雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

1970年代、成長期 昔話ー17

2006-12-29 06:29:32 | カワサキ単車の昔話
「1970年代 成長期」

1970年代は、カワサキの単車事業にとって、アメリカ市場を基盤とした成長期であった。

68年に設立したKawasaki Motors Corporation(KMC)をベースに、全米に事業を展開し業容の拡大を一途に目指した時期と言えるだろう。

商品としては世界の名車と言われたZ1が72年に、ジェットスキーが73年に発売され、販売の拡大に世界的に拍車がかかった。

74年には、現地に生産会社KMMを設立し、ホンダやトヨタさんよりもずっと早く、75年にリンカーンで現地生産を開始した。

カワサキの事業展開の基本コンセプトとして、今もなお全世界で受け継がれている

「Kawasaki Let The Good Times Roll」

カワサキに出会うすべての人たちにGood Timesを、すべての人たちにHappyをという「Good Timesコンセプト」は73年に造られ、全米に拍手をもって受け容れられた。

このようなアメリカでの事業展開は浜脇洋二さんをリーダーとする当時30代前後の若い人たちと現地マセック副社長以下のアメリカの人たちで成し遂げられ、単車事業のあらゆる分野の牽引力となった。

特に、アメリカと呼応して技術開発力の強化は特筆できるものでであったと思う。
Z1,Z2を筆頭に、H2,KHシリーズ、Z1100,1300,Z400FX、400LTDなど70年代後半にかけて続々ヒット商品を世に送り出したのである。
レースでも、デイトナでのH1Rや後半KR250のGPなど素晴らしい活躍の時代であった。

この時期の技術部は高橋鉄郎さん以下、渡辺、大槻、稲村、百合草さんなどその後の技術部門を引っ張った人たちで構成され、ある意味では技術部門が一番元気があり、うるさかった時期かも知れない。

他の部門、例えば部品部門も自動供給システムの大規模なものを造り上げたし、実験研究部門、サービス部門も見違えるほど立派になった。
桑畑、田崎、北村と続いた部品、実験の糠谷、サービスの田村さんとみんなユニークな侍ばかりが居たように思う。

後半は塚本本部長の時代で、人事もようやく全社的な見地で行われ、青野、堀川,酒井、佐野,永友、佐藤、森田さんなどが加わった。

堀川さんを長とした企画室は、高橋(宏)坂口、田崎,田付、武本、森田,佐藤、繁治さんなど、後の川重や単車を支えたメンバーで構成されていた。

欧州市場への進出も図られ、イギリス、ドイツに販社が設置された。

このように成長を続けた事業部も、70年代の終わり頃には、陰りも見え始め新しい市場を探すべく、CKDの市場開発室が高橋さんを長に設置され活動を開始した。藤浦,石井、佐伯さんなどがいた。

この間、私は前半5年は国内でZ2で、はじめてバックオーダーが2年も続く営業を経験し、新しい販売網、特約店制度の確立に没頭した。
後半5年は、約10年の出向から戻り、企画室の後、市場開発室で初めて海外を経験した。

みんな、まだまだ若かったし、一番面白かった10年であったかも知れない。








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