フランスからスペインの国境は山の中で、あたり一面に野生の雪柳の花がその名のように白く咲いていた。バルセローナから依南はもう10月も終わり近くというのに紫色の野生の朝顔がいたるところで咲き誇っている。
今日、バルセローナのはずれで道に迷いタラゴーナまで高速道路を通ってきた(スペインの高速道路は有料)持っていた地図が旧いうえ新しい道路が次々作られていて迷うのも当然、亭主と口げんかが絶えなかった。それでBenicarloの町で2004年3月出版という道路地図を半額で売っていたのを買った。〔此れが後には頭痛の種。4月から高速道路のナンバーが変ったのだ)詐欺にあったようなものだ。
3時過ぎBenicarlo のキャンプサイトに着いた。サイトのオーナーは英国人で若い英国女性が取り仕切っていた。サイトの周りはまだグリーンの蜜柑畑とアーティチョークの畑であちこちブーゲンビリアが咲いていた。
Banicarlo の町へ散歩に行った。渡り鳥がきれいな列を作って飛んでゆく。最近の英国のお店やバス停の行列は成って無いので渡り鳥の行儀のよさには感心する。
さすが南国、やしの木が茂り地中海は凪いで真っ青、田舎町Banicarlo では市場で鰯が新鮮で安く、亭主がレストランよりおいしいとほめてくれた。此れは余り無いことなのですよ。
Banicarlo のお土産店
Peniscola は Benicarlo の隣町で、海岸沿いを歩いて10Km くらい。Benicarlo の郵便局で 英国と日本あての切手を頼んだら、同じ絵の切手に金額だけプリントしてくれた。ナルホドこの方が便利かもと思った。
Peniscola への道は海岸沿いにプロムナードが続いていて、もう10月終わり近くだというのにやたらと暑い。海岸では日向ぼっこをしている人や、泳いでいる人、ビーチバレーボールに興じている人たちなどなかなか結構な人出。今日は土曜日だから皆海辺に出てきたらしい。
Peniscola の町はわたしたちの村より格段に差のある大きなホリデータウンで海岸線は巨大なホテルが建ち並び、大きくきれいなプールで泳いでいる人たちが見える。もう閉まっているホテルもあり、レストランも閉まっているものも見られた。冬には誰も居ないゴーストタウンになるのじゃないか?Peniscola の海岸線はやさしい曲線を描いた砂浜で家族連れには最適だろう。きっと夏は大変な人出だろうと思う。
そしてなんと言ってもPeniscola の見せ場は半島の高い岩場に見られる城砦であろう。15世紀のイスラムの城というが城内のチャペルはクリスチャンのものであり、この時期東ローマ帝国の滅亡とともにスペインのほとんどがムーア人に破れこの城砦ものっとられたものと思われる。
この城の上からPeniscola のすべてが見渡せる。今日のように素晴らしい青空の下、白い壁と赤い屋根のスペインの町並みは宝石のように輝いてみえる。
今日は初めてスペインの本物のパエリャを食べた。黄色のサフランで色付けされた丸いお米と魚介類を入れたもので少し塩辛かったがおいしかった。
それ以上に感激したのはマリネートされたムール貝が素晴らしく、亭主はフライにした小魚を注文し大喜びした。そんなにしょっちゅう食べる訳にはいかないがこの国に居る間はたまにこんな御馳走も食べたいものだ。
Benicarlo のキャンプ場を出てバレンシアの環状道路(これが無料の高速道路)を通ってDenia の町までやってきた。バレンシアの前Castellon 位からDenia 間ではあたり一面のオレンジ畑。あんなにオレンジ畑が延々と続いていたのを見たことがない。そしてもう40年も昔、新幹線で東京から京都へ向かう途中に静岡で見たミカン畑を思い出した。小さな男の子が”ワァーすごい、蕁麻疹みたい”と叫び、社内のみながニヤリとしてしまった。あれ以来事あるごとに思い出す。
Denia の町に入ったらまた海辺の道路を3-4Kmも行きやっとLes Rotas のキャンプサイトにたどり着いた。この田舎のキャンプ場がスペインで一番安かった。
キャンプ場の設備も整っていて海に近く泳ぎたくなるようなきれいな海だった。
このキャンプ場、ほとんどの人がイギリス人で毎年来ている人たちや、この地で越冬をする人たちらしい。サテライトテレビにキャラバンとサイドオーニング、自転車、バイクを持ち込みもうほしいものなしで来春まで穏やかなスペインの冬を過ごすのだろう。本当に年寄りばかり、それに何処に行っても必ずおしゃべりでおせっかいな英国人のおばさんやおばあさんがいていろいろ教えてくれる。
バス乗り場を丁寧に教えてくれたおばさんたち、6人も集まったら最後はイーストエンダー(テレビの連続ドラマ)のストーリーを教えあったり・・・全くもうー。
Deniaの町もイギリス人が多い。今週は学校の休みの週で子連れのホリディーメーカーもいるが何しろ目に付くのが年寄りの英国人団体散歩団、スペイン人のじいちゃんばあちゃんでわさわさしている。どんなに一人一人きれいにしていても、団体になると個性がなくなって、ただの年寄りに見えるのだなと思ってぞーとした。
お城の開門を待っていた英国人夫婦と子供二人、そのダンナの垂れ下がり異様に膨れた腹を見て気分が悪くなった。それも上半身裸で町をのし歩いている。こちらが恥ずかしくなる。そのカミサンも同じような体型.ガキ二人もすぐ肥満児になりそうな様子だった。
廃墟のデニア城からデニアの町が見渡せる。
キャンプサイトの近くの丘にも登ってみたがここは田舎で大して見るものがなかった。
朝9時過ぎDenia のキャンプサイトを後に、町外れのスーパーマーケット”リドル”で食料を買い込んだ。Benidormの環状線で初めて一帯に林立する高層建築物を見かけた。スペインは農業と観光だけではやってゆけないらしい。Alicante はもちろん高層ビルでいっぱい。Benidormから高速道路でAlicannte をバイパスすると無料の高速道路に入った。そしてAltea から以南のすばらしい段々畑、すべてミカン畑なのだが千枚田のように山の斜面を掘り起こして段々畑にしている。
Marcia を過ぎて初めて野菜畑が目に付くようになった。野菜は葉菜が植えられているがなんだか判らなかった。
Alcanteあたりから太陽が出て暑い。この暑さは英国の真夏と変わらない。この抜けるような青空は南国だからか?南下するに従い平野が続き平野を囲む山々はみな禿山。
この夜Mojacar の町はずれの小さなキャンプサイトで泊まった。夕方海辺まで散歩に行ってヤギの放牧を始めて見た。スペインでは羊は見かけない。これだけ暑いと羊も暑さで羊毛の中で蒸し焼きになってしまうかも。
エジプトやマルタ島で見かけた黄色の花の咲く大きなサボテンに赤い実がついている。この実には苦い経験がある。マルタ島のいたるところにこの実が赤く熟れていてこれが食べられるものだという。根が卑しい私は一度味見してみたくてたまらない。二人で散歩しているときについ手を出してもぎとろうとした・・・・その結果は想像がつきますか?細い棘が手の中一面に食い込んで特にひどいのは指と指の間だった。棘が気にならなくなるまでの3日間は悲惨の一言につきる。
翌日たどり着いた Camping Roquetas は Costa de AlmeriaでAlmeria の町から10Km西に面しスペインでも一番温暖で雨が少ない地方といわれている。
そのせいかどうかは知らないが、この地方一面に広がるビニールハウスはまるで海原の様で太陽の下ぎらぎら輝いている。ビニールハウスで促成栽培のトマト、きゅうり、ズッキーニ、ナス、ピーマンなどは一年中ヨーロッパへ輸出され、ヨーロッパの食卓に季節を問わない野菜の供給を行っている。
キャンプ場から海辺を400メータも歩くとたどり着いたのはホリデータウンのAguadulce、高級ヨットの並ぶ港をそぞろ歩きウインドーショッピングもしてきた。
Almenia の海岸線は100km行ってもビニールハウスが延々と続く。夜中のテレビの宣伝ではビニールハウスに使う強化ビニールや輸送会社、梱包の製箱会社だったり、ビニールシートを洗う機械会社だったりした。これだけ大きな地域全体の促成栽培だもの企業と生産、雇用、の産業促進するだろう。すごいものだとつくづく思った。
Roquetas キャンプサイトは非常に大きくトイレのブロックだけでも5ブロック、スーパーマーケットとプールも完備しトイレ、シャワー,洗濯場、皿洗い場も清潔、しかも安い。一冬を越すとキャンプ料金が58%引きになると言う。
ヨーロッパ、特にドイツとイギリスの滞在者が多く長期滞在者たちはキャラバンにサイドオーニングを設置しキャンパーやキャラバンの周りに花を植えて自分の庭にしている。サイトの屋根にはエキストラのテント・シートを広げて直接の太陽熱を避けるような工夫をしていた。こうして気候のよいこの地でのんびり老後を過ごすのもいいかもしれない。でも私にはできないだろうな。一週間いたら十分だろう。
今日、スペインの冬時間に変わった。時計を一時間遅らせなければいけないのに亭主は一時間早くしたので、2時間も早く起きる羽目になってしまった。
この日は海岸の散歩道をRoquetas de Marまで往復15.5Km 歩いた。この町も完全なホリデータウン、たくさんのホテルと小さな城砦、インフォメーションの中で珍しいいすの展覧会をやっていた。
レストランでムール貝とイカフライを頼んだが高い割にはあまりおいしくなかった。ホリデータウンもしまる寸前、どうも客に対する気合が入っていないようだ。
今朝はグラナダへ向かった。地中海の海岸線までのビニールハウスは北へ向かうMotril あたりまで広がっていたが、山中へ向かってゆくとサトウキビらしいケーンの畑と桑の木のような低木が続くようになった。キャンパーは途中で止まってくれないがいろいろ見ているうちにやっとわかったのが、あれはカスタード・アップルの木。今まで見たことがなかったので、そうかあれがその木かとうれしくなった。道路わきでマンゴーとカスタード・アップルを売っている人がいて買いたかったのに停まってくれない。Motrilからグラナダへは山をぐんぐん登ってゆき目の前に大きな崖が立ちはだかる。そのがけを迂回しキャンパーは高度を上げてゆくので亭主は気圧で耳が圧迫されるのを感じるという。
グラナダから12Km 南の岡の上のSuspiro Del Moroのキャンプ場にチェックインした。すぐキャンプ場の付近を散策、今日はすばらしい青空だが風は身を切るほど冷たい。遠くのシエラネバダの山脈は雪で覆われている。昨日までの地中海の太陽がなつかしい。あたりは一面なだらかな丘で麦畑の収穫跡か黄色とテラコッタ色の高原と明るい感じのオリーヴ畑が広がっている。
このキャンプサイトにイギリス人の年金生活の夫婦と彼らの娘夫婦に3人の子供たちがいる。おじいさんが来てうらやましそうに私たちのキャンパーのことを聞いた。彼ら夫婦はスペインを回ってそのうちに英国へ帰るつもりらしいが、若夫婦と子供たちはこのあたりに家を買って落ち着くつもりでスペイン語を習い家を探していると言う。子供たちの学校のことなどどうしたのだろうかと気になる。ダンナの仕事は見つかるだろうか?先に家を探して子供たちをつれてくるべきじゃないのか?といらない心配。10歳くらいの女の子と6-7歳の男の子がトイレのハンドドライヤーで温まっているのを見てかわいそうになった。
英国はもう寒い?と聞いたらイエスと答えた。ここも相当寒くて今晩は久しぶりにストーブを入れた。
毎日晴天、空は抜けるほど青くそして非常に寒い。今朝は出かけるのが遅くなって11時過ぎやっとバスに乗った。グラナダのメインバス停から地図を頼りにアルハンブラの宮殿に向かい急で長い坂道を登っていった。やっとたどり着いてインフォメーションでチケット売り場は山の下だといわれガッカリ。
下山してまた帰ってきては見物している時間がなくなるので、宮殿見学は明日にすることにした。今日はグラナダの町を見て歩こう。
私たちのキャンプサイトの名前、サスピロ・デル・モーロは日本のガイドブックによれば、モーロ人のすすり泣き という意味だそう。モーロ人の最後のスルタンは戦わずに城を明け渡し、町外れの峠で城を望んで泣いたという。このアルハンブラの城を明け渡す状況はスペインでは非常に大きな出来事であり後にマドリッドですばらしい絵を見ることができた。
アルハンブラのインフォメーションで英語のできる若い女性にサスピロの意味を聞いた。”サスピロは・・・”と言ってハァと深いため息をした。”そんなに説明が難しいの?”と聞いたところ、彼女は驚いたように ”いやこれがサスピロの意味”と言う。その意味がわかるまで30秒ほどかかって ”ああ ため息という意味なのね”と皆で大笑いをした。後に買った英・スペイン語の辞書では死ぬ前の最後の一息と書いてあった。するとキャンプサイトはモーロ人のため息という名前の峠にある。
町は歴史のある素敵な建築物が多く何処を見ても絵になりそう。古い医学病院へ紛れ込み壁画や中庭の景色など感激ものだった。
グラナダとはスペイン語のグラネイド・ざくろの意味でアルハンブラの城門の紋章でありたぶんこの紋章からグラナダの町の名前ができたと思われる。広場の敷石やみやげ物屋のお皿にまでざくろの絵が書かれていた。
町の向こうにネバダ山脈が雪を頂き輝いている。このグラナダで昨日から欲しかったカスタード・アップルを買った。こんなに大きなのはイギリスでは見たことがない。まだ硬くて熟れるまで数日待たなければならない。一個2.75ユーロもした。決して安くはない。
今日は9時過ぎのバスでグラナダの町に行き、すぐアルハンブラ宮殿へ行くバスに乗った。昨日はバスがあることも知らないで急な坂道、周囲がうっそうとした木々で覆われ、時々小さな滝があったり崩れかけた石造りの建物があったりする,そんな道を息を切らして登ったものだ。
入場料が一人10ユーロこの宮殿の価値としたら決して高くはない。そういえるくらい素晴らしかった。やっぱり訪れたところの歴史を知らずに建物だけを見ても心に残るものが少ないと思う。そこでアルハンブラの売店でW・アービング(アメリカ人)という人の日本語版アルハンブラ物語を買った。この著者は1829年にアルハンブラを訪れ数ヶ月この宮殿の一角に住んでこの本を執筆したものだと言う。
この本はスペインを旅行中に読み終わったが、行く前に知っていたならどんなにかよかったのに・・・・。
イスラムの文化がこのスペインのアンダルシア地方で開花し、このアルハンブラは一時はその文化の中心地であったという。もったいないくらいに素晴らしい芸術が崩壊寸前になっていたらしい。現在ではスペインのドル箱だろう。
アルハンブラは宮殿と城砦から成りこの上から見るグラナダの町は素晴らしい。また宮殿の周囲の庭園はきれいな噴水のある池を配し暑いスペインの夏をすごしやすい工夫がされている。
高い塔の上から見るグラナダ。絶景!!!城砦で一時間以上もたのしんでいた。帰ったのが6時のバスだったから丸一日中このアルハンブラをうろついていたのだ。
庭には珍しい草花も多くきれいな花もまだ盛りだったけれどなんと言っても柿の実がたわわになっていたのが一番うれしかった。
10時過ぎ ”モーロ人(スペイン語)ムーア人(英語)のため息”のキャンプサイトを出発してコルドバへ向かった。遠回りになる高速道路を避け国道を160Kmくらい走った。道はむるやかな丘の連続であたり一面、見渡す限りのオリーブ畑。もうすぐ収穫されるらしくグリーンや黒のオリーブが鈴なりになって、オリーブ畑は濃いグリーンに銀色を混ぜたような独特の色合いの木々が連なりたてよこの縞模様を作っている。
時々現れる村や町は丘の上の城を取り囲んで白壁にテラコッタ色の屋根がとってもきれいだ。道端に時々オリーブ油の工場かオリーブの集積地が現れる。これだけあればオリーブオイルもこの国のいい収入元であろう。
お昼ごろにはコルドバの町に入り、キャンプサイトが判らずずいぶん迷って、二人でけんかしつつやっとたどり着いた。亭主はスペイン語が少しは話せるが、スペイン人にスペイン語で話しかけると、同じスペイン人に話すような早口で返事が返ってくるので聞き取れない。モンダイだ。
キャンプサイトは町の中でバスに乗らないだけでも良いが21ユーロと高かった。
午後2時にはコルドバの町の散策、グラナダの町は狭く埃っぽかったがここコルドバは古いエキゾチックな建物が多い。グラナダよりも南部に位置するせいか暖かく街路樹がオレンジの木で大きな実がなっている。でもまだ完全に実っておらず、一個黄色味かかったオレンジをもいで食べて見たが、すっぱくてとても食べられるものではない。このオレンジの花はいつごろ咲くのか知らないが、花の咲くころのコルドバの町はどんなによい香りに包まれるだろう。
旧市街は狭い道が続いているが埃っぽさが無く大変手入れされて観光に力を入れているのが良くわかる。この日は木曜日。観光案内所で地図や観光情報をもらったが、金曜日にはあちこち主要な建物が無料になるという。
ローマの遺跡から発掘された床タイルがたくさん展示されている博物館やローマ人の作った橋を渡ったりメスキータ(モスク)の中で至福のときを味わった。
金曜日は無料の観光地があるので川渕の城砦へ出かけた。ここの庭園はみごとで結婚式の写真撮影を行っていた。
オレンジの木がきれいな半円に刈られていたり、高い常緑樹が円柱のように並んで噴水が見事だった。
この日は無料の特権を利用し美術館や闘牛の博物館なども一回り見てきた。
私たち日本人にはイギリスと言えばスコットランドもウエールズも含む一つの国だと思われますが、スコットランドは独自の政府と独自の財政機関を持っていて、スコティシュ・ポンドの紙幣発行をしています。それでこの旅もイギリスの旅で押し通すのはまずいので、今日からはスコットランドの旅に改名します。
今日お送りするのは昨年ほとんど同じ時期に通った同じ道で、写真1では昨年も同じ場所にキャンパーを停めて写真を写しました。只違うのは今年の素晴らしい天気!!! お天気が違うと景色が数倍はよく見え、心浮き立ちます
ベン・ネビスから北西の地域はハイランドと呼ばれる険しい岩山と針葉樹、いたるところに横たわるロック(フィヨルド)で太古には厚い氷河で削り取られたあとに出来た湖や入り江です。スコットランドのこのような風景は湖の多いフィンランドに良く似ていますが、起伏の少ないフィンランドより何倍も写真の撮り甲斐があります。
エイリーン・ドナン(Eilean Donan)と呼ばれる古城(写真6)も、ロックの畔の駐車場は満員盛況、この城はこの地域の観光目玉になっていて絵葉書が多種発行されています。スカイ島にかかる橋(写真8)は昨年まで有料でしたが、もう建築費の元が取れたらしく、今回は無料でした。昨年はこの橋に一番近い町Kyle of Lochalsh まで行ったのですが余りの天気の悪さにあきらめたのです。
昨日初めてメスキータと呼ばれるモスクへ入ってみて驚いた。この元は回教の寺院をスペインのキリスト教徒が勢力を伸ばし始めてスペイン国内から回教徒の王族を追い払った後、キリスト教の聖堂に改装したものだ。
回教の元の寺院がお金をかけた立派なものだったからキリスト教も負けじと黄金色に塗りたくった感じですざまじい事!!!
このメスキータが建築されたのは784年ー786年でもともと建築の伝統を持たないアラブ人たちはローマの水道橋のようなアーチを参考にしたといわれる。そしてこのメスキータの建築材料も近隣のローマや西ゴートの遺跡からの略奪によって早急に建築されたという。この垂直の柱の列とアーチからなる内部はアラブ人にやしの林を思い起こさせ郷愁を誘ったであろう・・・という本の説明。
とにかくあまりの素晴らしさに昨日も今日も2日も行って写真を撮りビデオを写しわれを忘れて800本の柱の周りをさまよった。いつまでもひっそりとこのあたりを徘徊して居たいような気持ちになった。桃源郷にいる様な気持ちはこんなものだろうか?
朝10時過ぎ町中のコルドバのキャンプサイトを出てセビリアへ向かう。行路は平坦で地平線が見える。麦畑の採り入れの終わった畑を耕した後らしく赤土の平野が続いている。途中の丘に巨大な雄牛の看板が見えてきた。ここがスペインであることを強調しているのだろうか?この看板は帰りに中央スペインを通ったときも何度か見かけた。
セビリアのキャンプサイトは郊外にあり、サイトの隣は綿畑。その向こうは飛行場の滑走路が延びている。飛行機は夜中の11時半まで離着陸していた。サイトを去る月曜日の朝、同じ飛行機が飛来し8回以上も着地体制に入っていながら、また旋回しそのたびにサイトの真上を低空飛行して行く。きっと飛行機にモンダイがあって着地できないのかもしれない・・・と想像、着地失敗炎上などの最悪の場合を狙ってカメラを構えて1時間以上も見張っていた。とうとうあきらめて10時半に出発したが後ほど聞いたところでは、パイロットの飛行、着地訓練だったとのこと。ずいぶん心配していたので二人ともほっとした。
この日は午後3時過ぎセビリアの町までバスで行き2日分の観光バス券を買った。すぐに街中の観光めぐり、長いきらびやかな歴史のある町の外にカルトゥハ島へも行った。この島は1992年のエキスポ92で開発された超近代的な建築物が目白押し。新しいパビリオンやサイエンス・テーマ・パークが形成されている。