小さな世界、小さなおうち、小さな…
福ちゃんは初ワクチンを打ちました。
体重は1500gになったん! と、
Yさんから写メ。
お祖母ちゃん江戸似、よろし!
束の間、喜びがこみ上げる……
小さないのちに救われる……
が、、、、小さなといえば、、、、
小さな政府という言葉が流行出した
のはいつからだったか、トリクルダウン
が幻、欺瞞であることは日本の現状を
見ればよくわかる、富はいつまでも
下へは降りてはこないのだ。
だって「吸い上げた」税金を使うのは
私たち、と最高責任者を自称する者が
言ってしまった。
左様、吸われすぎて、もう息をするのも
やっとの有り様な……歳月が長い。
やがて一年ぶり、貸した本が返ってきた。
一輪のバラといっしょに。
うれひーーーー。
花屋さんで買うバラはたいていが
香りがしない。だから買わないのだが
これはとてもいい香り! さすがに
伊勢丹のローズギャラリーのバラ。
イセタンは良い物を置いている。
その伊勢丹も三越も息も絶え絶えに
見える。中国人観光客が消え、店内が
歩きやすくなったのはいいけれど、
この二年ほどデパ地下はいつでも
ラッシュアワーだったからびみょう。
小さく地産地消を日本全体でやれて
それで雇用も生まれてこそ、小さな
政府の意味があるのだけど。
それ以前に市場競争を是として偏った
政策をとって、福祉を切り捨てたし、
公共サービスを劣化させてきた。
貧困層が増えたのに生活保護まで
狭き門にした。これはいったい誰の
ための政府だろうか。
豆苗は貧乏人の灯火かもしれん……
だがこの豆苗セットは元はとれない。
種と容器セットで770円也。
貧乏人はこんな容器は使わず、
スーパーの豆苗から何回も収穫
する。だから節約になるのだ。
スーパーでは100円で売ってるのも
あるから。
なのに、なにゆえにここにある?
それはその、気之迷ひ。
育っていくのを眺めたかった。
そんで、食べる。ありがたく。
これはミニバラ 580円だった。
この部屋では一番朝陽があたる
ここに置いた。よく育っている。
鉢に植え替え黒土を入れた。
写真ではわからないが、実はピンク
ではなくほんのりパープルなの、
パープルのバラが好きだけど
滅多にないから即買い、セール品
でありました。
仕事途中だったから、袋に入れて
もらい一日持ち歩いたけど、
好きなものは重くもなんとも……
つまり、気分の人。
休憩したドトールで、足元にきた。
なかなか去らないセキレイ、
誰かを待ってるのかな、君たちは
よく番いで遊んでるよね、仲良くね。
人からなんやかやと時事ネタで
意見を言われる。
あまり答えようがない。答えたくも
ない。日和見主義だからではない、
諦め。
そこからさらにさらに沈みこんでいる。
だから、何度目かで、やっと答える。
答えないと悪いから。
そして、正直に言う。
そしてひんしゅくを、買う。
もう、笑うしかない。
相づちがとことん下手。
にじみ出るのだな、たぶんな、
どうせ、わたしは…どうせ、の人。
わたしは、わたしたちは、小さな
存在であるからして。
確かに正しいことを言っているのは
わかるけれど、その正しさよりも
ほしいもの、恋い焦がれるものが
別にあるのだな、あたしは。
その正しさの根っこにあるものが
透かしてみえたときに俯く、か、笑う。
人間はとても難しい
というか、難しくはないものを
難しくしてしまったということ、当人は
気づかないけれど。
口にすることで気が晴れるというか
言わずにおられないということかも
しれないけれど……
正しさに酔ってしまうことはないか。
口にすればするほどに、さらに気持ち
が萎えていく。
そういう場合もある。
そういう人もいるのである。
わたしはそっちの人。
10年、20年、30年とだんだんと
しだいに言葉が少なくなった。
知識は増え、語れることはあまりない。
それでいいという気がする。
だって、お下がりで生きてる身分だ。
まだ知らないお下がりがたくさんある。
飽きることはない。
醒めてはいるが飽きてはいないのだ。
怒りつつ、諦めつつ、
知らないということを知っている。
(作品:川上順一)
「小さいおうち」中島京子原作、
山田洋次監督が映画化。
好きな作品だ。
昭和の十五年が戦争の時代であった
という後世の認識に反し、市井の
暮らしは……というお話から様々な
人の姿が見えてくる。
戦争は今も昔も戦地の前線の人しか
知らない。終末期の大空襲に至るまで
日本の銃後の人々は敵を知らなかった。
今、何が起きているのか、今だって
わかってはいないということを
知らないだろう。
未知の感染症を(都合の)よいことに
緊急事態宣言できる法律を決めとく、
そんなもくろみが着々、進んでいる。
13日に、という。あと三日。
私人の権利を規制しないように
なるべく考慮、と「吸い上げて」いる
人が言う。
小さなおうちから、みな出られない。
多くは望まない人が好きである。
福ちゃんは初ワクチンを打ちました。
体重は1500gになったん! と、
Yさんから写メ。
お祖母ちゃん江戸似、よろし!
束の間、喜びがこみ上げる……
小さないのちに救われる……
が、、、、小さなといえば、、、、
小さな政府という言葉が流行出した
のはいつからだったか、トリクルダウン
が幻、欺瞞であることは日本の現状を
見ればよくわかる、富はいつまでも
下へは降りてはこないのだ。
だって「吸い上げた」税金を使うのは
私たち、と最高責任者を自称する者が
言ってしまった。
左様、吸われすぎて、もう息をするのも
やっとの有り様な……歳月が長い。
やがて一年ぶり、貸した本が返ってきた。
一輪のバラといっしょに。
うれひーーーー。
花屋さんで買うバラはたいていが
香りがしない。だから買わないのだが
これはとてもいい香り! さすがに
伊勢丹のローズギャラリーのバラ。
イセタンは良い物を置いている。
その伊勢丹も三越も息も絶え絶えに
見える。中国人観光客が消え、店内が
歩きやすくなったのはいいけれど、
この二年ほどデパ地下はいつでも
ラッシュアワーだったからびみょう。
小さく地産地消を日本全体でやれて
それで雇用も生まれてこそ、小さな
政府の意味があるのだけど。
それ以前に市場競争を是として偏った
政策をとって、福祉を切り捨てたし、
公共サービスを劣化させてきた。
貧困層が増えたのに生活保護まで
狭き門にした。これはいったい誰の
ための政府だろうか。
豆苗は貧乏人の灯火かもしれん……
だがこの豆苗セットは元はとれない。
種と容器セットで770円也。
貧乏人はこんな容器は使わず、
スーパーの豆苗から何回も収穫
する。だから節約になるのだ。
スーパーでは100円で売ってるのも
あるから。
なのに、なにゆえにここにある?
それはその、気之迷ひ。
育っていくのを眺めたかった。
そんで、食べる。ありがたく。
これはミニバラ 580円だった。
この部屋では一番朝陽があたる
ここに置いた。よく育っている。
鉢に植え替え黒土を入れた。
写真ではわからないが、実はピンク
ではなくほんのりパープルなの、
パープルのバラが好きだけど
滅多にないから即買い、セール品
でありました。
仕事途中だったから、袋に入れて
もらい一日持ち歩いたけど、
好きなものは重くもなんとも……
つまり、気分の人。
休憩したドトールで、足元にきた。
なかなか去らないセキレイ、
誰かを待ってるのかな、君たちは
よく番いで遊んでるよね、仲良くね。
人からなんやかやと時事ネタで
意見を言われる。
あまり答えようがない。答えたくも
ない。日和見主義だからではない、
諦め。
そこからさらにさらに沈みこんでいる。
だから、何度目かで、やっと答える。
答えないと悪いから。
そして、正直に言う。
そしてひんしゅくを、買う。
もう、笑うしかない。
相づちがとことん下手。
にじみ出るのだな、たぶんな、
どうせ、わたしは…どうせ、の人。
わたしは、わたしたちは、小さな
存在であるからして。
確かに正しいことを言っているのは
わかるけれど、その正しさよりも
ほしいもの、恋い焦がれるものが
別にあるのだな、あたしは。
その正しさの根っこにあるものが
透かしてみえたときに俯く、か、笑う。
人間はとても難しい
というか、難しくはないものを
難しくしてしまったということ、当人は
気づかないけれど。
口にすることで気が晴れるというか
言わずにおられないということかも
しれないけれど……
正しさに酔ってしまうことはないか。
口にすればするほどに、さらに気持ち
が萎えていく。
そういう場合もある。
そういう人もいるのである。
わたしはそっちの人。
10年、20年、30年とだんだんと
しだいに言葉が少なくなった。
知識は増え、語れることはあまりない。
それでいいという気がする。
だって、お下がりで生きてる身分だ。
まだ知らないお下がりがたくさんある。
飽きることはない。
醒めてはいるが飽きてはいないのだ。
怒りつつ、諦めつつ、
知らないということを知っている。
(作品:川上順一)
「小さいおうち」中島京子原作、
山田洋次監督が映画化。
好きな作品だ。
昭和の十五年が戦争の時代であった
という後世の認識に反し、市井の
暮らしは……というお話から様々な
人の姿が見えてくる。
戦争は今も昔も戦地の前線の人しか
知らない。終末期の大空襲に至るまで
日本の銃後の人々は敵を知らなかった。
今、何が起きているのか、今だって
わかってはいないということを
知らないだろう。
未知の感染症を(都合の)よいことに
緊急事態宣言できる法律を決めとく、
そんなもくろみが着々、進んでいる。
13日に、という。あと三日。
私人の権利を規制しないように
なるべく考慮、と「吸い上げて」いる
人が言う。
小さなおうちから、みな出られない。
多くは望まない人が好きである。