想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

無為の意義

2012-09-30 14:06:19 | Weblog
意外と知られていない、というかほぼ知られていないこと
だが、古神道の奥義は無為無私であるよ(五鎮)。
無為ってすごく難しいんですね、無私以上に。

「私」とは何か、解ったうえでなお、無私は古神道にいう
神の道です。人にはなかなかできないことであります。
そこを承知して真似るんですね‥‥うふ。
このひとはほぼ毎日、無為です。寝て暮らす。

食って寝る、これは「私」のようで私でない域にすでに
達しておられるようなので省くとして、そのこと以外は
何もせずに流れにのって暮らしておられます。
しあわせなのか、どうなのか。そんなことも思いません。
すべてはおっかあしだいですから。
おっかあがボクの神なんつって、思っているふりをして
寝ています。おまかせ~。
為されるままであります。

いやー、重いです37kgを委ねられるのは。
補助ベルトをいやがってさせなかったのに、すっかり委ね
されるがまま、楽しています。己を知ったんですねー。
おかげでおっかあは、毎日ストレッチと筋トレで腰痛防止
に余念がありません。
これを一石二鳥と言いますね。
なんかないと身体を動かして鍛えようなんてしないもんで
この方のおかげです。



おいしそうな夏野菜は、新潟の糸魚川産、古い友人から。
素人の百姓が作りました。いえ、畑やってるだけで百姓には
なりきれていませんが、この夏はどうやら豊作のようです。
それに放射能汚染の心配がないからと持ってきてくれました。

百姓はとても難しいのですね、身体を使えばいいというもの
ではないので。
見えない気を読むとでもいいますか熟練ともなると、作物と
話すなんてあたりまえのことだそうで、土とも相談、自然と
一体となるんですね。これまた無為の域に近づくことかもしれ
ません。豊作かどうかは別として、土に触れていることが
どんな気持ちなのか、今度ゆっくり聞いてみたいと思います。
しあわせであることは確かなようです。

わかりきっていることをわかったように語ったり書いたり
つまらないことだとしみじみ思うこのごろ。
わかってることはいいから、わからないことをね、考える。
ほんとにわかっているんだろうか、大事なことをと。
もっと大事なことを‥と。
沈思黙考。





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