Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

最後のキャンプ旅行ーピレニー山脈スペイン側

2016-08-09 21:24:35 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

バーデナスのキャンプ場からまっすぐ北へ行けばパンプローナでそこからフランスへ行く道はもう2度も通っている。今回はピレニー山脈の山越えをしてみたくて、国道240のジャカ(Jaca)から山越えでフランスへ行くE07を通ることに計画した。それでパンプローナを通っていくのは遠回りだから田舎道を通って近道しようと思った・・・・のが間違いのもと。

田舎のレタス畑。

 

国道240まで行くのに山越え4回、田舎道とてスペインの道路は良いが、曲がりくねった坂道を登ったり下りたり、大きな国道をスイスイ走るのとはずいぶん勝手が違う。

 

 あちこちで停まって写真を写したりしながら田舎道で随分道草を食ってしまった。

 

 

国道240をジャカへ向かって走っていると、この辺りの地形が数年前いったバーデナス・リアルス(Bardenasu Reales)の砂漠地帯によく似ているのに気が付いた。

大地全体が砂岩か火山灰の堆積からできているらしく思われる。

 

 

 

 

辺り一面が廃墟になったよう。

 

 

国道を東に向かって走っているとピレニー山脈は雪に覆われているのが良く見える。

 

まるでカッパドキアの地層を思わせるこのあたり。

 

 

そしてこの道路もサンチアゴへ行く巡礼道だった。

 

ジャカからフランスの国境へ向かった谷川は 雪解け水なのだろうか、水は素晴らしく澄んできれいだ。

 

  

 フランスの国境近くの砦らしき塔。

 

 

トンネルへ入る手前の道路でここからサイクリストや巡礼人はトンネルを通ることはできないから山越えをしてゆくのだろう。右へ折れる道路標識がやはりフランスを指していた。

 

あまり急な坂道を上った訳でも無いのに、良く照明されたトンネルに入り約8km、トンネルを出たところがフランスだった。あまりのあっけなさに亭主が驚いていた。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーCamino de Santiago(巡礼道)

2016-08-08 16:41:04 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

ヴァラドリドからバーゴスは何度も通った快適な高速道路で、100㎞を1時間もかからず走り、ここから国道120でログロノー(Logrono)へ向かった。道路に平行して通っている歩道にリュックをしょって歩いている人たちが見受けられる皆私たちの進行方向と正反対に向かっている。

彼らはサンチアゴ デ コンポステーラ(Santiago de Compostela)へ行く巡礼なのだ。

初めて彼らを見たのがもう6-7年前サンタンデル(Santander)の港へ行く前に一泊したCarrion de los Condos でここはコンポステーラから400㎞の地点。そうするとこの日見かけた巡礼たちはまだ5-600kmは歩かねばならぬ。

この日も素晴らしい晴天で暑く、田舎道の一人旅から2-3人連れ立っての旅は楽しいだろうか?つらいだろうか?

 

 

 

 

 

彼らの行路にはいろいろな教会やチャペルがあり宿泊施設も教会や僧院の大部屋だったりする。インターネットで調べてみたことが有ったが、出発地点はフランスやスペイン、英国からなどというのもあった。フランスのピレネー山脈の北側にも何か所か教会や巡礼行路に行き会ったことが有った。

 

 

この小さな教会?か僧院もその一部らしく塀の標識にCamino de Santiago Tosantosと書かれてあった。

 

 

 

 

彼らが宿泊するホスタル。

 

 

 

 

道路のあちこちにこの標識が立っているのがめじるし。

 

 

 

スペインで一番見かけるのがこの牡牛の看板。

 

 

 

いったいどんな花なのかわからないが、野原や道ばた一帯が薄紫色に染まっていた。

 

  

 この夜停まったバーデナス(Bardenas)のキャンプサイトではイースターが近いためか子供づれのスペイン人家族が多く、子供たちが一輪車の上に牡牛の頭を載せて一人の子が押して走り、周りでは子供たちが歓声を上げて逃げ回っていた。

さすが闘牛の国の子供たちの遊びだ。

 

この張り子の牛の頭も一人の子供がかぶって皆を追いかけまわし捕まった子は代わって牛になって走り回っていた。

鬼ごっこによく似た遊びだけれど珍しい。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーヴァラドリド〈Valladolid) スペイン

2016-08-06 17:33:54 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

ブラガンカはポルトガルの最北端でここより北はスペイン領、そしてこのあたりから真北にはキャンプサイトが非常に少ない。たぶん山ばかりになるのだろうか。昨日通ってきたポルトガル・スペインへの高速道路をまたスペインへ向かって走る。途中のヘザーの花はこの地域だけを派手に彩っている。

 

 

 

快適なスペインの無料の高速道路を時速120㎞で飛ばして今夜は ヴァラドリドのキャンピングプラッツへ泊ることにした。キャンプブックではこの町のプラッツには電気と水が無料だと書いてある。ところが行ってみれば下水排水とトイレの廃棄場所はあるけれどその他の設備は一切ない。諦めてこの町で一泊することにした。電気が来ていなくてもここの駐車場は町の真ん中にあるから、安全だろう。

 

 

駐車場の管理人に聞いたところではこの町の旧市街は川向う、橋を渡ってまっすぐ行けと言われてカメラをもって出かけた。

 

 旧市街は教会と大学がほとんどで、教会だけでも5か所はあった。立派な教会のような建物の中を覗いてみたら大学と書いてあり誰もいない。

 

 

 

 

玄関は開いていたが中のドアは閉まっていたのでガラス越しに素敵な階段とタイル模様を写真に収めた。

  

 

きれいな建物はチャペルでその屋根にコウノトリが3組も巣を作っている。今まさに待っていた彼か彼女が帰ってきて ”お帰りなさい” と挨拶をかわしているところ。

 

 

 

 

 

 この古そうな建物も横にヴァラドリド大学の文字が見えなければ決して大学とは思われない。

 

 

 

この日はまだ4月7日だというのに気温は27度にも上がり日向は暑くてたまらない。なるべく日陰を依って歩いていたら道に迷ってしまいずいぶん遠くまで歩いていたことが分かった。

 

 

日中着いたときは4台のキャンパーが停まっていたのに夕方帰ってみたら満杯、一般の駐車場にもキャンパーが停車してトータル30台以上はいた。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーセプ・ヴェルデ 〈Cepu Velde)キャンプサイト

2016-08-05 22:11:42 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

  

 

  

 

ブラガンカから西へ向かって30分山の中の一本道を行くと村も家も見えない林の中にセポ・ヴェルデのキャンプサイトがあった。

 

 

サイトの中一面の桜の花が満開で、小さなテラスのキャンプサイトに10台くらいのキャンパーが泊まった。

 

 

 

桜並木を行くわがキャンパー。

 

 

 

キャンピングサイトのオフィスには2人の若い男性がいて二人とも立派な英語を話す。私が日本人だと判ると、君はこのキャンプサイトで2人目の日本人だ。2-3週間前若い日本人の男性が自転車旅行をしていて一晩このサイトで泊まったという。たぶんテントを持ってきていたのだろう。彼は大阪から来たと言ってたが、君は日本のどこから来たのかと聞くから ”金沢だけど知らないだろうが、北朝鮮がミサイルを落としている日本海側だ。” と言ったら ”オ~恐ろしいところから来たんだねー”

オフィスの壁にかかっていたお面が面白くて写真を撮らせてくれと言ったらわざわざ外のタイルの床へ持って行ってくれた。これらのお面はこの地域のお祭りに使われるものだといい、オフィスのヴィデオでお祭りの様子を見せてくれた。

翌朝その祭りの名前や時期を聞こうとオフィスにいったけれど閉まっていて聞きそびれていまだに後悔している。

 

 

 

晴天の夕方8時近くに夕日が沈んだ。

 

 

 

今夜は満開の桜の木の下でキャンプする。

 

こんな小さなキャンプサイトながらトイレシャワーの設備は良く、きれいで暖房が通っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ーブラガンカ (Braganca)

2016-08-04 20:15:50 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

ミランダ ド ジューロはスペインとポルトガルの国境にあり、ポルトガルの最北端の大きな町ブラガンカへ行くのにカーナヴィをセットしたところ一旦スペインへ出てそこから高速道路でブラガンカへ向かうコースをとった。

この辺りは大きな山はなくほとんどが起伏の少ない農耕地帯であり、牧場の石垣にも平らなスレートを立てて垣根にしているところの多かった。

 

  

 

ポルトガルへ入る前の道路脇は一面ヘザーの花盛りでピンクに染まっている。この辺りではラヴェンダーの花は一切見えない。

 

 

 

 

 

ポルトガルの北端は岡の起伏が激しいから、カーナヴィも高速道路を選んだに違いないが、ミランダからブラガンカへ直接行く道路もある。

 

 

 

ブラガンカ の街角で停まったところに観光案内所があり、町の地図とお城への道筋を聞いた。お城の下の駐車場にキャンパーを停め、歩いて石畳の坂道を城門へ向かう。

 

 

 

この城は中世の城塞で高さ33メータのプリンセスタワーはポルトガルで一番エレガントといわれる。今現在のこのお城は武器博物館になっていて午後1時から3時まで閉まる。着いたのが1時過ぎで3時まで待っておれないから城壁の上を一回り歩いて、今夜のキャンプサイトへ向かったのは3時真近かだった。

 

 

 城壁の上から見下ろすブラガンカの町。

 

 

城壁は完璧でどこにも壊れたり崩れたりしているところがない。城壁内の家屋はお土産店やレストランになっていた。

 

 

城壁の真下にキャンピングプラッツがあるが、電気も水もなくただで一晩中駐車できるだけ。電気がないところはあまり泊まりたくないと今夜はブラガンカから数キロ離れたキャンプサイトへ向かった。

 

 

 町の環状線を彩る真っ赤な新芽が素晴らしい。

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最後のキャンプ旅行ーミランダ ド ジューロ (Miranda do Douro)

2016-08-03 23:03:36 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

 

 

フレイショのキャンピングプラッツから北へ60Km  ミランダ ド ジューロ(ジューロの眺め)の町をめざす。 通り過ぎる道筋の木々は真っ黒に焦げ、この広大な地域のほとんどが焼き畑で開墾している。いずれはまたパッチワークのオリーヴ畑になるのだろう。

 

 

遠くにミランダの町が見えだした。特にどこの田舎町とも変わらない。ここはタヴィラでマイクに教わった場所で、キャンピングプラッツがお城の近くにあるという。平野のあちこちに巨大な岩の塊が見られ、農耕作に不便だろうなと思いながら町へ向かった。

 

 

 

お城のすぐ近くの駐車場には白とピンクの桜の木が今を盛りに咲いていた。やっぱりピンクの花が華やかで見栄えがする。

 

  

 

お城はほとんど崩壊状態で大して見るものもないが、この日は晴天でも丘の上は寒風が吹きつけてあまりの寒さに震えあがった。それでいったんキャンパーへ引き返し、冬用のコートを着込んで短いメインロードを大聖堂へむかった。こんな田舎町でもお土産店やレストランがいくつか並んでいる。

 

 

 

町のスクエアーに博物館らしきものあり、2階のベランダに下がっているものはこの地方の織物かもしれない。スクエアーの真ん中にいわくありげな男女の像、インフォメーション・センターが閉まっていたからわからなかった。

 

 

 

大聖堂は大きいばかりで中は暗くて色彩も乏しく写真を写す気にもならなかった。 その大聖堂の横から見下ろすジューロ河は絶景、ここから上流はスペインから流れ込んでいるから国境も、地図以外ではわからない。

 

 

 

大聖堂の後ろにはいったい何に使うのか広大な屋根なし広場、近くの建築物の軒下は見事なほどツバメの巣であたり一面ツバメが飛び交っていた。

 

 

 

この城の城塞内のストリートは狭くて歩きにくい石畳が延々と続く。崩壊したお城に似合わない城門の頑丈なこと。まるでここだけなん百年もあとに作られたようだ。

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ーフレイショ ドゥ エスパダ ア シンタ(Freixo de Espada a Cinta)

2016-08-02 22:01:05 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 フンダウのキャンプサイトで見かけた絵葉書とまったく同じコウノトリのグループが木の上に巣を作っているところを通った。コウノトリは共同生活を好むらしい。

 

 

この盆地はさくらんぼだけでなくいろいろな果物の産地らしい。道端はいろいろな果物の畑になっていた。

 

 

フンダウの町はポルトガルの真ん中あたりにありこの日は車を北西のスペイン国境へ向けた。途中から道路脇は岩山になり生えているものといえば純白のブルームの花。あたり一面が白っぽく見え、まるでモノトーンの世界。

 

ほとんど木の生えていない荒れ地の真ん中に小さなオリーヴ畑があった。あの岩とブルームの間をオリーブ畑へ行くのも大変。

 

 

見晴らしの良い丘の上に観光バスが2台停まっていて、私たちも近くに停車。頭上にハゲタカが一羽大きく円を描いている。

 

 

見下ろす川のある景色の中にもハゲタカが3羽舞っていた。あたり一面はパッチワークのオリーヴ畑で素晴らしい景色に見とれているうちハゲタカはいつの間にか消えていた。

 

 

  

 

山頂から曲がりくねった道を降りてゆくとたどり着いたのは巨大な河で、このジューロ河はスペインからポルトガルとの国境を流れここからポルトガルを横断してポルトの港に流れている。先ほどの2台の観光バスはこの川渕まで観光客を運び、ジューロセレニティと呼ばれる観光船でポルトまで下航していく。こういうのんびりした船旅もいいかもしれない。

 

道路はこのジューロ河に沿って北上していく。この山の急斜面一面に生えているオリーヴの木々は河の対面でスペインになる。

 

 

ポルトへ行く観光船の乗り場以北はこのようなダムが見られ船の行き来はない。

 

 

フレイショの町へ行くまでの道路際は白のブルームと紫いろのフレンチラヴェンダーが派手に咲いていたが、この町の入り口は極め付きフレンチラヴェンダーが私たちを迎えてくれた。

 

 

この小さな町はたいして見るものはないが、町のスポーツセンターの一角に無料のキャンピングプラッツがあり、水と電気を供給してくれる。

午後早く着いたので町の散策に出かけ、きれいな街を歩き回った。

 

丘の上に城壁と塔が立っていて誰もいない。塔の入り口は開いていて誰でも入場可らしい。塔の2階の広間にこの城のモデルがあった。

 

 

昔は城壁も2重だったようだが今は塔が一基と一重の城壁の中は墓地に変わっている。

 

高い塔の頂部はベルタワーになっていて毎30分ごとに鐘が鳴る。

 

整然と並んだ墓地はきっと最近移されたものではないかと思う。あまりに画一化されているから。

 

この日通りのスーパーで大きなビワの実を売っていた。5個で1ユーロは高いが今年は道端で生っていたビワを食べそびれた。そして道端のビワはこれらよりも小さいから一度食べてみたかった。まだ走りらしく酸っぱかった。

この夜キャンピングプラッツにはフランスのキャンパー2台が来て、静かな夜だった。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーコンベント・キャンピング

2016-08-01 22:50:15 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

フンダウのキャンプサイトは盆地の山側の急坂にあり盆地の反対の山は非常に遠い。その山の上が白くなっているのを亭主はあんな高い山頂に町があるよという。望遠を最大にしてみたら、白いのは雪だった。過去数年4月初めにスペインのピラニー山脈を通ってフランスへ行くが、、あそこも山にはいつも白銀が輝いている。ポルトガルの北部も冬は雪が降るのだもの山に雪があっても当然、でもポルトガルにもあんな高い山があったのだと驚いた。その高い山の頂に見える不思議な建物。

 

 

サイトに落ち着いてまだ午後の3時、日は高く気温も高くて近くを散歩してみようとサイトを出た。サイトへむかって急坂の道路を登ってきた曲がり角で猛スピードで降りてきた乗用車がキャンパーすれすれに通り抜けていった。こんな急坂であんなにスピードを出してほんとに危なかったと後になってぞ~としていた。この坂道のガードレールがあちこちひん曲がったり、ずたずたに壊れたり、皆スピード出しすぎの事故に違いない。

 

 

キャンプサイトの隣は尼僧院でうっそうとした木々と高い塀に囲まれて尼僧院は見えないが、山麓からマリア像が木の間に見える。

 

 

 

麓からキャンプサイトの横までコンベント・ガーデンがオープンしていて、帰りは恐ろしい道路脇を歩くよりはと入ってみた。この小さなブルーの花はたいしてきれいでもかわいくもないが、ポルトガル南部では見られない。

 

 

 

 

ポルトガル特産のクインス(カリン)の花これは秋のリンゴの実る時期、大きな黄色の実がなる。これで作るクインスのマーマレードは有名。

公園の中に真っ白な西洋ナシの花が満開だった。我が家の庭にもこの梨の木があるが、4月の初めに花が咲くかなーと考えてしまった。ポルトガルで一番輸出されるのが梨だとのことで、これもポルトガル中央部から北部あたりが多いらしい。

 

 

この公園は若い子たちの冒険の場で高い木から木へのつり橋や、綱渡りなどの設備が多く見られた。

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ー再びポルトガルへ向かう フンダウ (Fundao)

2016-07-31 23:02:38 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

 カセーレスから西の道路521へ向けて出発、カセーレスの郊外の村に巨石群と共生している村があった。その名をマルパーティーザ・デル・カセーレスという。道路脇や各自の庭にもどうしようもない大きな岩。この2つの岩は醜いアザラシの夫婦に見えないかしら。

 

  

 

 道端には可憐なけしの花盛り、また岩山の間一面、白いブルームの花で遠くから見ると全体が白っぽく見える。

 

 

 

亭主がミモザと間違えた花はコルク樫 で夏には巨大などんぐりになる。オルニャオのマーケットではこのどんぐりを売っていて、一度買って食べてみたが、渋みがあって特に美味しいものではなかった。

 

 

 

 まだポルトガルへ入る前のアルカンタラ(Alcantara)で巨大なダムと深い谷側にかかる立派な石造りの橋、その向こうの石の塔、天気は良くゆるぎない立派な橋に感激。ツバメが橋の下を行きかい道路も低空飛行で飛び回っていた。

 

 

 

この深い河はテージョ河、ポルトガルの首都リスボンの港に流れ込んでいる。

 

 

 雄大な景色に感激し、ここでコーヒーを飲んでゆっくりしようと休んでいたら、英語の話せるスペイン人夫妻が寄ってきて、この橋はローマー人が作ったものでスペインで一番高い橋だという。彼らはこの橋を見にわざわざここまで来たのだという。何も知らないでこんな素晴らしいところへたどり着けてなんてラッキーな私たち。

 

 

 対岸の教会や壁に囲まれた古い街が一角から見える。

 

 

 

 このあたりの乾燥した岩山では元気に生え茂っているのは黄色のブルームとラヴェンダーばかり。

 

 

 ポルトガルの村は南も北もほとんど変わらず白壁に赤い屋根。どこも絵になる風景。

 

 

山の急斜面一面に植えられたオリーヴの木は葉裏が銀色だから遠くからでもオリーヴの木は白っぽく見えてよく分かる。それにしてもこんな急斜面でどうやって収穫するのかとっても気になる。

 

今夜のキャンプサイトはフンダウ(Fundao)という町、ここは四方を山に囲まれた盆地にあり、あたり一面さくらんぼうの桜の花が満開だった。さくらんぼうの花はこんなに白いからどんなに多く花が咲いても、日本のソメイヨシノのような華やかさがない。

 

 

 

 

 

この町の産業はさくらんぼうの栽培であることが明らか。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーカセーレスへ向かう

2016-07-31 19:49:58 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

。 

 

 4月2日、5か月間存分楽しんだポルトガルのキャンプサイトを後にカセーレスへ向かった。

ポルトガルとスペインの国境の町ヴィラ・リアルのスーパーマーケットでディーゼルを満タンにした。日曜日の朝8時半というのにスーパーが開いていたから最後のショッピングにと店内を物色し、ポークの大きな塊1.5㎏ 鳥の胸肉1㎏、生のタコ2.3㎏を買った。ポルトガルではポークが異常に安い。だから大きな塊を中華鍋に入れて周りにジャガイモやニンジン、野菜もいろいろ入れてしっかり蓋をして弱火で2時間くらい焼くと、水を一切入れなくても立派な夕食が出来上がる。

帰国の準備に冷凍庫の中には小さなヒラメ3㎏、サバ4匹、カツオ1匹、コイワシ2㎏、モンコイカ2はい、すべて解凍してすぐ料理できるように洗って中骨や頭をとってある。それで買った大きなタコもビニールの袋に入れて冷凍庫のスペースに押し込んだ。英国へもって帰ったら娘が喜ぶだろう。

 

ポルトガルとスペインの国境はこの大きな橋で、橋を渡ったところにユーロのマークにエスパニアと書かれた標識が立っている。今まで何度ここを通ったことだろう。

 

 

スペインの高速道路脇にはこのようなビニールハウスが延々と続いている。この冬南スペインでも異例の寒波に襲われ、輸出用の野菜がダメになってしまった。それで英国では特にレタスが値上がりし、品不足のため、一人一個だけしか買えなくなったそうな。

 

ポルトガルからセビリアへのまっすぐな高速道路脇は、ミモザの花盛り、もう終わりかけのもあるが、道路脇が華やいでいる。

 

 

 

セビリアからカセーレスへの道筋は、オリーヴ, コルク樫、ぶどう畑、などの農耕作地で、時々スペイン特産黒豚の養成所を見かけたりする。

 

  

 

 

 

この高速道路脇もシスタスの白い花が咲き誇っている。

 

 

 

この派手なピンクの花は南では見かけないが、カセーレスに近くなるとに道路脇を華やかに明るく彩る。

 

 

キャンパーの中の冷凍冷蔵庫は走っているときはエンジンの発電で、止まっているときはガスがついて冷凍し、サイトでメインの電気につなぐと一般家庭と同じように電気で作動する。ところがこの日ポルトガルで冷凍庫に入れたタコが柔らかいままで、凍らなかった。カセーレスのキャンプサイトで、冷凍冷蔵庫が壊れてしまったらしいことを発見し、今までの魚が全部だめになると心配した。

翌早朝、毎年行っているキャンパーの修理工場へ直行し、見てもらったところ、バッテリーにつながれている電線が焼けきれていた。すぐもっと太い線に変えてもらったところすぐに治って一安心。

でも昨日買ったタコは柔らかいままだったから、冷凍にするのは諦めて、高圧鍋にオリーヴ油と酢を入れて30分蒸し煮にした。ゆでだこは固いから亭主は喜ばないが、高圧窯で柔らかくすると喜んで食べる。この夕は野菜サラダに柔らかなタコのオリーヴ、酢の物 とってもおいしかった。娘にスカイプで話したところ、見てないからすぐ忘れることができると虚勢を張っていた。

 

このカセーレスのキャンプサイトはヨーロッパでただ一つ,各キャンパーの横にシャワーとトイレの小屋が設置されているユニークなサイトである。それに午後にはジャクジーがタダで1時間入って楽しめる。これは朝に予約しなければならない。

今回もこのカセーレスのサイトで2泊してしまった。

 

 

 

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ー再び山へ

2016-07-30 21:08:01 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 4月1日、明日はこのタヴィラを去るという前日もう一度北の山の花を見に行こうとキャンパーを走らせた。

スペインからファーロへ向かう高速道路の北と南では地形が全く違い、野生の草花も種類が全く違う。高速道路のトンネルをくぐるとあたりは乾燥した岩山になり岩の割れ目や僅かな土に強靭な根を張るシスタスやラヴェンダー、これらは海岸線や農耕平野では見られない。

 

 

 

どこへ行く道なのかわからないが、この急坂の道の両側を覆うシスタスの白い花は見事というより形容しがたい。その白い花の間に黄色のゴースの花の塊や、紫色のラヴェンダーがアクセントになる。

 

 

野生のグラジオラスもちらほらみられるが、ラヴェンダーほど強力なインパクトはない。この地で野生の水仙やグラジオラス それにキンセンカ、ギリシャの野生のシクラメンや、クロッカスなどを見ると、現在の園芸種が地中海沿岸の野生植物から改良されたものかがよくわかる。

 

 

 

 

 

晴天のこの日、どこを見ても絵になりそうな素敵な景色を堪能し、帰国して遺書には私の死後は灰をこの山の花の間に撒いてほしいと書こうと思う。それも3月か4月でなければならない。

 

 

 

 

 

シスタスの新芽が生えだしている道端に今まで見たことのないかわいい花が咲いていた。いったいどれほどたくさんの珍しい花を見逃しているだろう。

 

見渡す限り一面のシスタスの花。

 

 

 

 

 

 

上2枚の写真はキャンプサイトの近くの野原一面に咲いている春菊かマーガレット様の花の間に星のように散らばるきれいな青の花が私のお気に入り。

 

 

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最後のキャンプ旅行ー腰痛

2016-07-30 18:09:45 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

マイクやペニー、メアリーたちが週末にこのサイトを出発して帰国の途に就いた翌月曜日、特別何かをした訳でも無いのに、急に腰が痛くなりキャンパーの床にまっすぐ寝て腰に丸めたタオルをあてがっていた(マイクが勧めてくれた腰痛解除の方法)ところあまりの痛さに歩けなくなってしまった。

まだ一週間はマルースとエドの3人でラジオ体操やストレッチをするつもりだったのに、とってもそれどころではない。体を動かさないで寝てばかり、それに強力な痛み止めで完全に便秘になり下剤や座薬を使っても解消しない。

四日目にマルースが特別強力な鎮痛剤をくれ、それが効いたのか4日目の午後からはシャワーに入れるくらいに回復し、5日目はマルース達が帰国していった。そして私の腰痛も随分緩和して便秘解消。亭主が大喜びして、ワインで乾杯しようかという。口では言わなかったけど随分心配していたらしい。

今年は腰痛、去年は右腕骨折、一昨年は亭主がアンドラで血尿のため入院し、その前には私がデンマークで盲腸の手術に入院した。毎年半年くらい旅をしているといろいろなことが起きる。

日本の新聞や、英国のテレビでも年寄りの(何歳くらいからが年寄というのかわからないが)運転事故が多くなって社会問題になっているという。日本の何処かの知事が80歳で運転免許証を返還したとか。わが亭主今年85歳で毎年何千キロもヨーロッパを走り回り、4月でキャンパーの保険が切れる。まだまだキャンパーで旅行したいのに諦めるしかない。

普通車の保険も免許も年齢制限がない。ペニーのお父さんは今年95歳で最近大きなメルセデス・ベンツの乗用車に買い替えたという。なかなか元気な人で90歳過ぎまで自家用ヨットで航海していたとのこと。年齢だけは個人差が激しいから、キャンパーの保険も医者の診断書で許可できないものだろうか。

今年の秋にはまたこのタヴィラのキャンプサイトへやってきたい。普通車でポルトガルへきて、キャラヴァンを買ってこのサイトへもってきてもらうという手もある。それでなければサイトの近くに家を借りて半年くらい住む。亭主は何とかなるさとあまり心配していない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ータヴィラの3月末

2016-07-29 13:37:27 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

私の英国一時帰国の間、16人もの体操仲間は休むわけにいかない。それでマイクが率先してラジオ体操を継続することにした。誰も体操の日本語のインストラクションを聞き取れる人はいないから、マイクは私たちの体操シーンをヴィデオに取り、体操順番を大きな紙に書き留めたのがこれ。

ちょっと見には全然わからないが、いつもラジオ体操を継続している人には判ってくると思う。初めは笑ってしまったのがティーポット、いったいこれは何を意味するか? 彼の説明によれば、幼稚園の頃(もう60数年も前のこと)体操時には両手を挙げて丸を作りこれがティポットそして片手を横に倒してティーポットの注ぎ口、そして体を横に倒してお茶を注ぐ。ーーー面白い英国の子供教育の一環を知ることができた。

私が帰ってきた3月初めには英国人一人とフランス人が皆帰国して、残るは10人、毎朝この時間が運動だけでなく、親睦の時間でもあるから、皆帰国の前日までここで楽しんでいた。あるときなどCDプレーヤーのバッテリーが切れて音楽がつかない。マイクは口笛を吹き、皆はハミング、私は1から8までを数えながら無事体操を終わり皆大喜び笑いあった。

そんな仲間が一週間前一組、今週末は4組帰国し今朝は私を入れて3人しか残っていない。そしてきょうの日曜日の夜中1時に夏時間になったのを忘れていた。昨日までの朝8時が今日は9時、亭主と私が目覚めたのが8時5分前、これは昨日までの時間。5分後に隣のマールースが私たちのドアをノックし9時だというので驚いたのなんの。10分遅れて体操にテントの下へ行きエドの時計では8時10分、彼らも時間が変わったことを知らなかったのに、アイパッドの目覚ましが正規の時間を知らせたのだそう。ポルトガルと英国は同じ緯度にあるから時間は変わらず、夏時間への変更も同時に行われる。そしてスペインから東へ行ったフランスやドイツなども夏時間を一斉に行って一時間早めるから、今日このサイトを出た友達はスペインで2時間も時計を進めなければならない。

 

 

 

時々通る公園に見たこともない木の花が咲いていた。まるでランの花みたい。いつも4月初めにはこの国を去っていくから今後草木にどんな珍しい花が咲くのか興味深々。何年もいてことし始めて写した花。

 

 

 

 

キャンプサイトの近くに大きなラウンドアバウトがある。もう何年もこの道を通っていながらひと月ほど前初めて真ん中のポルトガルの古い水道システムの写真を写した。ポルトガルでは大きなラウンドアバウトには必ず当地の珍しい物が置かれ飾られてある。数日前の水曜日の夜中4時、酔っ払い運転がこのラウンドアバウトに突っ込んで水道のシステムを壊し反対側に落ちた。運転手は大したけがをしなかったそうだが、システムは完全に壊れてぶら下がっていた。

土曜日にメインテナンスのトラックがやってきて壊れた水道システムを取り除いていった。毎日見ていて気にも留めなかったものがなくなると寂しいものだ。それにしてもこのラウンドアバウトは今まで何度標識が倒れたことだろう。ポルトガル人の無謀運転には困ったものだ。

 

 

 

私たちの停まっているキャンパーの近く一本の枯れ木が立っていてその周りがお花畑になった。このマーガレットようの花は3月末野原も道端もこんな空き地もどこでも花盛りになる。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーキャリスシ(Carricos)

2016-07-28 19:13:02 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

2日前のラジオ体操時に、オランダ人のマールース(今までマーリッシャと呼んでいた)がサイトの北方の山が花盛りだという。もう3月末、毎年この時期山中の小さな村キャリスシに野生のラヴェンダーを見に行くのに、すっかり忘れていた。

昨日水のボトルを買いに行くのにキャンパーを運転して朝からキャリスシの村へ向かった。

 

 

今日は雨が降るとの天気予報だったが、朝から気持ちの良い天気で、サイトから北へ向かい高速道路の下のトンネルを通る前からあたり一面シスタスの白い花が咲き誇っている。

キャリスシの村の入り口の斜面のラヴェンダーは昨年と変わらず一面が紫の海。思わずオ~とかワ~とか歓声が出てしまう。

 

 

対岸のオリーヴ畑の周囲もラヴェンダーとシスタスの花盛り。

 

紫色のラヴェンダーの草むらにひっそりと咲いていた紫いろのランの花、今まで何度もこのあたりを歩き回っていて見落としていた。

 

 

 

村はずれの畑の片隅、仕事の休憩時にはこの椅子で休むのだろう。この時期はまだ耕作には早いらしく畑で働く人たちを見たことがない。一生懸命働いているのは蜜蜂ばかり。これだけあたり一面の花盛り蜜蜂の箱があちこちに置かれているに違いない。

 

 

 

キャリスシの村から一キロ戻って分かれ道から坂道を上るとキャリスシの村が一望に見える。ポルトガル人にとっては3月はまだ寒いらしく、村にも通りにも人影を見たことがない。

聞こえるのはニワトリの雄たけびと犬の吠える声ぐらい。

 

 

 

バラジェム(ダム)の近くの村は今年ほど豊富に水が溜まっていたことはなく、あふれた水が二筋の川になって道路を横切って流れていく。

 

 

 

道端にはマーガレット様の白い花やゴースの黄色の花盛り、どこを見てもあらゆる色の花で、この時期ここに来られる幸せを大いに感じる。人工に作られた観光地だと一度行ってみればもういいと思うがこんな自然の中では、毎年来て同じように花をめでても飽きることがない。

 

 

 

 丘の上から見たキャリスシの村と反対側の谷間は、昨年まで乾燥した川床を歩き回って野生の花畑をめぐったものだけれど、今年は初めての水が流れていて川を渡れないだろう。

 

 

 

 道端のマリゴールドの草むらの中にひときわ目立つ真っ赤なけしの花、たった一本だけ生えていた桃の木が満開。

 

 

 

この辺りは全くの岩山で乾燥に強いシスタスやゴース、ラヴェンダーが岩の間にしがみついて花の競演、これらの地ではオリーヴさえも植えられない不毛の山なのだが、こんなに素晴らしい自然がいたるところに見られる。

 

 

 

サイトへ帰ってくる途中の耕作地はまだ春の仕事が始まっていないので一面の花の海。雑草でもこれだけみごとに生えそろい花盛りだと感嘆もの。お昼過ぎまで花をめでてキャンパーで走り回って、やっと水のボトルを買いに行った。

昨年まで一日がかりで歩いて回ったものだけれど、やっぱり寄る年波には勝てないか。

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ーチャリティウォーク

2016-07-27 16:30:40 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

 3月12日の日曜日、タヴィラの町の中心地で乳がん研究のチャリティウォークがあった。2週間ほど前から体操仲間のマイクが一緒に歩こうと誘ってくれていたが、団体行動を嫌う亭主のために返事を渋っていた。それで2日前の金曜日にオルガナイズのオフィスへ行って12ユーロはらい、ティーシャツ2枚と名前を登録してきて、マイクをじらせにじらせた。わが亭主も行くと知ってマイクが大喜びしていた。

朝9時にキャンプサイトの玄関先で集まった10人は皆おそろいの黄色のTシャツでこの日は晴天ながら風が強く冷たく、コートやアノラックで身を固めローマン橋まで歩いて行った。

当日の登録場所は旧魚市場でもうすでに数百人の人たちが集まってきていた。10時に出発前にダンス教師の準備体操があり、市長の演説があった。

 

 

 10時に出発,先頭はサイクリングの人たちとランナーの一団、それに続いて約1000人くらいの老若男女が港を目指して歩き出した。

港への道筋には両脇に塩田が広がり、えさをあさっていたフラミンゴが急な団体に驚いて飛び立っていった。

 

 港までの道筋は昨年冬に大改装工事が行われ、歩道兼自転車道が作られたがこの日まだ1年もたったかどうか、道路わきのコンクリートが大きく傾いて来年には塩田の中に転がり落ちるのではないかと思われる。

 

 

港までの往復3㎞の後、新魚市場の前でオレンジと水のボトルをもらった後、塩田の中の道を5㎞歩く。

風が強くて帽子が吹き飛ばされそうになるので、しっかり押さえて歩いているジェラルドやエド、一時も休まず同じペースで一人黙々と歩いているわが亭主。

 

 

町の街路樹のオレンジの木が花盛りで甘い匂いがあたり一面に漂っている。

 

 

 

ポルトガル人はウォーキングは競争と思っているのかあっという間に行ってしまい、残りにゆっくり歩いているのが子供連れや、ベビーカーを押している夫婦たちそれに私たちのように楽しみながら歩いている外人組(英国人やオランダ人)メインストリートに入るとウィンドーショッピングまでしながら1時間45分で8kmを完歩した。

皆気分高揚しているからこのまま帰りたくない。最後はアイリッシュ・パブで冷たいサイダー〈リンゴ酒〉を飲みサンデーディナーのローストビーフを食べてほろ酔い加減でサイトへ帰って行った。

楽しい1日だった。

 

 

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