想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

あかね空の下で

2019-10-28 14:48:49 | Weblog
風の谷と名づけたこの森の写真を
プリントして母に送っている。
以前撮ったこの一枚は刻々と変わる夕景
を連写したもの。母の故郷にそっくり
なので、母は私が撮りに行ったと思い
ほんとうにありがとうと喜んでくれた。

原発事故から1年後の秋のある日、
まだベイビーといつも一緒だったから、
iphoneではなくカメラで撮っていた。
このブログはベイビーとの森の暮らしを
綴っていた数年間は毎日更新していた。
犬と暮らすということは、心動かすこと
感じることがたくさんあって、それだけ
書きたいことがあったということだ。
今にしてわかる。

縁側の野良猫ちゃんはかわいいし、
文句なしにフォトジェニックなんだが、





日記のように更新する理由にはならない。
ベイビーほどには気持ちを揺さぶらない。

ベイビーが逝ってから6年経ち少しずつ
涙が溢れて困るということはなくなった。
しんとした胸のなかで思い出の風景を
ぱらぱらとめくる。

母が東北の森の景色を見ながら
九州の山里にある我が家を思い出して
いるとき、ほかのどのときよりも
柔らかな笑みが浮かんでいる。

稲穂のうえを風が渡っていく。
風が吹いて夫婦になる、そうして実る。
母は語ってくれた。
風通しの悪い林の陰にあるような田は
人の手でさわさわと稲穂を撫でてやる。
苗を植えただけで、稲が成ると思って
おっただろう、そうはいかんとよ、と。

百姓にも智恵がいる。
米が成らん成らんという人もいたし
よけいに採れて人の面倒まで見ていた
兄さんのような人もいた。
田の土つくり、草刈りの日取り、天気、
水の見張りと、毎日休みなく働いて
わからんときは、学者先生に習いに
行きよった。そうしてうちの田んぼを
広げていった。
兄さんはまじめな人だったと、祖父の
後を継いだ伯父を懐かしんだ。

末から二番目の病弱な妹であった母を
伯父はあまり働かせなかったことを
もう忘れてしまって、妹をこき使って
わたしたち女は大変じゃったという。

大変じゃった、大変じゃったと
それは楽しそうに田んぼや山仕事の
話をしてくれた。
母は農業とは無縁の父と結婚したから
わたしは農家を知らないし、これまで
聞いたこともなかった事ばかりだ。

生き、生きて、老いたいま
時間をさかのぼり
佳き日、たのしき時に遊んでいる。
苛烈な日々の記憶から解き放たれ、
このまま一番楽しかった時だけを
残してほしいと願う。




ベイビーの写真を見ると母はわたしに
あんたは世話になったねえ、という。
よくわかってらっしゃる。

















コメント
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