高齢者人口は、2000年に約2200万人でした。
これが2019年には約3600万人。1.6倍になっています。
他方、介護保険の総費用は、2000年に3.6兆円だったものが、2018年に11.1兆円と約3倍になりました。
この費用は、介護サービスを利用する高齢者の自己負担、高齢者全員の保険料負担、現役世代の保険料負担、そして税金で賄われています。
これだけ費用が膨らむことが予め示されていたら、反対する人も多かったのではないでしょうか。なぜこれ程なし崩し的に膨らんだのでしょうか。
枝野氏は
「ベーシックサービスを誰もが安い費用で利用できるようにする」
と述べています。彼らベーシックサービス論者に共通するのは、生活に必要なサービスなんだから、安い費用で利用できる環境を政府が整備すべきである、という考え方です。利用者や運営事業者に補助金を出したり保険給付したり、あるいは公営サービスとして政府や自治体が提供主体となれば、誰もが安い費用で利用できるようになる、と。
ここに落とし穴があります。
安い費用で利用できるようになると、今までサービス利用を希望していなかった人も
「切羽詰まった必要性はないけれど、無いよりは有った方がいい」
とサービス利用を希望するようになります。
さらに、自己負担ゼロになると
「サービスの中身が何か知らないけれど、タダなら利用するぞ」
という人まで出現します。
サービスの必要量、需要というのは、固定的なものではありません。AとBという二つのサービスがあって、今まではAの方が費用対効果でより満足を得られる選択肢だったところ、Bが公的保険適用で格安で利用できるようになれば、Bの方に多くの人が殺到します。
介護保険は利用者自己負担1割と見かけ上は安く提供されているため、「無いより有った方がいい」「元々はAの方が良くてBは劣悪割高だったけれど、Bが保険適用なら安く使えるBを」程度の需要を掘り起こしてしまいました。この結果、高齢者数の伸び率以上に利用者数が増え、介護給付費が増え、財源としての介護保険料と税金の投入額が増え、消費税増税の一因となり、それでも不足する分は赤字国債で補填・・・という悲惨な状態が生じています。
介護保険制度の「給付と負担」論議スタート、被保険者年齢などにまで切り込むか―社保審・介護保険部会 | GemMed | データが拓く新時代医療
氷河期世代についておさらいしましょう。
終身雇用・解雇規制が作用していると、正社員を解雇、減給するのは困難です。大手・ホワイトなところほど解雇規制の影響を受けます。この解雇規制の下、景気が悪化した時に正社員を容易に解雇できない中で、企業が最初に考える選択肢は新規採用数の削減です。
非正規切りの次は正社員 本格化する「コロナリストラ」の予兆 - ライブドアニュース
======【引用ここから】======
社員にとって、リストラは避けてもらいたいところだが、最大の関心は自分の会社が本当にリストラに踏み切るのかどうかだろう。実はその前兆がある。人事関係者に聞くと、以下のようなものだ。
①中途採用の凍結・来期の新卒採用の抑制や中止
②残業代の抑制
③経費の抑制(出張費・交際費の使用制限など)
④突然の役員陣の交代
⑤9月中間期決算の減収減益
⑥業界トップ企業の希望退職募集
======【引用ここまで】======
リーマン・ショックによる景気悪化を受けて多くの企業は新規採用数を減少させ、就職氷河期世代が発生しましたが、その根本原因は終身雇用・解雇規制の存在にあります。もともと終身雇用制を前提とした人事体系の下で中途採用が少ない中、不況期に既存の正社員雇用を守るため新規採用を抑制した結果が、氷河期世代です。
この反省を生かし、解雇規制の緩和や金銭解雇ルールを導入すべきでした。ところが、
「解雇規制ノ緩和ハ新自由主義ガー、経団連ガー、竹中ガー」
などという意味不明な反対に遭い、この岩盤規制を放置したまま今回のコロナ禍に突入してしまいました。コロナ禍による景気悪化をうけて、今年度、来年度の新規採用数が減少すれば、新たな氷河期世代の誕生です。
話が脇に逸れました。
特定の時点におけるサービス量を元に、
「金持ちから税金とれば、今の程度の量なら費用を賄える」
と安易に計算してベーシックサービスの格安提供を始めると、その次の年からサービス利用が激増し、その費用もうなぎのぼりになり、不足分の費用を賄うために別のところで増税しなきゃいけない、となります。
サービスの必要性は外部から客観的に観察できるようなものではなく、価格によって変わってしまう主観的で相対的なものです。人間は、希少性のあるいくつかのサービスの中から、価格を見ながらどれを利用したら自分の満足が向上するかを考えています。公営化・補助金・社会保険適用などによって、利用者の費用負担と実際のサービス提供に要する費用とが一致しないようになると、優先度や必要性の低いサービス、非効率なサービスを利用してしまうようになり、費用が増加し、かえって人々の生活を圧迫することになります。
枝野氏と同じように、価格メカニズムを軽視している人がいます。
『人新世の「資本論」』
でお馴染み、斎藤幸平氏です。
彼は、
「必要な財産やサービスは十分にある、誰もが利用できるはずだ。だけど私有されているからお金が無いと利用できない」
と述べています。
「脱資本主義」の次に人類が向かうのはどこか(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
コモンとは、人々が生きていくのに必要な共有財産のこと。水や医療が代表例です。資本主義はありとあらゆるものを商品化し価格をつける。生きていくうえで必要なものも、お金がないとアクセス不可能になってしまう。しかし資本主義以前には、土地や森林、川といった農業に必要なもの、つまりコモンは共有財として集団で管理されてきたのです。そのコモンが解体され、資本によって独占されたことで、貧富の差が生じたのです。
■「地球そのものがコモン」という考え方
──資本主義で進んだ商品化をやめ、再びコモンにしようというのがマルクス晩年の思想ということですね。
マルクスは究極的には「地球そのものがコモンだ」と言っています。土地や森林、あるいは電力も、本来は誰かのものではない。私有化して独占するから、希少性が生まれ、困窮する人々が出てくる。これが資本主義ですが、それをやめてコモンとしてシェアすれば、99%の私たちは豊かになる。それが、旧ソ連の共産主義とは異なる、コモン主義としての新しいコミュニズムです。
======【引用ここまで】======
共有財産として誰もがアクセスできるはずの水、医療、土地、森林、川、電力、これらのものを私有化して独占するから、希少性が生まれ困窮する人たちが生じる、と述べる斎藤氏。
枝野氏と同様、斎藤氏も誤っています。
例えば、斎藤氏がコモンの代表例として先頭に挙げた「水」ですが、これは歴史的にみて、集団的に管理しても全ての個人が必要なだけは確保できず、紛争のタネであり続けた典型例です。
水は、季節・年・地域によって存在する量が異なり、水源や水流を共有していようが独占していようが、少数者で管理していようが村人全員で管理していようが、足りない所では足りなくなります。田植えしようと思ったのに雨が少なくて水が足りず、10町の田のうち3町だけ水をあてて田植えをするか、全ての田植えを諦めるか、といった判断にも迫られるわけです。
これを、ある時は暴力に訴えて隣村の水路を打ち壊して自分の村の水路に水を流し、ある時は金を多く払った人が利用できるようにし、ある時はくじ引きで決め、ある時は話し合いで決めたわけですが、いずれにせよ、水を利用できる人とできない人が生じる中で、管理や分配方法に苦慮してきたわけです。
希少性は、様々な分野において大前提として存在しています。水・医療・土地・森林・川・電力、これらのものを、全ての人が利用したいだけ利用できる状態で存在している訳ではありません。希少性があるからこそ、その生産、管理、分配、利用方法をどうしたら良いだろうか、という問題が生じるのです。「私有化して独占するから、希少性が生まれ」る、という斎藤氏の主張は、順序が逆なのです。
もし、ある特定の商品やサービスが有り余っている状態であるにも関わらず、特定の個人や企業がそれを一人で抱え込み、他の多数の人の利用を妨げている・・・という状態であれば、
「コモンとしてシェアすれば、99%の私たちは豊かになる」
かもしれません。しかし、現実にはそんな状態はほぼ存在しません。「コモンだから誰もがアクセスできて当然だ、資本主義以前は誰もがアクセスできていた」というのは斎藤氏の妄想です。
ある地域で、保育士が5人、子供が100人いたとします。
これを、金持ちが保育士5人を独占して自分の子供1人の世話をさせているのであれば、「アクセスが妨げられている。保育士をみんなで共有しよう」というのも分かります。
しかし、実際に起きているのは、
・保育士1人が5人の子供の保育をするから保育園で預かることのできる子供の総数は25人。残りの子供75人は家族で育てる。
・質が低下するのを覚悟で保育士1人に20人の子供を保育させる。
・どうにかして保育士を増やす。
等等の中からの選択です。市場原理と価格メカニズムであれ、中央政府による収奪と配分であれ、脱成長コミュニズムであれ、希少性を解決しなければならないのは同じです。希少性問題が現に生じている分野において、
「脱商品化してコモンにして、みんなで管理する」
というのは、何の答えにもならないのです。
誰に負担をさせるのか、
誰をサービス提供に従事させるのか、
どの程度のサービスの質・量にするのか、
水・医療・土地・森林・川・電力などなどの全ての分野を「みんな」で検討し決めるのは非効率を通り越して不可能なのではないか、
分業した方が良いのではないか、
管理者を置くべきではないか、
そもそも「みんな」の範囲はどこまでか、
・・・これを詰めていくと、結局、斎藤氏の提唱するコモン主義の脱成長コミュニズムを徹底することで、旧ソ連と同じ道を辿ることになります。書記が共有財産の管理分配の実質的内容を定め、その書記の人事権を握る書記長が絶対的権力を握ったように。
斎藤氏には、コモンの具体的な管理運営方法を是非聞いてみたいものです。コモンにしてみんなで民主的に管理する、というのは、何の答えにもなっていません。希少性を無視できるのであれば、問題は初めから無かったも同然です。
コモンを掲げて「資本主義」から降りようと主張する斎藤氏、どこかでそっくりな話を聞いたなぁ・・・と思っていたら、市場からの撤退を主張する内田樹氏の話でした。共産主義は輪廻転生を繰り返すようです。
「共有財産にアクセスできなくなったのは、私有化・資本主義のせいだー」
という共産主義者のアジ演説、それを書籍化したのが『人新世の「資本論」』なのでしょう(読んでないけど)。
これが2019年には約3600万人。1.6倍になっています。
他方、介護保険の総費用は、2000年に3.6兆円だったものが、2018年に11.1兆円と約3倍になりました。
この費用は、介護サービスを利用する高齢者の自己負担、高齢者全員の保険料負担、現役世代の保険料負担、そして税金で賄われています。
これだけ費用が膨らむことが予め示されていたら、反対する人も多かったのではないでしょうか。なぜこれ程なし崩し的に膨らんだのでしょうか。
【見かけの負担軽減で需要増】
前回のブログで、立憲民主党の枝野氏インタビューを取り上げました。枝野氏ら左派リベラルは、生活に必要なサービスを誰もが利用できるようにしよう、という主張をしています。「ベーシックサービス」と呼ばれる彼らの主張によれば、介護サービスもベーシックサービスの一つと位置付けられています。枝野氏は
「ベーシックサービスを誰もが安い費用で利用できるようにする」
と述べています。彼らベーシックサービス論者に共通するのは、生活に必要なサービスなんだから、安い費用で利用できる環境を政府が整備すべきである、という考え方です。利用者や運営事業者に補助金を出したり保険給付したり、あるいは公営サービスとして政府や自治体が提供主体となれば、誰もが安い費用で利用できるようになる、と。
ここに落とし穴があります。
安い費用で利用できるようになると、今までサービス利用を希望していなかった人も
「切羽詰まった必要性はないけれど、無いよりは有った方がいい」
とサービス利用を希望するようになります。
さらに、自己負担ゼロになると
「サービスの中身が何か知らないけれど、タダなら利用するぞ」
という人まで出現します。
サービスの必要量、需要というのは、固定的なものではありません。AとBという二つのサービスがあって、今まではAの方が費用対効果でより満足を得られる選択肢だったところ、Bが公的保険適用で格安で利用できるようになれば、Bの方に多くの人が殺到します。
介護保険は利用者自己負担1割と見かけ上は安く提供されているため、「無いより有った方がいい」「元々はAの方が良くてBは劣悪割高だったけれど、Bが保険適用なら安く使えるBを」程度の需要を掘り起こしてしまいました。この結果、高齢者数の伸び率以上に利用者数が増え、介護給付費が増え、財源としての介護保険料と税金の投入額が増え、消費税増税の一因となり、それでも不足する分は赤字国債で補填・・・という悲惨な状態が生じています。
介護保険制度の「給付と負担」論議スタート、被保険者年齢などにまで切り込むか―社保審・介護保険部会 | GemMed | データが拓く新時代医療
【氷河期世代へのしわ寄せ】
ちなみに、40代になった就職氷河期世代は、このしわ寄せも受けています。解雇規制によって新卒正社員の道を閉ざされた彼らが、今度は、介護保険料と税金という形で、解雇規制に守られながら定年退職を迎えた団塊世代の介護費用を負担させられています。氷河期世代についておさらいしましょう。
終身雇用・解雇規制が作用していると、正社員を解雇、減給するのは困難です。大手・ホワイトなところほど解雇規制の影響を受けます。この解雇規制の下、景気が悪化した時に正社員を容易に解雇できない中で、企業が最初に考える選択肢は新規採用数の削減です。
非正規切りの次は正社員 本格化する「コロナリストラ」の予兆 - ライブドアニュース
======【引用ここから】======
社員にとって、リストラは避けてもらいたいところだが、最大の関心は自分の会社が本当にリストラに踏み切るのかどうかだろう。実はその前兆がある。人事関係者に聞くと、以下のようなものだ。
①中途採用の凍結・来期の新卒採用の抑制や中止
②残業代の抑制
③経費の抑制(出張費・交際費の使用制限など)
④突然の役員陣の交代
⑤9月中間期決算の減収減益
⑥業界トップ企業の希望退職募集
======【引用ここまで】======
リーマン・ショックによる景気悪化を受けて多くの企業は新規採用数を減少させ、就職氷河期世代が発生しましたが、その根本原因は終身雇用・解雇規制の存在にあります。もともと終身雇用制を前提とした人事体系の下で中途採用が少ない中、不況期に既存の正社員雇用を守るため新規採用を抑制した結果が、氷河期世代です。
この反省を生かし、解雇規制の緩和や金銭解雇ルールを導入すべきでした。ところが、
「解雇規制ノ緩和ハ新自由主義ガー、経団連ガー、竹中ガー」
などという意味不明な反対に遭い、この岩盤規制を放置したまま今回のコロナ禍に突入してしまいました。コロナ禍による景気悪化をうけて、今年度、来年度の新規採用数が減少すれば、新たな氷河期世代の誕生です。
話が脇に逸れました。
特定の時点におけるサービス量を元に、
「金持ちから税金とれば、今の程度の量なら費用を賄える」
と安易に計算してベーシックサービスの格安提供を始めると、その次の年からサービス利用が激増し、その費用もうなぎのぼりになり、不足分の費用を賄うために別のところで増税しなきゃいけない、となります。
サービスの必要性は外部から客観的に観察できるようなものではなく、価格によって変わってしまう主観的で相対的なものです。人間は、希少性のあるいくつかのサービスの中から、価格を見ながらどれを利用したら自分の満足が向上するかを考えています。公営化・補助金・社会保険適用などによって、利用者の費用負担と実際のサービス提供に要する費用とが一致しないようになると、優先度や必要性の低いサービス、非効率なサービスを利用してしまうようになり、費用が増加し、かえって人々の生活を圧迫することになります。
【私有化から希少性が生じるという謎理論】
ところで。枝野氏と同じように、価格メカニズムを軽視している人がいます。
『人新世の「資本論」』
でお馴染み、斎藤幸平氏です。
彼は、
「必要な財産やサービスは十分にある、誰もが利用できるはずだ。だけど私有されているからお金が無いと利用できない」
と述べています。
「脱資本主義」の次に人類が向かうのはどこか(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
コモンとは、人々が生きていくのに必要な共有財産のこと。水や医療が代表例です。資本主義はありとあらゆるものを商品化し価格をつける。生きていくうえで必要なものも、お金がないとアクセス不可能になってしまう。しかし資本主義以前には、土地や森林、川といった農業に必要なもの、つまりコモンは共有財として集団で管理されてきたのです。そのコモンが解体され、資本によって独占されたことで、貧富の差が生じたのです。
■「地球そのものがコモン」という考え方
──資本主義で進んだ商品化をやめ、再びコモンにしようというのがマルクス晩年の思想ということですね。
マルクスは究極的には「地球そのものがコモンだ」と言っています。土地や森林、あるいは電力も、本来は誰かのものではない。私有化して独占するから、希少性が生まれ、困窮する人々が出てくる。これが資本主義ですが、それをやめてコモンとしてシェアすれば、99%の私たちは豊かになる。それが、旧ソ連の共産主義とは異なる、コモン主義としての新しいコミュニズムです。
======【引用ここまで】======
共有財産として誰もがアクセスできるはずの水、医療、土地、森林、川、電力、これらのものを私有化して独占するから、希少性が生まれ困窮する人たちが生じる、と述べる斎藤氏。
枝野氏と同様、斎藤氏も誤っています。
例えば、斎藤氏がコモンの代表例として先頭に挙げた「水」ですが、これは歴史的にみて、集団的に管理しても全ての個人が必要なだけは確保できず、紛争のタネであり続けた典型例です。
水は、季節・年・地域によって存在する量が異なり、水源や水流を共有していようが独占していようが、少数者で管理していようが村人全員で管理していようが、足りない所では足りなくなります。田植えしようと思ったのに雨が少なくて水が足りず、10町の田のうち3町だけ水をあてて田植えをするか、全ての田植えを諦めるか、といった判断にも迫られるわけです。
これを、ある時は暴力に訴えて隣村の水路を打ち壊して自分の村の水路に水を流し、ある時は金を多く払った人が利用できるようにし、ある時はくじ引きで決め、ある時は話し合いで決めたわけですが、いずれにせよ、水を利用できる人とできない人が生じる中で、管理や分配方法に苦慮してきたわけです。
希少性は、様々な分野において大前提として存在しています。水・医療・土地・森林・川・電力、これらのものを、全ての人が利用したいだけ利用できる状態で存在している訳ではありません。希少性があるからこそ、その生産、管理、分配、利用方法をどうしたら良いだろうか、という問題が生じるのです。「私有化して独占するから、希少性が生まれ」る、という斎藤氏の主張は、順序が逆なのです。
もし、ある特定の商品やサービスが有り余っている状態であるにも関わらず、特定の個人や企業がそれを一人で抱え込み、他の多数の人の利用を妨げている・・・という状態であれば、
「コモンとしてシェアすれば、99%の私たちは豊かになる」
かもしれません。しかし、現実にはそんな状態はほぼ存在しません。「コモンだから誰もがアクセスできて当然だ、資本主義以前は誰もがアクセスできていた」というのは斎藤氏の妄想です。
【希少性と管理分配方法】
枝野氏が主張するベーシックサービス、あるいは斎藤氏がコモンで管理せよと主張する分野の一つに「保育」があります。ある地域で、保育士が5人、子供が100人いたとします。
これを、金持ちが保育士5人を独占して自分の子供1人の世話をさせているのであれば、「アクセスが妨げられている。保育士をみんなで共有しよう」というのも分かります。
しかし、実際に起きているのは、
・保育士1人が5人の子供の保育をするから保育園で預かることのできる子供の総数は25人。残りの子供75人は家族で育てる。
・質が低下するのを覚悟で保育士1人に20人の子供を保育させる。
・どうにかして保育士を増やす。
等等の中からの選択です。市場原理と価格メカニズムであれ、中央政府による収奪と配分であれ、脱成長コミュニズムであれ、希少性を解決しなければならないのは同じです。希少性問題が現に生じている分野において、
「脱商品化してコモンにして、みんなで管理する」
というのは、何の答えにもならないのです。
誰に負担をさせるのか、
誰をサービス提供に従事させるのか、
どの程度のサービスの質・量にするのか、
水・医療・土地・森林・川・電力などなどの全ての分野を「みんな」で検討し決めるのは非効率を通り越して不可能なのではないか、
分業した方が良いのではないか、
管理者を置くべきではないか、
そもそも「みんな」の範囲はどこまでか、
・・・これを詰めていくと、結局、斎藤氏の提唱するコモン主義の脱成長コミュニズムを徹底することで、旧ソ連と同じ道を辿ることになります。書記が共有財産の管理分配の実質的内容を定め、その書記の人事権を握る書記長が絶対的権力を握ったように。
斎藤氏には、コモンの具体的な管理運営方法を是非聞いてみたいものです。コモンにしてみんなで民主的に管理する、というのは、何の答えにもなっていません。希少性を無視できるのであれば、問題は初めから無かったも同然です。
コモンを掲げて「資本主義」から降りようと主張する斎藤氏、どこかでそっくりな話を聞いたなぁ・・・と思っていたら、市場からの撤退を主張する内田樹氏の話でした。共産主義は輪廻転生を繰り返すようです。
「共有財産にアクセスできなくなったのは、私有化・資本主義のせいだー」
という共産主義者のアジ演説、それを書籍化したのが『人新世の「資本論」』なのでしょう(読んでないけど)。