若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

稲刈りシーズンの農業ネタ ~やっぱり規制では何も解決できない~

2010年09月14日 | 政治
1町≒1haの田で米を作ると、およそ90万円の収入になる。
(計算の内訳は、↓こちらに書いたものを見てください)
○農村を動かす原動力は、農業生産にあらず - 若年寄の遺言


一方、福岡県内の町村における平均地価は、1平方メートルあたり27,800円。

○福岡県地価調査の概要 市区町村別平均価格・平均変動率表(用途別)

1町≒1ha=10,000平方メートルのお値段は、2億7800万円。

1町の田の稲作収入で2億7800万円稼ぎ出そうとすると、300年以上かかる。しかも、ただ黙って見ているだけでは稲は育たない。苗床づくり、田おこし、代かき、肥料やり、田植え、草刈り、除草剤撒き、水あて、稲刈り、籾すり・・・と、3月から9月まで、肉体労働が目白押し。

300年、何代にもわたって肉体労働をして2億7800万円稼ぐのが良いか。それとも、売り払って2億7800万円を手にするのが良いか。

「農業、米作りは銭勘定じゃない!」と怒られるかもしれない。確かにそうだ。植物を育てる喜び。自分で育てたものを自分で食べる喜び。先祖代々の田を守り受け継ぐ義務感。郷土愛。地域とのつながり。

でも、こうした感情は全ての人が共通して持っているわけではない。年間のうち7カ月にもわたる肉体労働。にもかかわらず、収入は90万円。米作りのノスタルジーを、肉体労働のきつさ・収入の低さからくる不満が上回ったとき、故郷に田があるということは心理的な負担・負債となる。

農村で生まれ、都会の学校に行き、都会で就職した人というのは多いだろう。就職してから40年間、経理や営業、企画、研究開発をやって収入を得ていたような人が、退職して故郷へ戻る。年老いた父から、60歳を過ぎて米作りを習う。そこで直面するのが、肉体労働のきつさ、低収入。おまけに、訳の分からない農家のしきたりや村の寄合もある。農機具が壊れて買い換えようとすれば、すぐ100万円、200万円とかかる。この人にとって、故郷の田が負担、負債となるのに時間はかからない。

もし、宅地開発業者が「お宅の田を売ってくれませんか?」と言ってきたら、「渡りに船!」とばかりに売り払うだろう。しかし、ゾーニング規制で宅地転用が禁止されたら、そうした活用の道は閉ざされる。いずれ、「年金も一応あるし、退職金もある。老後の生活はどうにかなる。きつい思いをしてまで田を作る必要なんてあるか!」と、耕作放棄地になるのがオチだろう。

心理的・肉体的・経済的負担の総合が、心理的・肉体的・経済的利益の総合を上回った時、放棄される。耕作放棄と育児放棄、その構造は似ているかもしれない。

(育児放棄、虐待に関しては、
○Libertarianism Japan Project
でさかんに議論されているので、是非こちらをご覧ください)

放棄されるのが良いか、それとも何らかの形で活用されるのが良いか。
放棄されることを食い止めるために、どれだけのコストがかかるか。
そもそも、放棄されることを役所の手法で食い止めることはできるのか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 阿久根実験場 ~ 職員を組... | トップ | アナルコ・キャピタリズムの芽 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

政治」カテゴリの最新記事