英国人一般のホリデーといえば、どこかの国の海岸線の高級ホテルで、昼は海岸で日向ぼっこ、夜はバーでまたはプールサイドでアルコール漬けがほとんど。
私達にはそれができない。トルコは1989年から1990年代5回も行ったが、89年のホテルホリデー以外はいつもバックパックで安い飛行機を予約して、ホテルは行ってから、ポールが探してきた。
1994年の5月から2週間トルコのバス旅行。まずはイスタンブルに到着、長距離バスを利用してトルコの中央部から、西側を旅して廻った。
イスタンブルでは何といってもこのブルーモスクは見逃がせない。天井の高いモスクの中は土足禁止。窓は素晴らしいトルコ模様のステンドグラス、床は色とりどりのカーペットがひかれている。これこそまさに異国、異文化、ヨーロッパでは決してみられない。回教では人物画は壁にも紙にも描かれない、それが特に神とか始祖モハメッドなら。人物像もしかり、だからモスクの中には写真も絵も銅像一つ立っていない。その中で回教徒はメッカの方向を向いてカーッペットに頭を付けてお祈りする。
数年前回教寺院に改宗されたアヤソヒアは、天井近くにキリスト像とマリアが赤ん坊のキリストを抱く
絵が描かれている。今ではこれらの絵がどうなっただろうか?イスタンブルはキリスト教と回教の攻防の長い歴史がある。
トルコ特有のタイル。繊細かつカラフルな模様が素晴らしい。
トプカピパレスの宝物展、贅を尽くしたものばかり。 このトプカピパレスにはハーレムがあり、スルタンのコンキュパイン(愛妾)が100人以上も生活していた。そしてこのハーレムで働いて居た男性はすべて宦官だった。
ガイドツアーでこのハーレムを回った時、一緒に回ったグループの英国婦人にコンキュパインって何か?と聞いた時の彼女の困惑ぶり、今思い出してもおかしくなる。
このイスタンブルの大都市のど真ん中の地下には、6世紀ローマ人によってつくられた地下水道がある。コンスタンチノープルはローマ人のクリスチャンによってつくられた街を、1459年回教徒のスルタンモハメド・ザ・コンクアラーに征服されイスタンブルに改名された。
巨大な柱の下には水中に頭が下や横になった人頭が並べられて異様な雰囲気、いったいどんな意味があるのか判らない。その頭の上に巨大な柱が立っている。この水道は1459年回教徒によって発見され、その水はトプカピパレスの庭を潤していたという。
このイスタンブルのスークは巨大で狭い道路が縦横に走っていて、お土産を買うには最適。ありとあらゆるものがひしめいている。
イスタンブール、お写真を見ていると行ってみたい気持ちになりますが、まだ行ったことが無いのです。
子供が小学生から高校まで、ご近所に住むイスタンブール出身のドクターの息子さんと同級生でした。よって、ご両親とも交流があったのですが、お父さんは会って握手をしても絶対に私の目を見ない···というか、女性と会うと目を反らし、学校の懇談会でも、相手の先生が女性だと喧嘩ごしで怒鳴り散らす。お母さんは優しそうな方でしたけれど、スカーフで顔を覆われていらして、学校がミッション系だっただけに、他の保護者の方からは避けられていました。
我が家は近所ということもあって交流しないわけにはいかなかったのですけれど、男性上位、イスラム教絶対主義、イスタンブールは世界一素晴らしい都市、ドクターである自分は上流階級の人間···プライドが高すぎて、イスタンブールに対する興味が失せてしまったのです。
トルコは階級社会なのでしょうかね?
トルコ人は大変友交的な国民です。確かに男性上位、イスラム教絶対主義、イスタンブールは世界一素晴らしい都市、ドクターである自分は上流階級の人間·と言うような人たちもいるでしょうが、それはどこの国にもいる一部の人だと思います。特にフランスやドイツイギリスなどへ来た人たちは、自国で尊敬されるほどのこともなく、外国で人種差別にも似た扱いを受けるため、プライドを傷つけられているのです。それが裏目に出ているのかもしれません。それでも一度は行って見たい素晴らしい都市です。
トルコの田舎の住民の方は非常にフレンドリーだと思いました。道を聞いても親切に教えてくれましたし、最新の携帯を買ったと嬉しそうに見せてくれたこともありました。
ただ、2週間の短い滞在でしたので、実際の国民性を知る機会はありませんでした。玲子さんは5回も行っていらっしゃるので、きっとトルコ人の国民性を良くご存知なのだと思います。機会があれば、イスタンブールにも行ってみようと思います。
ご近所のトルコ人のドクターは、私の住んでいる地方のトルコ人の間では有名な方でした。ほぼ全員のトルコ人が建設業の方なので、ドクターというのは凄いステータスなのだと感じました。家に工事に来たトルコ人のお兄さんが、彼のことをまるで神様のように話すので、びっくりしたことがありましたが、私はこのお兄さんの方がずっと好きでした。