8年前に訪れたこの地を図らずもまた訪ねることになった。キャンプサイトからバルセローナのカタロニア広場までキャンプサイトの無料バスが往復している。
朝9時15分サイトを出発して約45分で広場に着き、夜7時にバスが迎えに来てくれる。
その間各自それぞれ自由に町の観光に出かけてくる。ヨーロッパを車で自由に旅行したい人には、キャンプサイトのバンガローに宿泊してこのような無料バスを利用できればずいぶん安くて楽しいたびが出来る。
カタルニア広場へ着くとすぐに見つけた観光案内所で地下鉄2日券(13ユーロ)と地図を貰い、まずは近くにあるピカソ博物館へと歩いた。途中にバルセローナ大聖堂がありミサの真っ最中。ここは大きくて、ミサも後ろの入り口のほうは見えないからあちこちにテレビが備え付けられて中継していた。この聖堂はつい先週見たフランスの大聖堂2軒より豪華、巨大で高窓のステインドグラスが素晴らしい。
そこから歩いて10分ほど、ピカソ博物館へ着いてみてびっくり。狭い通りに面しているチケット売り場に延々と並んでいる観光客。私があっけに取られている間にも列はどんどん長くなってゆく。11月になって一体どこからこんなに観光客がやってくるのだろうか?
すっかり諦めて、地下鉄でもう100年前から建築中のサグラダ・ファミリアへ行った。
8年前に来た時は後20年もすれば出来上がると言われていたが、そのときは床も完成していなくて天井を作りかけており、ステインドグラスは入り口の両サイドだけだった。
それでも教会嫌いの亭主が、”これが完成した時にもう一度見てみたいものだ”と言ったのを今でもおぼえている。
地下鉄駅を出てみる切符売り場の前から長ーい行列、これじゃピカソ博物館のほうが良かったかもと悔やんだけれど行列の最後尾に着いた。昨夜インターネットで調べてみたがこのサグラダ・ファミリアがバルセローナで一番観光客が集まるところだと言う。真夏の炎天下で1時間以上も長い行列を作る人のため、水と帽子を忘れないようとの注意書きがあった。11月でも太陽が出れば結構暑い。もちろん帽子も飲み物も持参で列を作った。
いらちの亭主はこんなところで1時間も並ぶのは嫌だ、とごねていたけれど”私にはここを見るためにわざわざバルセローナまで来たのだから、貴方が嫌なら好きなところへ行ってきたら?後で時間を決めて会いましょ。”と言ったもので諦めて黙ってしまった。
行列は思ったよりも割りと早く、35分ほどで、門をくぐることが出来た。正面玄関のモダンなキリスト像は8年前にも出来上がっていたから目新しいものではなかったが、玄関の扉を入ったところであまりの明るさ、華麗さ、あふれる色彩と光の調和、素晴らしい完成度に大感激思わず涙があふれた。わずか8年で教会内部は95パーセントは出来上がっており、天井も周囲のステインドグラスも祭壇もどこを見ても言葉に出来ないほどの素晴らしさ。
2年前の11月バチカンのローマー法王、ベネディクト16世によってここサグラダ・ファミリアは神に捧げられバシリカに成った。
この8年間どんなにたくさんの人が建築に加わったのだろうか。日本人の彫刻家がここに加わっていると報道されていたことは知っているが・・・。ヨーロッパのあらゆる国で多くの町で教会や大聖堂を見て歩いたが、これほど明るくモダーンでそして荘厳な聖堂を見たことはない。これぞ21世紀の聖堂だが、設計したガウディは90年近く前に亡くなっている。
1926年交通事故でなくなったガウディは身寄りが無くあまりにみすぼらしい姿のため3日間ホームレスの人達のように身元不明で安置所に置かれたそうだ。
そんなことを思いながらこのバシリカを見て周り今もガラスにステインドグラスを取り付ける工事中の人達の写真を撮りながら、ガウディがどんなに喜んだことだろうと思い巡らした。
あれほどごねた亭主が”やっぱり来て良かった。8年前を思い出した。あの時とはなんと言う違い、あの時は工事現場だった。”と感激していた。
裏の外壁の彫刻の中になんとなく日本人の親子のような顔が見えるが、もしかして日本人の彫刻家の作品かも知れない。
バシリカを出た午後2時半、切符売り場の行列は5分の1に短縮していた。これじゃピカソ博物館もあまり人がいないかも知れぬと思い立ち、昼食もそこそこに博物館へいそぐ。
途中に素晴らしい建物を見つけた。
なんとなくアラビア又はトルコ風なデコレーションで、地図に拠ればミュージカル・シアターと書いてある。残念ながら閉まっていて内部を見ることは出来なかったが、通りかかる観光客が皆立ち止まって写真を写していた。
ピカソ博物館は彼の子供時代からの作品が展示され、天才は子供時代からなのだと思い知らされた。以前は彼の歪曲した人物画などを見て如何してこれが良いのだろうと思ったものだが、今では感心してみている自分に驚く。
カレーからフランスを縦断するにしても、なるべく行ったことの無い行路を選んでいる。この地図で見ればお分かりと思うが、今年のコースはフランス中央部を真っ直ぐ地中海沿岸へ向かって南下したもので、中央部オーリオンから海抜1000メータ前後の山間を上下する長距離コースは無料の高速道路が無ければ幾日かかるか判らない。
渓谷のキャンプサイトを後にしたものの、カーナビに頼らないでと思って間違って全く反対方向へ行き、往復50k以上も無駄にした。しかし山頂から見下ろした山間部は素晴らしく、遠くにヨーロッパで一番高い橋を眺められて、不幸中の幸い。
高速道路で100km近くも雲の中を走っていたらしくあたり一面霧雨で暗かったが南下して地中海が近づいてくるにつれ、空も明るくなってきた。8年前に来て1週間も滞在したルーケイト(Leucate)のキャンプサイトで今回もゆっくりしようと夢見てきたのに、キャンプサイトは閉まっていた。天気も怪しげで強風、小雨がちらつく寒い夕方になってしまった。
幸い海辺にキャンピング・プラッツがあり一泊7.2ユーロ、すべてがオートメ化していてクレジットカードを入れて操作するだけ、泊まっても電気も無く、キャンパーの自分のバッテリーを使い自分のトイレを使う。今夜はテレビもコンピューターも見ないで編み物をしたり、数独をしたり。
今朝目覚めてみれば夕べの雨雲は強風に吹き飛ばされて、空は真っ青、南国の空の青さは英国の11月の暗い空からは想像も出来ない。ルーケイトの町並みも白壁にテラコッタ色の屋根が美しく密集して,蛎やムール貝を養殖している内海は空の色を写して真っ青だ。
内海の向こうに雪をかぶったピラニー山脈が伸びて、昨年あの山を越えてアンドラ国へ行ったことなど思い出した。ここからそんなに遠くないそうだ。
フランスの国道からスペインにかけてどれほど多くのキャンパーを見かけたことか。10月末は帰国して自国でクリスマスを迎えようとする人達と、私たちのように暖かい天気を求めて南下する北ヨーロッパの人達で、キャンパーが行ったり来たりしている。スペインの国境を越えるまで前に4台のキャンパーが走っていて、彼らもこの冬スペインでの滞在組みか。
ところでフランス南部やスペインの高速を離れると、あちこちで見かけられるのが道端に立っている若い女性たち。彼女たちは売春婦で車でやってくる顧客を待って派手な格好で立ったり座ったりしている。売春が公認されているわけではないだろうけど、只立っているだけでは逮捕も出来ないだろうから難しいのかもしれない。それとも公認か?
スペイン国境を過ぎると暫らくして周囲一体の山や林や森の木が真っ黒に焼け爛れて、これは今年の春か夏に山火事が有ったらしい。あたり一面が火の手が上がったらどんなに恐ろしいだろう。そしてどうやって消火したものかと思ってしまう。それにしてもものすごく広範囲だった。車で10分以上走ってもまだ周囲は黒木が林立していたから。
ボウシュから南へ下る国道N144は真っ直ぐで、これらの道の基本はローマ時代に作られたことがわかる。起伏は仕方が無いとしても、どこまでも真っ直ぐな道だと、私でもキャンパーを運転してみようかななんてフット思ったりするが、これが危ない。八年前、リオンへ南下する真っ直ぐな道で亭主の道案内で運転したら、町の通りへ入ってしまった。後ろには車が数珠繋ぎ、これには冷汗物でそれ以来絶対ハンドルは握らない。
ヨーロッパもイギリスも通りには四つ角と言うのが少ない。ほとんどラウンド・アバウトと言う中央が丸く、自分の出発手前に車がいなければどの通りからでも出発できる。ここフランスの国道はほとんどそれで、真ん中のデコレーションがしだれ菊のハンギングバスケットだった。
国道の途中素晴らしい古城を目にし近くの駐車場に停めてもらって写真を写す。ロッシェ城の説明案内が張り出されていたがフランス語で読めなかった。
南下するうちに天気もすこしづつ明るくなって、高速道路の周囲の景色が素敵に見えてくる。先日友達がフランス北部のアルザス地方を1週間旅行してきたが、彼女の言葉を借りればやっぱり田舎はイギリスが一番きれいね。私にはノルウエーの田舎が一番だけど。
高速道路の休憩所から見える聖マドレィン教会とシャレー村は久しぶりの南欧の景色で絵になる風景。
ミヨー(Millau)で高速を降りてキャンパーは狭い田舎道へ入っていった。片側崖が急で”下を見ないでゆっくり走って ”、とわたしも必死。またカーナビにこんなところへ連れてこられたと亭主の怒ること。
1時間後にやっときれいな渓谷のキャンプサイトに着いた。
このサイトは河ぶちまでの崖を削って平らにしたところにキャンパーやキャラバンが停められるようになっているが急な坂道でトイレやシャワーに行くのがつらい。
しかしこのサイトの設備の素晴らしさは今まで8年間廻ったサイトのうちでも上の部に入るものだった。洗面所も大人と子供が使えるように工夫され、シャワーなど親子で同時につかえるように一室に高低のシャワーが設置されている。
素敵なサイトだったけれど、私たちにはもう一度来ることは無いだろう。きっと夏にはこのサイトが満員になるに違いない。
200kmほど南東へ行ったボウシュ(Bourges)はほぼフランスの中央に位置する小さな町で、ロンリープラネット(英語版地球の歩き方のような本)にも町の説明が載っていない。
また朝から雨模様で、辺りはグレイ。午後2時頃に着いたキャンプサイトでここから1kmで大聖堂に着くと言われて町の散策に出かける気になった。
1kmも行かないうちに降り出した雨の中、この一角に48時間無料のキャンピングプラッツを見つけた。停まっているのはフランスのキャンパーばかり。一泊するには最適な場所だ。またここに来た時の為に記憶しておこう。
町の中心は13世紀の聖エティエン大聖堂、ゴシック建築の巨大な建物で、内部はほとんど真っ暗な状態。只入った時に奥の大きなパイプオルガンが荘厳な曲を奏でていて、久しぶりポーランドの教会を思い出した。
ここも一面のステインドグラスが張り巡らされて、一枚一枚の絵にストーリーがあるのだろうけど、これだけ細かく多色を使ってごちゃごちゃしていると暗い中で色彩もにごってしまう。あまりきれいに見えない。
雨の石畳を歩いている人達は明らかに観光客ばかり。雨の中で冷たい風もだんだん強くなってきて寂しさが増してくる。
この町は辻の飾りもハンギング・バスケットもすべてが菊の花で、このような飾りははじめてみた。
古い建物の飾りに、雨どいを口にくわえている獣、その上のガーゴイルも犬らしい。建築物の守り神?または獅子脅しみたいだ。ヨーロッパの古い教会や英国の古い建物のほとんどにこの守り神がとりつけられている。
パリから90km南西に位置するこの町は13世紀の大聖堂が旧市街の中心に聳え立ち、パリからの日帰り旅行に最適とあり、バス一台分の日本人団体客を見かけた。
キャンプサイトから川沿いに3km、まず目に付くのは聖ピエレ教会と天を突く2つの尖塔を持つノットルダム大聖堂。川沿いからだと急な坂道が大聖堂へ向けて延びている。川沿いの道は石畳がきれいで、川すれすれに各家庭の小さな庭があり花畑や川辺にカヌーを横付けにしているところもある。
河には約100メータおきに立派な石造りの橋が架かっている。狭い道を車が行き交い、キャンパーでは絶対通れそうに無い。
河に突き出た土台をもつ聖アンドレ教会は閉まっていたため、ここから急な階段を登って大聖堂へ向かった。
奥行き130メータの大聖堂内は素晴らしいステインドグラスに覆われている。これらのほとんどは13世紀からのオリジナルで、ヨーロッパでも重要な中世の芸術品にあげられる。観光客以外には一人の僧も見えず、パイプオルガンの音も聞こえず、静まり返っていた。
高さ105mの塔に登りたいと思っていたのに、色彩鮮やかなステインド・グラスを百枚近くも写し満足したので、すっかり忘れてしまった。
大聖堂から北へのゆるいくだり道は観光客用のお店とレストランが並んでいるが半数以上が閉まっていた。その先は噴水が並ぶ広場で風が冷たい。
ここでサンドイッチを食べて腹ごしらえした後町の散策。歩き回っている間に見つけた観光案内所で地図を貰い、キャンプサイトへの近道を教えてもらった。
ゆっくり坂道を下ってくる途中に見つけた聖エニヨン教会はルネッサンス時代の建物で内外とも古く、彩色された柱や木製の天井が、なんとなくノアの箱舟の中を想像させる。16世紀のステインドグラスの中に旧約聖書のストーリーが絵になっているのがあり亭主とこれはアダムとイヴ、これはモーゼの十戒などと話していたら,教会のお花を生けていたおばさんがパンフレットなどくれ、フランス語で説明してくれた。全然判らなかったけれど、彼女の親切にはお礼を言って出て来た。
すぐ近くに聖ピエレの巨大な教会があり、人気の無い教会内を歩き回りここでも素晴らしいステインドグラスを何枚も写してきた。
今年の英国は本当に天気が悪かった。10月末は2週間以上毎日雨が降らない日が無かった。
過去3年は寒い英国の冬から逃げ出して暖かなスペイン・ポルトガル南部で越冬することにしている。
出かける前には一応庭の手入れや、こまごまとした準備が要る。雨のため草刈は出来ないし、垣根が伸び放題、とうとう予定を4日も延ばしてやっと垣根だけは整えたが、草刈は専門の庭師に頼むことになった。11月と3月に手入れをしてくれるそうだ。本物の庭師だから料金も高いが、帰って大騒ぎしなくてもいいだろうし、娘の庭を管理してくれている庭師だから信頼が置ける。
中等教育(11歳から18歳まで)の学校教師の娘は土曜日から一週間ニューヨークへ行った。私たちは日曜日に我が家を出発して、月曜日の朝フェリーでドーバーからフランスのカレーへ渡った。この頃ニューヨークはハリケーンが荒れに荒れて洪水・停電・火事・家屋崩壊と大惨事になっている。ハリケーンの影響は大西洋を越えて英国や北ヨーロッパにも強風と豪雨をもたらしている。我が家を出て水曜日まで毎日雨と霧や雨雲立ち込めるうっとうしい日々だった。
今年はカーナビもスクリーンが大きくキャンプサイト情報が何万か入っていると言うのを買ったが、使い慣れていないため、カーナビに使われているような気がする。初日のアベビル(Abbeville)のサイトは昨年も停まったところだけれど、カーナビにいいようにあしらわれて遠回りしてやっと着いた。
翌日もいつもは遠回りで行かないルーアン(Rouen)へ連れてゆかれ、連日の大雨でトンネルが通行止め、散々走り回ってやっとたどり着いたところが初めに行った通行止めの道路だった。これであせりの亭主は怒り心頭、いつもは使わないF-wordの連発。もー本当に嫌になった。
やっとシャートレ(Chartres)のサイトへたどり着いた頃から空が明るくなり久しぶりに太陽が拝めた。ここでも”連日の雨でキャンパーの駐車地はぬかるんで車が埋まるからどこでも好きなところに停めていいよ” とのこと、舗装された通路に停まって一夜を明かした。
朝からすっきりと青空、朝日がきらきら梢の葉に反射している。こんな日はゆっくりキャンプサイトの周囲を散歩したり、町へ観光に行ったりしたいものだ。サイトから旧市街までは片道3kmと言う。サイトは林に囲まれた素敵な環境、落ち葉を踏みしめ、紅葉した木の葉や色着いた木の実が美しい。サイトの裏の川はたっぷり水をたたえ、若者たちがカヌーやボートを漕いでいた。
町の入り口にはこの町の守護聖人・ブライス(Saint Brice)の像が立っていた。宗教音痴の私にはこの聖人が何をしたのかわからない。
真っ赤なメイプルの葉やOld mans beard(おじいさんのひげ)等ここフランスも秋たけなわ。こうして素晴らしい秋を楽しめる今日も健康ならこそ。