名称だが、その実態を
どのくらいの人が知っているのだろうか。
センターには期限付きで保護されている子犬がまだたくさん
「倍返し」状態でいると、預かりママさんがブログに書いておられた。
ちばわんのような保護団体が引き出せるにも限度がある。
引き出した犬たちを新しい引き取り手がみつかるまで仮親になる
ボランティアは常時募集されているが、なり手は多くないのだろう。
期限になれば殺されてしまうことを知って、やむにやまれずという
ことなのだから犬好きの趣味と思われては困る。
それにしても「殺」処分とは…日本は壁で隔てた闇の中で残酷な
所業をし、それにへ理屈をこねる。
今もって人間性を尊ばない後進国、というよりさらに後退し続けて
いるように思えてならない。
多頭飼育の悪質ブリーダーが放置した子、野犬(捨て犬の果て)
が産んだ子、生まれてすぐに捨てられた子、いずれも劣悪な状態
から救われた子にはとても見えない。
ボランティアさんたちの手で毛並を整えてもらい、生来の魅力を
発散している。人間でも犬でも猫でも、生きものの赤ん坊は
見る者を無条件に癒してくれる。
かわいいだけで買い、飼い犬にし、きまぐれに捨てる、そういう
人間がいる一方、保護し育て慈しむ人々もいる。
預かりママさんのブログで見ていた白い子犬、エクレアちゃんに
まず挨拶した。緊張でおなかが緩くなってしまったのよ、と抱っこ
されてゆたっとしているエクレアちゃん、写真通りキュート。
ママさんちに引き取られたばかりの時とはくらべものにならない、
ふわふわの毛になって、ママさんの愛情がよくわかる。
やさしい成犬になりそうだ。
リルちゃん。雑種でいくつもの血が入っているらしい。
成長したらどう変貌するのかなと、犬種をたずねたのだが、
答えは不明。でもそんなに大きくはなりませんから大丈夫、
という返事。小型犬が好まれるのだろう、大きくならないと
強調されて苦笑いだった。ラブラドールのゆったりとして
頑丈なところが好きなのであるが…言えなかった…。
眼がしっかりとして印象的、賢そうで大きくなくてもいい感じ
の子だった。
そして、カートをのぞこうとしたら、チョイ待ちと声がかかったのは
この子、まだワクチンをしていないそうで、消毒薬を差し出される。
シュシュっと手をきれいにしてからご対面。
かくまちゃん(八重の桜から頂戴した名前だそうな)
一緒にいた友人が「ああ、西島君ですね」と言いママさんが
そうそうと頷く。なるほど、西島君……たくましいってこと?
もう一頭いて、そちらは尚之助だそうな。
八重の桜、あんまり詳しくないので、ふんふんと相槌をうち、
抱っこさせてもらう。ボーダーコリーの血が入ってるらしい
西島君はかわゆい盛りで、そのまま連れ去りたいほど。
動物愛護管理法が改正され、虐待と遺棄の罰則も定められ、
愛護動物、犬猫等を捨てることは禁じられている。
しかし愛護センターには日々、何らかの事情で飼えないからと
犬や猫が持ち込まれ、引き取ってもらえる。
狂犬病や感染症などの公衆衛生の観点から野良を回収する
という意味と同じらしい。そんなことだから捨てる人は
後を絶たない。野良ももとを辿れば家猫、飼い犬であるし。
3.11以降、原発事故も含めて被災した人々は、故郷を離れる
時、愛犬愛猫をやむなく手放したり置き去りにした。
そういう事情とはまったく違う、人間の利己的な都合が
「殺」処分のシステムを継続させている。
飼主が高齢になって面倒をみれなくなったり、亡くなったり
して収容されるケースもある。
問題は、行政機関に引き受けてもらえば自分で殺す実感がなく、
罪悪感もないことだ。あっても薄い、自分の手を使わないから。
収容期間が一週間、ということは余命は7日。里親を探して
くれると思って…という人は、現実を見てはいないだろう。
引取り手がなければ殺されることも知っていて、あれこれ
いいわけをしながら持ち込んでいる。
ボランティアさんたちが急ぎ引き出し保護する理由は殺させ
ないためである。
ザル法のような今の法律では捨てる人はなくならないだろう。
保護犬を家族に迎えるという選択がもっと広まっていくといい
のだが。
親分と呼ばれたりベイビーと呼んだり、ぷ~ちゃんだったり、
生後50日から15年間ずっと一緒に過ごした君。
人と生活するためのルールを覚え、犬らしい本能で人を助けもし、
ノーリードにしても勝手をしなかった。いつも離れなかったし、
遊んでいても呼べば戻ってきた。
先に立って先導役をするときもあった。
これは犬を主人に服従させるということを基本にした考え方からは
異論があるだろうが、人よりも勝れた嗅覚や本能的な危険察知能力
をいかんなく発揮してそばにいた。
上とか下とかではなく一つで、補い合う関係だった。
犬と暮らし、人が学べることは多い。
まっすぐで素直、シンプルな命のひびきは人を快活にしてくれる。
立ち上がり歩み続ける勇気が、あまり力を入れずともできることを
教えてくれる。
信頼することを、犬だけに求めるのではない。
人がその手を緩め頬を緩めたとき、犬はそばに静かに座る。
そして、ひとつにつながったものを、犬のほうから断ち切りはしない。
ボランティアさんたちに抱かれた子犬たちがまっすぐに面会者を
見上げる。媚びもなく、まるで悟ったかのようにもみえる。
命とははかないものだと切実に感じながら、つながることの喜びを
懐かしく思い出した。