「立憲主義を守れ!」
その通り。
「解釈改憲を許すな!」
その通り。では、これはどうか。
「憲法第89条の解釈改憲による私学助成は、立憲主義に反する」
これについても、私はその通りであると考える。
==========
日本国憲法
第八十九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
==========
今回、必要な部分を抜粋しよう。
「公金は、公の支配に属しない教育事業に対し支出してはならない」
政府に対する明確な禁止規定である。1970年までは、政府に対するこの禁止規定が生きていた。立憲主義に基づいた運用がなされていた。ところが、1970年に日本私学振興財団法、1975年に私立学校振興助成法が制定され、この禁止が破られた。私学助成を合憲とするために、政府や学者達は様々な論理構成を行って新たな解釈を編み出したのである。
この解釈改憲によって、私学の独立性は有名無実なものになった。この世の中、「金を出せ、口は出すな」なんて甘いことは通用しない。金を貰ったからには、その金を出した側からの介入が必ずある。運営費の補助を受ければ、その運営方針に介入されることになる。一度公金からの補助に依存してしまったら、公金なしでの運営を維持することは難しいだろう。依存してから「政府の意向に反するのであれば助成金減らしますよ?」なんて言われたら、もう政府に尻尾を振る犬にならざるを得ない。
私学助成を受けることで、自主性や独立性、「建学の精神」といったものは損なわれる。学問というものは、時の政権にとって都合の悪いことを研究することも必要なのだが、その政府から金を貰ってしまっては舌鋒鋭く政府を批判するということは難しくなるだろう。学者個人レベルでの政府批判が関の山だ。
政府に対する憲法第89条という禁止命令は、私学の独立性を担保する有効な手段であったはずだ。今は、これがなし崩しにされてしまっている。早稲田や慶応が文科省OBの天下りを受け入れている現状が、公金による支配の威力を物語っている。
【文科省天下り斡旋】「再就職で早慶戦やっても仕方ない」…早大が発端、慶応大にも飛び火 事態は拡大するのか(1/2ページ) - 産経ニュース
=====【引用ここから】=====
元高等教育局長が早稲田大に再就職したことが発端となった文部科学省の天下り問題は13日、早大と双璧をなす「私学の雄」と称される慶応大にも飛び火し、事態は拡大の様相を呈してきた。慶大は再就職の手続きについて「問題ない」と強調する一方、天下り問題を調査している文科省内からは「再就職で“早慶戦”をやっても仕方ない」と冷ややかな声も漏れた。
~~~~(中略)~~~~
担当者は、人事課OBの嶋貫和男氏から情報提供を受けたことを認めた。元幹部が同省で私大への助成金を担当する私学助成課長などを務めたことを挙げ、「大学行政に専門的な経験を持つ人を求めている」と大学側の事情を明らかにした。
=====【引用ここまで】=====
「保育園で国旗・国歌に親しもう」なんてのも、同じ文脈である。
保育所でも国旗国歌、厚労省 | ロイター Domestic | 2017年 02月 14日 20:55 JST
=====【引用ここから】=====
厚生労働省は14日、保育所の運営指針について、2018年度からの改定案を公表し、3歳以上の幼児を対象に、国旗と国歌に「親しむ」と初めて明記した。
文部科学省が同日公表した幼稚園の教育要領見直し案にも同様の趣旨が盛り込まれた。ただ、保育所は学校教育法に基づく施設ではなく、保護者から幼児を預かる福祉施設であることから、専門家からは「過度の押し付けになってはならない」との懸念も出ている。
=====【引用ここまで】=====
政府から補助を受けている限り、政府の意向に逆らうのは非常に難しい。事業者にとって意に背くことを政府から指示されたとしても、補助を受ける側はこれに従わざるを得ない。政府からの介入を阻止するためには、政府による公金からの補助をやめさせることが必要である。
「政府は待機児童が出ないように保育分野への補助を拡充しろー」
と、
「政府は国旗・国歌の押し付けをするなー」
とを両立させるのは難しい。なにせ、公金による補助を拡充すればするほど、政府は介入しやすくなるのだから。
今こそ、立憲主義の理念、憲法第89条の精神に則り、慈善、教育、博愛の分野へ垂れ流しになっている公金支出を廃止し、それぞれの事業者の主体性・独立性を発揮できるようにすべきだ。そうすることで、結果として慈善、教育、博愛の分野は多様性を増し、その内容が拡充されることになるのだから。
きっと、「立憲主義を守れ!解釈改憲を許すな!」派も当然賛同してくれるはずだ。(彼らが論理一貫性を重んじるのであれば、だが。)
その通り。
「解釈改憲を許すな!」
その通り。では、これはどうか。
「憲法第89条の解釈改憲による私学助成は、立憲主義に反する」
これについても、私はその通りであると考える。
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日本国憲法
第八十九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
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今回、必要な部分を抜粋しよう。
「公金は、公の支配に属しない教育事業に対し支出してはならない」
政府に対する明確な禁止規定である。1970年までは、政府に対するこの禁止規定が生きていた。立憲主義に基づいた運用がなされていた。ところが、1970年に日本私学振興財団法、1975年に私立学校振興助成法が制定され、この禁止が破られた。私学助成を合憲とするために、政府や学者達は様々な論理構成を行って新たな解釈を編み出したのである。
この解釈改憲によって、私学の独立性は有名無実なものになった。この世の中、「金を出せ、口は出すな」なんて甘いことは通用しない。金を貰ったからには、その金を出した側からの介入が必ずある。運営費の補助を受ければ、その運営方針に介入されることになる。一度公金からの補助に依存してしまったら、公金なしでの運営を維持することは難しいだろう。依存してから「政府の意向に反するのであれば助成金減らしますよ?」なんて言われたら、もう政府に尻尾を振る犬にならざるを得ない。
私学助成を受けることで、自主性や独立性、「建学の精神」といったものは損なわれる。学問というものは、時の政権にとって都合の悪いことを研究することも必要なのだが、その政府から金を貰ってしまっては舌鋒鋭く政府を批判するということは難しくなるだろう。学者個人レベルでの政府批判が関の山だ。
政府に対する憲法第89条という禁止命令は、私学の独立性を担保する有効な手段であったはずだ。今は、これがなし崩しにされてしまっている。早稲田や慶応が文科省OBの天下りを受け入れている現状が、公金による支配の威力を物語っている。
【文科省天下り斡旋】「再就職で早慶戦やっても仕方ない」…早大が発端、慶応大にも飛び火 事態は拡大するのか(1/2ページ) - 産経ニュース
=====【引用ここから】=====
元高等教育局長が早稲田大に再就職したことが発端となった文部科学省の天下り問題は13日、早大と双璧をなす「私学の雄」と称される慶応大にも飛び火し、事態は拡大の様相を呈してきた。慶大は再就職の手続きについて「問題ない」と強調する一方、天下り問題を調査している文科省内からは「再就職で“早慶戦”をやっても仕方ない」と冷ややかな声も漏れた。
~~~~(中略)~~~~
担当者は、人事課OBの嶋貫和男氏から情報提供を受けたことを認めた。元幹部が同省で私大への助成金を担当する私学助成課長などを務めたことを挙げ、「大学行政に専門的な経験を持つ人を求めている」と大学側の事情を明らかにした。
=====【引用ここまで】=====
「保育園で国旗・国歌に親しもう」なんてのも、同じ文脈である。
保育所でも国旗国歌、厚労省 | ロイター Domestic | 2017年 02月 14日 20:55 JST
=====【引用ここから】=====
厚生労働省は14日、保育所の運営指針について、2018年度からの改定案を公表し、3歳以上の幼児を対象に、国旗と国歌に「親しむ」と初めて明記した。
文部科学省が同日公表した幼稚園の教育要領見直し案にも同様の趣旨が盛り込まれた。ただ、保育所は学校教育法に基づく施設ではなく、保護者から幼児を預かる福祉施設であることから、専門家からは「過度の押し付けになってはならない」との懸念も出ている。
=====【引用ここまで】=====
政府から補助を受けている限り、政府の意向に逆らうのは非常に難しい。事業者にとって意に背くことを政府から指示されたとしても、補助を受ける側はこれに従わざるを得ない。政府からの介入を阻止するためには、政府による公金からの補助をやめさせることが必要である。
「政府は待機児童が出ないように保育分野への補助を拡充しろー」
と、
「政府は国旗・国歌の押し付けをするなー」
とを両立させるのは難しい。なにせ、公金による補助を拡充すればするほど、政府は介入しやすくなるのだから。
今こそ、立憲主義の理念、憲法第89条の精神に則り、慈善、教育、博愛の分野へ垂れ流しになっている公金支出を廃止し、それぞれの事業者の主体性・独立性を発揮できるようにすべきだ。そうすることで、結果として慈善、教育、博愛の分野は多様性を増し、その内容が拡充されることになるのだから。
きっと、「立憲主義を守れ!解釈改憲を許すな!」派も当然賛同してくれるはずだ。(彼らが論理一貫性を重んじるのであれば、だが。)