雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

年賀状

2006-12-03 15:22:59 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
毎年、今頃、年賀状を書く。

全部、筆で一枚、一枚書くので結構時間もかかる。
この2~3年は、100枚に決めている。
それぐらいの数が時間的にも限界である。

ただ、年々筆が改良されて非常に書きやすくなったし、細字用のものもついているにで、筆で書くといっても、ほんとの筆と墨のものとは全然違う。

パソコンもやりかけたので、パソコンできれいに仕上げられるように勉強してみようかと、思ったこともあるのだが、やはり手書きのほうが年賀状らしい気がして毎年筆で書いている。

たった5分ほどの時間だが、相手の人と間違いなく対峙している。
一年にこのたった5分だけのお付き合いの方もいるのだが、それなりに文面も自由だし、自分の気持ちで素直に書けることに満足している。

相手の人が特定されているので、ある意味では相手の人との合作である。
そんな年賀状も、最近は毎年何人か、少なくなっていく。
寂しい限りである。


ブログは年賀状と違って、相手は不特定多数である筈だが,何となく誰かを意識して書いているようなところがある。
この人には出来たら読んで欲しいという,そんな想いもある。

年賀状はあと半分ばかり残っている。
年賀状が完成したら、本当に今年も残り少ない。


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日活とのタイアップ 昔話ー8

2006-12-03 06:40:09 | カワサキ単車の昔話
「日活とのタイアップ」

1964,5年ごろ広告宣伝の専門部門が出来て、いろんなところから、いろんなアプローチがあった。

その中の一つに、日活から映画のタイアップの話があった。
当時のスター浜田光夫や舟木一夫の主演する青春映画に使うオートバイを提供しないかという話である。

広報の価値として本当にどうかと言えば、難しいところだが、当時はそんな冷静な判断をする余裕もなく、カワサキが映画に登場することで、十分価値あるとの判断で、幾つかの映画で付き合った。

そんなことで、日活とは結構親しい関係にあった時代のことである。

64年7月10日、明石日活に「風と樹と空と」に主演した浜田光夫が挨拶に来ていると聞いて、ダメモトで「工場まで来ませんか」と誘ってみたら「伺います」ということになった。

人気絶頂期の浜田光夫である。
折角来るなら、オートバイにも乗せよう、インタビューもしようと準備をした。

オートバイも「テストコースで乗るか」と言うと「乗りたい」と言う。
そして乗るには乗ったのだが、その前に予想もしない大変なことが起こった。

誰が言ったのか、浜田光夫が来るという話が、発動機の小型エンジンラインの女性たちに伝わり、一斉に飛び出してきてラインが止まってしまった。そんなとんでもないハプニングが起こったのである。
「ちゃんと言っておいて貰わないと」と発動機の偉いさんに文句を言われたが、そんなことが起こるとは夢にも思わなかった出来事であった。

その後の塚本さんとのインタビューでは、レコーダーの準備が間に合わず、スタートしてしまったが、3分程遅れてレコーダーが届くと浜田光夫は当然のごとく、自然に最初の挨拶からもう一度繰り返してくれた。
塚本さんのほうが、びっくりされた様子であった。

そんな1時間ちょっとの工場訪問であったが、こんなこともあった、広報担当初期の出来事であった。


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