想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

宇宙望遠鏡と古事記

2015-11-04 10:27:00 | Weblog
(続)
冥生玄極、あるいは微方玄極。
(先代旧事本紀大成経72巻本より)
この世の始まる以前、すべてが始まる前の
静まりかえり、ただ存在するだけの世界を
表した四文字。これをどう現代語にすれば
いいのか。読み下しではなくふさわしい言葉…。
それをこの数日来、考え続けている。

ハッブル宇宙望遠鏡のなかった時代に記された
これらの文章にあるこの世のはじめは、今日ほぼ
証明されつつある。
後継機のジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は
さらに詳細に宇宙の初めを解明するだろう。
ただし、それは物質の世界の初めだ。
それ以前の状態をさすのがこの四文字である。

八世紀の稗田阿礼も太安万侶も、この旧事を
目にしたはずだが、どこにも書かれていない。
めんどうで省いたのか、奈良時代すでにこの
旧事は深く隠されてしまっていたか。
当時の伝承としてすでに「天地初発の時、高天原に…」
と語り継がれ、どたばたと神々が登場する喜劇しか
手元に無いということだったか。

いずれかはわからない。
神代のことなどわからない。
わからないままでよかった。
わからないことをあることのように定めたところ
から神はずっと不在となった。

敗戦から70年で再びこの国を古事記世界へと
誘おうとする者。強大な権力を以て我が身を
神になぞらえようと、その神の概念がすでに
ニセモノの神なのだと知らない。
人のやることに関わりないのだよ、神とは。

宗教などというシロモノは、人が人のために
為したものだから、不在には変わりない。
偽りを言わない宗教者は名を残していない、
知る人ぞ知るである。
ほんの片手で数えるほどしかいないし、
いずれも組織に属さなかった。

法も宗教も未だない時代は、人は神とともに
あったということ、それは遠い遠い遠いむかし。
そこへ行ってみたければ、死して生きる如く
目を瞑っているしかない。

カメ先生は、ほほう、死のうと思ったか、
それはいい、死んで生きれるようになれば
カンツビト(眞人)と笑って言われた。

とりあえず猫の耳…をめざしたいと高望みにゃ。

コメント
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