先日、一瞬つけたNHKのテレビ番組に、派遣村でお馴染みの内閣府参与・湯浅誠が出演していた(NHK『日本の、これから』無縁社会)。画面の向こう側で、彼は馴染みの無い言葉を発していた。
「パーソナルサポートサービス」
そりゃ、なんじゃ?
ということで、調べてみると・・・
○パーソナル・サポート(個別支援)サービスについて 平成22年5月11日 内閣府
○利用者に対して、「パーソナル・サポーター」が、個別的(マン・ツー・マン原則)かつ継続的に、相談・カウンセリングや各サービスに〈つなぎ〉、また〈もどす〉役割を担う。
・イメージは「専門知識をもつ友人」。友人は、病院を退院しても、生活保護を脱却しても、友人であることを止めない。
政府派遣の公的な友人「パーソナル・サポーター」が、利用者にマン・ツー・マンで寄り添い、継続的に相談に乗る。生活保護や障害福祉、医療保険、介護保険、雇用保険、就労支援、住居支援、各種貸付などの制度横断的な専門知識を生かし、依頼者の状態にあった形に制度を組み合わせ、就労を促し、自立へ導く。自立後も、継続的に見守りを行っていく。
・・・という制度らしい。
別のところで、彼はこの制度の理念や背景を語っている。
○湯浅誠 事務局長 インタビュー [2/2ページ] 湯浅誠 事務局長 / 内閣府本府参与 - インタビューサイト SMPY
スローガン風に言うと「みんなが人間らしく暮らせる社会」というのを目指しているわけですが、そんな理想論を語っても現状は改善しないわけで、目の前にあることに地道に取り組むしかないと思っています。具体的に今取り組んでいることの一つに「パーソナルサポートサービス制度」というのを実施するための仕組みを整備するという仕事があります。それはどういうものかというと、現行の保障制度、例えば障害者に対する保障、雇用保険、生活保護といったのもがありますが、そういう制度には埋めきれない隙間があります。この隙間を埋めていたものが家族であったり、友人であったり、地域のつながりであったりしたわけですが、そのような隙間を埋めてくれるものを持たない人が保障の隙間に落ち込んでしまって貧困問題になっているわけです。では、そういった家族、友人、地域が埋めてきた領域を公的に埋めることができないか、そういう発想の個別支援が「パーソナルサポートサービス制度」です。2010年の秋には5つ、2011年度には約20のモデル事業の実施を予定しています。
いつも思うのだが、この湯浅という人の発想・思考法は気持ち悪い。
彼の脳内では、家族や友人、地域のつながりというものが、各種社会保障制度と制度の隙間を埋めるものでしかない。彼の理解では、まず最初に各種の社会保障制度がある。
主:政府による社会保障 従:家族、友人、地域
社会保障制度があるのを前提とし、その隙間を埋めるもの、制度を補完するものとして、家族や友人、地域のつながりがある。制度の隙間が家族等で補完されていれば、その人は貧困に陥らない。社会保障制度の隙間を埋めるものがなければ、別の制度を作って制度の隙間を埋め、貧困を防ぐ必要がある、と。
ここから一歩突っ込んでいくと、
家族や友人、地域のつながりがなくても、制度がしっかりしていて、かつその隙間を埋める制度があれば良い。隙間を埋める制度があれば、家族や友人は不要だ。いなくても生きていける。家族や友人がいなくても、貧困に陥ることなく、人間らしく生きていければそれで良い。そういう生活を保障し環境を整えることが社会の責任だ。
・・・となるのだろう。
「家族や友人がいなくても大丈夫。常に寄り添ってくれる政府派遣の友人=パーソナルサポーターがあなたの生活に密着して責任をもってサポートします。」というわけだ。この制度のモデル事業は、今年から早速スタートする。
○asahi.com(朝日新聞社):アナタだけの生活再建、考えます 失業支援でモデル事業 2010年10月6日
ここで挙げられている具体例を見て、かなり驚いた。
パーソナルサポーターが利用者の生活状態を把握し、生活保護申請を手伝い、心療内科へ同行し、法テラスへ連れて行き、アパート探しを手伝い、友達づくりを手伝い、バイト先まで手配し、ハローワークへ連れて行き、正社員になるまで見守る・・・
ここに、問題の一つ目が見てとれる。
至れり尽くせりが過ぎるのだ。
手取り足取り。おんぶにだっこ。
しかも、ざっと調べたところ利用者負担は無さそう。あっても低額だろう。
これで依存心が生じないわけがない。
例えば・・・
父「お前、仕事探しもしないで毎日ゴロゴロして・・・俺達が元気なうちはいいが、死んだり寝込んだりしたらどうするんだ!」
子「親の稼ぎがあるうちは、ゴロゴロしてる。親父とお袋が死んだら、パーソナルサポーターに全部世話してもらうから大丈夫。」
・・・なんてニートが言い出す日は、そう遠くない。
(ドラマ『フリーター、家を買う』は、第1話から崩壊してしまうだろう。)
家庭の事情で高校に行かず、中学卒業と同時に働きだして家計を支える人。
50社、100社と面接ではじかれ、どうにか就職を自力で見つけた人。
クビになってから、独立開業して飲食店を営む人。
このような自分で努力してきた人と、パーソナルサポーターに手伝ってもらった人。頑張らない者ほど手厚い支援。この制度は、不合理な格差を、税金を使って助長することになる。依存した者勝ち。寄らば制度の陰、だ。
問題の二つ目。
手厚い支援の一方で、利用料は無料か低額。
制度の知名度が上がれば上がるほど、利用を希望する人は増えるだろう。
各種手続きを案内し、同行して手伝うとなると、場合によっては行政書士や社会保険労務士が従来行っていたようなことに手を出すケースも出てくるだろう。士業に頼むとかなりの相談料や手数料を取られるところ、同様の専門的知識を持つパーソナルサポーターに頼むとタダになる。
知名度が一定以上になった時点で、需要過多の状態が慢性化するだろう。
パーソナルサポーターの予約待ち、順番待ちは当たり前。パーソナルサポーターを利用できるかどうかの審査が厳格になったり、パーソナルサポーターを利用するために紹介が必要になったりするかもしれない。各種社会保障制度や支援制度へ利用者をつなぐのがパーソナルサポーターなのに、そのパーソナルサポーターへつなぐ新たな制度が必要になる。
問題の三つ目。
無理が通れば道理が引っ込む。公助が通れば自助・共助が引っ込む。
老齢年金が充実すればするほど、自分で老後の備えをしよう、とか、老後の面倒をきちんと見てもらえるようしっかりと子供を育てよう、といった意識が薄れる。
介護保険が充実すればするほど、家族や近所の人が介護の場から離れていく。
パーソナルサポートサービス制度が充実すればするほど、自力で生活を立て直そうという意識が薄れる。
冒頭のテレビ番組の中で、湯浅誠は
「縁は、地縁、血縁、職場の社縁の3つがあった。今はその3つの縁が減退している。」
なんてことを言っていたが、減退の原因としては、社会保障制度が幅広い分野に及ぶようになったことが大きいだろう。
ただ、社会保障制度が様々な分野に広がったとはいえ、まだまだ穴だらけ。だからこそ家族の縁、地域の縁がまだ幾らか機能しているが、この穴が新たな制度によって埋められていけば、血縁や地縁の機能はますます薄れていくだろう。ボランティアで行われていた相談事業なども、新たな制度の登場で駆逐されてしまうだろう。
問題の四つ目。
社会保障制度を広げる過程で必要なのが、所得や資産、家族構成、病歴、職歴、学歴といった個人情報の把握だ。これに加えて、パーソナルサポートサービスは密着型・寄り添い型の制度であるため、日常生活の事細かな部分まで把握されることになる。政府による監視・管理社会のできあがりだ。
しかも昨今、児童虐待や老人の孤独死などを受けて、児童相談所や市町村などの立入権限強化が主張されている。パーソナルサポーターの権限が強いものとなったら、自宅の中をパンツ姿で歩くことすら適わなくなるかもしれない。
問題の五つ目。
パーソナルサポーターとよく似た相談・つなぎ・支援事業をしている所として、共産党などがやっている相談事業がある。
○何でも相談用 | 日本共産党 埼玉県委員会
共産党の場合、相談に来た人の問題を解決する中で、投票をお願いしたり、入党を勧めたりといったことを行っているだろう。勧められた方も、相談に乗ってもらった手前、無下に断ることは出来ないはずだ。
一方、パーソナルサポーターには公務員か、あるいは役所から委託を受けたNPO職員などが就くと思われるので、表立った政治活動は出来ない。しかし、あくまでも表立っては出来ないというだけで、実際は友人として密着し寄り添っているのだから、その過程でどんな勧誘も可能だろう。
かつて私が、保険料徴収に行った先で老人の身の上話を聞いていたら、
「あんたは優しいねぇ。私にできることと言っても何もないが、毎回選挙には行くよ。次の選挙、どこに投票したら良いかい?」
と尋ねられたことがある。その時は、
「いやいや、自分で考えて、良いと思う人に投票してください」
と受け流したが、私が組合活動に熱心な者だったら、迷うことなく組合推薦候補に一票をお願いするところだ。こうした行為は当然、地方公務員法や公職選挙法の何かに抵触するだろうが、そこで交わされた会話を外部が知る術はない。
保険料の徴収に行って、身の上話を聞いただけでこれだ。
寄り添い型のパーソナルサポーターなら、利用者は当然恩を感じるであろうし、生活状況を事細かに把握された結果として弱みまで握られることもあるだろう。利用者の一票はパーソナルサポーターの手の中にあると言っても過言ではない。
税金を使った事業で、税金で飯を食う者が自己の票を増やす。
・・・と、「多分起こるであろう」事態から、「これはさすがに杞憂かな」という事態まで、色々書いてみた。色々考えてみるも、肯定的な感想が全く出てこない。「隷属への道」を最短コースで突っ走っている気がしてならない。
今の政権は、湯浅誠という筋金入りの社会主義者が政権中枢に入り込み、自身の思想を政策化し、予算化している。恐ろしい世の中になったものだ。
「パーソナルサポートサービス」
そりゃ、なんじゃ?
ということで、調べてみると・・・
○パーソナル・サポート(個別支援)サービスについて 平成22年5月11日 内閣府
○利用者に対して、「パーソナル・サポーター」が、個別的(マン・ツー・マン原則)かつ継続的に、相談・カウンセリングや各サービスに〈つなぎ〉、また〈もどす〉役割を担う。
・イメージは「専門知識をもつ友人」。友人は、病院を退院しても、生活保護を脱却しても、友人であることを止めない。
政府派遣の公的な友人「パーソナル・サポーター」が、利用者にマン・ツー・マンで寄り添い、継続的に相談に乗る。生活保護や障害福祉、医療保険、介護保険、雇用保険、就労支援、住居支援、各種貸付などの制度横断的な専門知識を生かし、依頼者の状態にあった形に制度を組み合わせ、就労を促し、自立へ導く。自立後も、継続的に見守りを行っていく。
・・・という制度らしい。
別のところで、彼はこの制度の理念や背景を語っている。
○湯浅誠 事務局長 インタビュー [2/2ページ] 湯浅誠 事務局長 / 内閣府本府参与 - インタビューサイト SMPY
スローガン風に言うと「みんなが人間らしく暮らせる社会」というのを目指しているわけですが、そんな理想論を語っても現状は改善しないわけで、目の前にあることに地道に取り組むしかないと思っています。具体的に今取り組んでいることの一つに「パーソナルサポートサービス制度」というのを実施するための仕組みを整備するという仕事があります。それはどういうものかというと、現行の保障制度、例えば障害者に対する保障、雇用保険、生活保護といったのもがありますが、そういう制度には埋めきれない隙間があります。この隙間を埋めていたものが家族であったり、友人であったり、地域のつながりであったりしたわけですが、そのような隙間を埋めてくれるものを持たない人が保障の隙間に落ち込んでしまって貧困問題になっているわけです。では、そういった家族、友人、地域が埋めてきた領域を公的に埋めることができないか、そういう発想の個別支援が「パーソナルサポートサービス制度」です。2010年の秋には5つ、2011年度には約20のモデル事業の実施を予定しています。
いつも思うのだが、この湯浅という人の発想・思考法は気持ち悪い。
彼の脳内では、家族や友人、地域のつながりというものが、各種社会保障制度と制度の隙間を埋めるものでしかない。彼の理解では、まず最初に各種の社会保障制度がある。
主:政府による社会保障 従:家族、友人、地域
社会保障制度があるのを前提とし、その隙間を埋めるもの、制度を補完するものとして、家族や友人、地域のつながりがある。制度の隙間が家族等で補完されていれば、その人は貧困に陥らない。社会保障制度の隙間を埋めるものがなければ、別の制度を作って制度の隙間を埋め、貧困を防ぐ必要がある、と。
ここから一歩突っ込んでいくと、
家族や友人、地域のつながりがなくても、制度がしっかりしていて、かつその隙間を埋める制度があれば良い。隙間を埋める制度があれば、家族や友人は不要だ。いなくても生きていける。家族や友人がいなくても、貧困に陥ることなく、人間らしく生きていければそれで良い。そういう生活を保障し環境を整えることが社会の責任だ。
・・・となるのだろう。
「家族や友人がいなくても大丈夫。常に寄り添ってくれる政府派遣の友人=パーソナルサポーターがあなたの生活に密着して責任をもってサポートします。」というわけだ。この制度のモデル事業は、今年から早速スタートする。
○asahi.com(朝日新聞社):アナタだけの生活再建、考えます 失業支援でモデル事業 2010年10月6日
ここで挙げられている具体例を見て、かなり驚いた。
パーソナルサポーターが利用者の生活状態を把握し、生活保護申請を手伝い、心療内科へ同行し、法テラスへ連れて行き、アパート探しを手伝い、友達づくりを手伝い、バイト先まで手配し、ハローワークへ連れて行き、正社員になるまで見守る・・・
ここに、問題の一つ目が見てとれる。
至れり尽くせりが過ぎるのだ。
手取り足取り。おんぶにだっこ。
しかも、ざっと調べたところ利用者負担は無さそう。あっても低額だろう。
これで依存心が生じないわけがない。
例えば・・・
父「お前、仕事探しもしないで毎日ゴロゴロして・・・俺達が元気なうちはいいが、死んだり寝込んだりしたらどうするんだ!」
子「親の稼ぎがあるうちは、ゴロゴロしてる。親父とお袋が死んだら、パーソナルサポーターに全部世話してもらうから大丈夫。」
・・・なんてニートが言い出す日は、そう遠くない。
(ドラマ『フリーター、家を買う』は、第1話から崩壊してしまうだろう。)
家庭の事情で高校に行かず、中学卒業と同時に働きだして家計を支える人。
50社、100社と面接ではじかれ、どうにか就職を自力で見つけた人。
クビになってから、独立開業して飲食店を営む人。
このような自分で努力してきた人と、パーソナルサポーターに手伝ってもらった人。頑張らない者ほど手厚い支援。この制度は、不合理な格差を、税金を使って助長することになる。依存した者勝ち。寄らば制度の陰、だ。
問題の二つ目。
手厚い支援の一方で、利用料は無料か低額。
制度の知名度が上がれば上がるほど、利用を希望する人は増えるだろう。
各種手続きを案内し、同行して手伝うとなると、場合によっては行政書士や社会保険労務士が従来行っていたようなことに手を出すケースも出てくるだろう。士業に頼むとかなりの相談料や手数料を取られるところ、同様の専門的知識を持つパーソナルサポーターに頼むとタダになる。
知名度が一定以上になった時点で、需要過多の状態が慢性化するだろう。
パーソナルサポーターの予約待ち、順番待ちは当たり前。パーソナルサポーターを利用できるかどうかの審査が厳格になったり、パーソナルサポーターを利用するために紹介が必要になったりするかもしれない。各種社会保障制度や支援制度へ利用者をつなぐのがパーソナルサポーターなのに、そのパーソナルサポーターへつなぐ新たな制度が必要になる。
問題の三つ目。
無理が通れば道理が引っ込む。公助が通れば自助・共助が引っ込む。
老齢年金が充実すればするほど、自分で老後の備えをしよう、とか、老後の面倒をきちんと見てもらえるようしっかりと子供を育てよう、といった意識が薄れる。
介護保険が充実すればするほど、家族や近所の人が介護の場から離れていく。
パーソナルサポートサービス制度が充実すればするほど、自力で生活を立て直そうという意識が薄れる。
冒頭のテレビ番組の中で、湯浅誠は
「縁は、地縁、血縁、職場の社縁の3つがあった。今はその3つの縁が減退している。」
なんてことを言っていたが、減退の原因としては、社会保障制度が幅広い分野に及ぶようになったことが大きいだろう。
ただ、社会保障制度が様々な分野に広がったとはいえ、まだまだ穴だらけ。だからこそ家族の縁、地域の縁がまだ幾らか機能しているが、この穴が新たな制度によって埋められていけば、血縁や地縁の機能はますます薄れていくだろう。ボランティアで行われていた相談事業なども、新たな制度の登場で駆逐されてしまうだろう。
問題の四つ目。
社会保障制度を広げる過程で必要なのが、所得や資産、家族構成、病歴、職歴、学歴といった個人情報の把握だ。これに加えて、パーソナルサポートサービスは密着型・寄り添い型の制度であるため、日常生活の事細かな部分まで把握されることになる。政府による監視・管理社会のできあがりだ。
しかも昨今、児童虐待や老人の孤独死などを受けて、児童相談所や市町村などの立入権限強化が主張されている。パーソナルサポーターの権限が強いものとなったら、自宅の中をパンツ姿で歩くことすら適わなくなるかもしれない。
問題の五つ目。
パーソナルサポーターとよく似た相談・つなぎ・支援事業をしている所として、共産党などがやっている相談事業がある。
○何でも相談用 | 日本共産党 埼玉県委員会
共産党の場合、相談に来た人の問題を解決する中で、投票をお願いしたり、入党を勧めたりといったことを行っているだろう。勧められた方も、相談に乗ってもらった手前、無下に断ることは出来ないはずだ。
一方、パーソナルサポーターには公務員か、あるいは役所から委託を受けたNPO職員などが就くと思われるので、表立った政治活動は出来ない。しかし、あくまでも表立っては出来ないというだけで、実際は友人として密着し寄り添っているのだから、その過程でどんな勧誘も可能だろう。
かつて私が、保険料徴収に行った先で老人の身の上話を聞いていたら、
「あんたは優しいねぇ。私にできることと言っても何もないが、毎回選挙には行くよ。次の選挙、どこに投票したら良いかい?」
と尋ねられたことがある。その時は、
「いやいや、自分で考えて、良いと思う人に投票してください」
と受け流したが、私が組合活動に熱心な者だったら、迷うことなく組合推薦候補に一票をお願いするところだ。こうした行為は当然、地方公務員法や公職選挙法の何かに抵触するだろうが、そこで交わされた会話を外部が知る術はない。
保険料の徴収に行って、身の上話を聞いただけでこれだ。
寄り添い型のパーソナルサポーターなら、利用者は当然恩を感じるであろうし、生活状況を事細かに把握された結果として弱みまで握られることもあるだろう。利用者の一票はパーソナルサポーターの手の中にあると言っても過言ではない。
税金を使った事業で、税金で飯を食う者が自己の票を増やす。
・・・と、「多分起こるであろう」事態から、「これはさすがに杞憂かな」という事態まで、色々書いてみた。色々考えてみるも、肯定的な感想が全く出てこない。「隷属への道」を最短コースで突っ走っている気がしてならない。
今の政権は、湯浅誠という筋金入りの社会主義者が政権中枢に入り込み、自身の思想を政策化し、予算化している。恐ろしい世の中になったものだ。
貴方の意見がもっと広まることを期待します。
社会主義的な発想でバンバン政策を打ち出して、破綻寸前の社会保障費を更に増大させてしまったら、最後はどうなるのでしょうか?
私も以前湯浅氏の論を読んだことがありますが、彼の論はもっと「小事」です。
彼はちゃんと行き過ぎた過保護は人を堕落させることも理解した上で、「だから見捨てることが人間社会の帰結」なのかと自問自答している人です。
「自立」を当然としている人にはわからないでしょうが、現実に本当に、誰か支えがなければ一歩も動けない人が溢れているのです。怖いことに。
戦後教育の歪み等、色々原因はあるでしょうが、実際に存在しているのです。
そしてこれまでの日本社会はこうした人を一刀両断「自己責任」の一言で切り捨ててきたのです。
それが「正しい社会のあり方」と言うのもまた正論、そうでないというのもまた正論であり、湯浅氏は後者だということです。
だから彼自身、永遠に自立できない人を甘やかそうなどとも考えてませんし、働かない人を、社会参加しない人を擁護するような考えもないでしょう。
単に、支えが必要な人に、ちょっとはしごをかけて、あがれるようにしてあげよう、位の考えです。
でも、その後は自分で歩こうね、ということです。
それはちょっと違うのでは?
人の縁が薄い社会を望んでいるのではなく
豊かな人間関係を築ける世界を
社会に求めているのだと思います。
そのための制度を目指していると
ワタシは理解しております。