想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

午前11時2分 明日は我が身

2017-08-09 09:20:01 | Weblog
今日はナガサキの日。
72年経ちました。
赤ん坊のまま焼かれた人は72歳…
生き残った人は、放射能障害と
ケロイドを抱えたままの人生を
背負って生きていくことになった、
あいにく、他の場所より少しだけ
雲が切れて晴れ間があったという
長崎の街。

朝日新聞、asahi.com

8月の長崎は暑いです。
18、19、20歳と3回、長崎へ行き
ました。
始めての時、大きな平和祈念像の前で
みんなで写真を撮りました。

いくつかの会に別れて平和への議論
がなされていましたが、わたしは
そこを抜け出して、町なかを
ほっつき歩いて過ごしあとで怒られました。

ちゃんぽんを食べたり
カステラのお土産を買ったり
わたしは長崎を歩き
何を思っていたのか。
19歳の時も町を歩いた。
「わがひとに与ふる哀歌」を
手に持って。

反原爆闘争と反核運動とが同じ
長崎の地に集いながら別々にテント
を張り袂を分かっているのはなぜか。
不可解に思うことをなんでも口にして
しまって、先輩たちにあらぬ疑いの
目を向けられていたので、自分は
そこにいない方がいいとも
思ったのでした。

わたしの反原爆、反核の思いは
いま反原発となり日々の暮らしの
どまん中にあります。
平穏を奪われた地に住むひとの
悲惨は、身と心の両方を傷つけ
何ひとつ取り返すことはできないと
いうことです。
傷ついたまま、生きていくには
どうしたらいいのか、目を閉じずに
開けて、下を向かずに!
どうしたらいいのか、に答えられる
人などいません。


核の平和利用を唄い日本列島をぐるり
と囲んで建てられた原子力発電所!
この恐ろしさを、福島の爆発事故で
学んだはず、だった、
とすでに過去形になっている今、
今日くらいは、長崎のあの日に、
心を寄せてほしいと思います。


今朝のネットニュースには原爆の日
の文字がありませんでした。
広島の日は一日じゅう伝えられて
いましたが。


コメント
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