「ものを金にかえる」-1
1960年代後半、東北の代理店営業を担当していた。
そのころの話だが、営業とはものを売るのが仕事だと思っていたが、「営業とはものを金に変えるのが仕事だ。」と当時、福島にいた蓬田さんが教えてくれた。
二輪車のような商品は、売ることだけならそんなに難しいことではない。
その当時売ってもなかなか、お金に変わらなかったのである。
メーカーー販社ー代理店ー小売店ーユーザーとものは売られて、その逆の流れでお金の回収がなされるのは至極当然で当たり前のことなのだが、それが上手くいかずに立ち往生することが、当時は多かったのである。
特に、代理店以降が難しかった。
当時の販売店は殆どが自転車屋さんで資金力が無かったので、商品の委託販売であった。
商品が店頭に運ばれても売上はたたず、ユーザーに売れた時点でやっと売れたということになる。
東北でのユーザーの支払いは、当時盆払いとか、秋に米が獲れたらとか、直ぐにキャッシュでということではなかった。
販売店からの手形を貰っても、平均サイトが半年というようなものが多く、自宅払いとかいう銀行には持っていけないようなものまであって、商品がなかなか金に変わらないのである。
こんな状況の中で、代理店が沢山ものを売るということは、即多くの資金を寝かすということになるのである。
メーカーは当然量を売ることを望むので、メーカーの意をたいして量を売った代理店は資金繰りに窮し、メーカーの資金援助を受けているうちに自然に系列化の方向を歩むことになったのである。
当時の金利は、日歩2銭とか2銭5厘といった今でいえば高利だから、代理店経営は営業内はクロでも、営業外で赤字になるそんな体質であった。
こんな状況を、身をもって体験したことが、その後同じような状況で販社やメーカー自体が苦境にたったとき役にたったと思っている。
量産事業は数が増えることでのいろいろなメリットが生じるのは事実である。
量が増えるとコストも下がり、売上も利益も増えるのだが、要する資金もリスクも同時に増える。
簡単な理屈だが、なかなか解りにくい面もあって、長い年月遠回りもし苦労もした。
「ものを金に変える大きな仕組みが体質になって」はじめて事業が安定したと思っている。
そんな意味で、旧い時代の旧い体験も無意味ではなかったと思っている。