昨年暮れから風は冷たいが晴天の日々が続いていて、道端や野原が真黄色に染まっている。
これは英語名でバミューダ・バタカップと呼ばれる野性の花で1月から3月ごろまで地中海沿岸を彩るかわいい花だ。
先週オルニャオのショッピングセンターの3階にある小さな映画館へ昨今話題のレ・ミゼラブルを見に行った。キャンパーの隣人ダンカン夫妻とディヴ夫妻が一週間前に行って泣いてきたそうだ。それで行く前にハンカチとティシュを沢山持ってゆくようにと忠告を受け、とっても期待していった。
午後3時から始まる映画館は3時5分前にやっと開き、お客は3人私たち夫妻はレ・ミゼラブルのチケットを高齢者割引で一人4ユーロで買って入ったが、もう一人の客は他の映画を見にいった。
座席は60-70人ほどのこじんまりしたもので、一番後ろの座席の真ん中に座るとすぐ、映画は宣伝や予告など一切なしにすぐ始まった。
ミュージカルと言っても俳優が歌っているからうまくない。歌ならオペラを聴いたほうがずっといい。ストーリーは子供の頃に読んだレ・ミゼラブルを思い起こさせるに十分だったけど、何時になったらそんなに悲しいまたは感激する場面が出てくるのだろうと思っているうちに終わってしまった。
5時半に映画館を出てみると辺りはまだ明るかったから、さすが南国だなーと感心した。ロンドンの1月は4時半ごろには日が暮れる。仕事が終わる夕方5時が明るく嬉しくなるのが3月になってから。
そしてこのレ・ミゼラブルが英国で全国封切りになったのが1月11日からだった。ここオルニャオは1月3日から上演され9日で終わるとのことだったのに10日でも見せてくれていたから一体どうなっているのだろう。
ポルトガルでは英語の映画は吹き替え無し、サブタイトルが画面の下に出る。だからポルトガルではイギリスやハリウッドの映画を楽しめるわけ。ヨーロッパで外国映画やテレビ番組を吹き替えにする国がドイツとイタリアでこれは本当に困る。
日本も先進国だからポパイの漫画まで全部吹き替えで亭主が日本へ行った時に驚いたものだ。
2週間前の土曜日から私の一番気に入っているデンマークの政治ドラマ・ボーゲン(Bogen)が始まった。第1部の10時間は昨年春に見せ、今回は続き10時間を5週間で見せるらしい。
穏健派の女性党首ビルギッテ・ナイボルグは労働党と連合政権を組んで図らずも首相に選ばれる。学齢期の子供二人と協力的だった亭主フリップの家庭に首相の激務でひびがはいってゆく。その首相のコンサルタントのカスパーと彼の元恋人のニュースキャスター後に新聞記者になった若い女性カトリンの3人がメイン出演者で政治の裏でうごめく野心や裏切りなど、毎回ストーリーの展開が速くて面白い。このドラマもサブタイトルだから毎回2時間必死で英語を読んでいる。
このボーゲンはデンマークで3部まで作られていて、ヨーロッパのほとんど全部の国へ輸出されているそうだ。そして各国でベスト・ドラマを受賞していている。アジアでは韓国がこのドラマを見せていて、如何して日本のテレビで見せないのかが不思議でならない。
初日の1月5日に見た翌日テレビではメリル・ストリープ主演のアイアン・レディを上映した。今は引退しているマーガレット・サッチャー婦人のストーリーで、彼女は結婚する時に夫君デニスと約束していて、家庭を顧みなかった。実際はデニスも不満が高じて南アフリカまで一人で行ってしまったがサッチャー女史のほうは彼がいなくなったことさえ知らなかったらしい。でも最後まで添い遂げられてラッキーなサッチャー女史だったがボーゲンは造られたストーリ、そうは行かず離婚されてしまう。
出演女性が皆 賢く強く、そして個人的には皆弱みを持っていて、これがこのドラマの魅力なのだ。
第一部にグリーンランドがデンマークの一部で(そんなことを知っている人が一体何人いるだろう)グリーンランドの住民エスキモーの生活を知る機会が有った。
デンマークが生活保護の費用を払っているから、労働・生産や教育に対する意欲を失ったエスキモーはアルコールに浸っている。オーストラリアの原住民と同じで生活保護を受けて朝からアルコールに浸っている彼らは滅び行く民族なのだろう。
毎週土曜日が来るのが待ちどうしい。
長さ6メーターのキャンパーで生活している私たちは、テレビとコンピューターがあれば他に特に欲しいものも無い。英国の家一軒分に詰っている物は一体必要だろうかとこの頃思うようになってしまった。
昨年4月から10月末まで英国にいた(これは過去8年ではじめてのこと)からその間に少しでも家にある不要物を整理しようと思った。過去40年溜まった手紙や不要な書類などは焼き、売れるガラクタはブーツセールで二束三文で売り払い、衣類などはチャリティへ寄付してしまった。それでも信じられないくらい沢山の物が我が家に残っている。
先週の月曜日、キャンパー内の冷凍冷蔵庫が壊れてしまった。修理のエンジニアは金曜日の午後まで来れないと言う。冷凍庫に詰っている肉や魚が3日目には完全に解凍されてしまったから肉など近隣のキャンパーの人達に食べてもらうことにして魚だけは焼いたりスープにしたりとにかく毎日 昼、夜は魚を食べていた。
冷蔵庫に入っていた食料は濡れたタオルで巻いて風通しのよい日陰において5日間無事に保存できた。戦後のまだ冷蔵庫の無かった時代、どうやって食料を保存したものだろうと思った。