若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

フェアトレードと自由主義をざっくりと考える

2010年10月24日 | 政治
フェアトレード リソース センター● フェアトレードへの批判に答える
興味深いことにフェアトレードは、全く正反対の立場を取る二つの主義の人たちから批判を受けます。一つはいわゆる「新自由主義(ネオリベラル)」「市場原理主義」な人たちで、もう一方は、貿易自体を否定する「超オルタナティブ」と言うか、「反貿易的」な人たちです。
ネオリベラル、市場原理の人たちの言い分は分かりやすく言いますと、「経済は全ての規制をとっぱらって、干渉が少なければ少ないほど良い。そうすれば、いわゆる『神の見えざる手』が働いて、効率的になる。だからフェアトレードのように需要供給を無視した人為的な価格設定など言語道断。」と言った論調です。



ここで挙げられている「新自由主義(ネオリベラル)」は、古典派自由主義やリバタリアニズム、無政府資本主義が含まれたものと思われる。

さて、「新自由主義」な人は、本当に
「需要供給を無視した人為的な価格設定など言語道断」
なんてことを言うだろうか。

私は、言わないと思う。自由主義者であれば
「フェアトレード団体が一杯のコーヒーを他店の2割増の値段で売ろうが、2倍の値段で売ろうが、それは売り手の自由」
と言うはずだ。

売り手の付けた値段と、量、質、信用あるいは理念などを総合的に天秤にかけ、買い手が受け入れればそれでよし。買い手が
「フェアトレード?途上国生産者の貧困?知ったことか。俺は美味いコーヒーを出来るだけ安く飲みたいんだ。」
と判断するのもまた自由。売れ残ったら、フェアトレード団体に価格設定ミスのツケが回るだけの話。

生産者からフェアトレード団体が買い取る時の金額というのは、途上国で働く生産者が貧困から抜け出せるよう、通常よりも高い価格が設定される。高品質だから高い価格が設定されるのではなく、貧困から抜け出すために高い価格が設定される。フェアトレードの高価格は品質ではなく「貧困から生産者を救う」という理念が根拠となっている。

「私は、ちょっと割高なフェアトレード商品を買うことによって、貧困の解消に貢献している」
という満足感を得るため、消費者がフェアトレード商品を利用する。それは結構なこと。あなたの財布であなたが満足を買うことを、誰も咎めはしない。

ただ、これがフェアトレード団体の側から
「なぜフェアトレード商品を利用しないの?もっと利用するべきだ」
と言われると、ちょっと鼻につく。

たとえば・・・

第117号 フェアトレードの市場規模 2006年度FLO年次報告から(メルマガバックナンバー) | フェアトレード情報室
企業のCSR(社会的責任)の一環として、フェアトレードラベルの付いた商品を扱う大手流通業者がここ数年日本でも増えてきました。
前回お伝えしたとおり、コンビニとか大手スーパーの売り場で普通にフェアトレードのコーヒーや紅茶などが売られるようになってきています。それに伴い、フェアトレード商品を見かける機会はたいへん増えてはいるわけですが、 実際にはそれほど売れてはいないことが、統計数字から明らかになりました。
6億円以上という数字だけを見ると大きな数字に見えますが、国民一人当たりでは年間5円の購入額にもなりません。
まだまだ伸びる余地はこの国にはあるはずですが、この手の商品や運動的なものへの関心は、日本では高くないのが現状です。
毎年たくさんの学生がフェアトレードの勉強をしているはずです。だったらもっとフェアトレードの商品が売れていても良いように思いますが、彼ら彼女から卒業後はどうしているのでしょう?勉強しただけで、フェアトレード商品は使っていないのでしょうか?
せっかくフェアトレードの勉強をしたなら、日常の中でぜひ、フェアトレードのものを使って欲しいと思います。
当店で購入いただければとてもうれしいです。^^;




このように、多くの人がフェアトレード商品を利用しない理由を挙げてみる。

・割高。
・フェアトレードの理念に対価を払う気がない。
・値段に比べて質が悪い。
・フェアトレード商品のうち、いくら生産者に渡ったかが見えない。

・・・などなど、理由はいろいろあるだろう。
しかし、売れない理由を消費者の無関心や不勉強のせいにしてしまってはおしまいだ。企業努力が足りない。一つ一つの商品の値札に、
「このコーヒーを1000円分買うと、メキシコの山奥に住むフアンさんにX円支払われます。」
と表示する位の努力はしなきゃ。
(実際に内訳を公表したら、フアンさんに渡された金額が予想より少なくて「貧困解消に貢献している!」という満足感を削いでしまうのかもしれない。)

フェアトレード団体は、途上国の生産者と多国籍企業との情報の非対称性を槍玉に挙げている。その一方で、フェアトレード団体と消費者との情報の非対称性を解消しようとする努力が足りていない。そう思う。


さてさて。

フェアトレード団体と自由主義者は、これから上手くやっていけるだろうか。

フェアトレード団体がネスレやコヨーテといった中間流通業者と同じ土俵で競争している限り、問題ない。しかし、上記リンク先のような「企業はもっと社会的責任を果たせ」という論調がエスカレートし、フェアトレード団体が政治力を持ち、生産者から買い取る価格や小売価格に一定の金額を上乗せすることが法的に義務付けられたり、目的税としてのフェアトレード税なんてものが出てきたら、フェアトレード団体と自由主義者との溝は決定的なものとなる。

一方で、

オックスファム・ジャパン 先進国が作る貿易ルール
先進国が経営するほんのひと握りの多国籍企業が、穀物貿易の90%を支配しています。貧しい国々が豊かな国々へ作物を輸出しようとするときに、高い関税が立ちはだかり、もともとの値段よりも高い値段で売らなくてはなりません。一方で、貧しい国々は、「自由貿易」を理由に関税の撤廃が押し付けられ、そこに補助金で安くされた先進国の作物が売り捨てられています。こうして、貧しい国の農家はどんどん市場から閉め出されています。


というように、先進国が国内農家へ渡す農業補助金や、輸入品にかける関税が貧困の原因だと主張する団体もある。先進国がかける関税や補助金を批判する点で、フェアトレード団体と自由主義者は手を結べるかもしれない。

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