★ 昨日の新聞でトヨタの国内生産比率の問題が取り上げられていた。 今では二輪事業に於いても、生産工場の主体はタイなどの海外に移行し、中国やブラジルなどのかっては開発途上国と言われていた地域が今後の生産の主体になることは間違いない状況になってきた。
1975年ごろまでのカワサキの二輪事業の主体は、アメリカ市場の比率が圧倒的でA1 、マッハ、Z などと続いた大型車のヒットで事業そのものを引っ張ってきたのだが、その勢いもだんだん衰えて、75年の時点では今後の事業推進をどのようなコンセプトで進めるべきか、吉田専務の陣頭指揮で『発本戦略』などの検討がなされていた。
そんな時期の75年10月に突如企画室に国内営業から呼び戻されて、そんな中長期の戦略立案の直接担当となったのである。
76年初頭から、アメリカ市場の比率を40%まで落としたいということで欧州進出は既に決まっていた。
従来の機種がそのまま使えるし、直販会社の設立も殆ど規制もなく可能だったので、UKにはカワ販から内田さんが社長で乗りこんでいたし、ドイツ市場への進出も決まって調査、準備を進めていたのである。
ただ、東南アジアは、小型車の分野だし、完成車の輸出は難しい規制がいっぱいだし、直販会社はダメで、現地資本との合弁、さらにはCKDと言う部品生産工場がMUST条件で、その計画を具体的に進めるのは非常に難しかったのである。
営業部が担当はしていたが、どのように進めるべきか、話ばかりでなかなか前には進まなかったのである。
★前回の自分史でも取り上げたが、この一番ややこしい東南アジアビジネスの基本方向を企画として纏める事を決意し、年初から基本構想を策定し、
5月から1ヶ月、タイ、インドネシア、イラン、マレーシアを中心に市場調査し、
この『新市場プロジェクト』はカワサキとして進めるべきと答申して、9月には調査団の団長をされた高橋鉄郎さんが長で『新組織を立ち上げる』ところまでは決定したのである。
10月半ばに直接の上司の高橋宏さんから、『高橋鉄郎さんから貰いがかかっている』とだけ告げられた。 そして10月21日に正式に新組織への異動が命じられたのである。
企画はちょうど1年だった。 『いいポジションになったな』といろんな人が言ってくれた企画だったが、自ら飛び出さねばならない「自分の進路」を造ったような結果になった。
そして、11月1日、新組織『市場開発プロジェクト室』 がスタートしたのである。
直ぐに、基本運営方針を纏め、本部長以下関係者に報告、討議の上承認されて、具体的な活動に入っていったのである。
★ タイ、イラン、インドネシアの3国が重点市場であった。
このうち既に現地に工場があり現地資本で動いていたのがイランである。
タイとインドネシア、マレ―シアは、まだどうなるか、はっきりと解っていなかったのだが、その地域を担当することになったのである。
特にタイは、完成車を少しだけ輸出ベースで現地のGROLY という華僑の会社が販売をしていて、計画としては、合弁の販社を設立しよう、CKD工場を立ち上げようと言うことにはなっているのだが、現実には一向に前に進まないのである。
新組織になって現地に事業計画を造りに行っていた、小池、岩田くんが戻ってきて、造ってきた事業計画を見せてもらったら、『大赤字の実績と計画』でメーカーとしての大幅援助が必要だと言うのである。
私は即座に、この計画は『間違っているのでは?』と言ったら、『そんなことはない。1ヶ月も掛って造り上げたものだから』と言うのである。
そんなに儲かっていない、儲からない事業を現地資本の華僑が、メーカーと一緒に合弁会社を造ったり、CKD工場を計画したりするはずがない。
とカンで思っただけなのだが、『それならあなたも現地に行って見ろ』と言うことになって、11月25日から12月25日の1カ月間、バンコックに長期出張することになるのである。
GROLYというグループは、馬さんが率いる華僑グループで、バイクのほかに金屋さんやその他いろいろ手広くやっていた。
長男のチャンチャイはアメリカの大学、次男のピテイはタイの東大チュラリンコンの出身で娘さんが経理、みんな抜群に優秀であった。
そして、馬さんと長い付き合いの番頭さん役、チャンさん。それにピテイさんとの大学の同級生ケマさんと言う『馬ファーミリ―』のメンバーたちだった。
いろんな人がいろんなことを言うが、馬さんが『うん』と言わない限り、一歩も前には進まないのである。
1週間ほどは、ただ仲良くなるために飯を食ったり殆ど雑談で過ごし、調査団の時に見た末端市場に加えてさらにあちこちの販売状況を観たりした。
特に、長男のチャンチャイさん中心にマーケッテング関係や、販売ネットワークのこと、番頭さんのチャンさんとは商売の話をしていたのだが、2週間ほど経つと、何となくいい雰囲気になってきた。
そのころチャンさんに、『この商売儲かっていないのか?』と聞いたら、『儲かっていると思うよ』というのである。
『なぜ?』と聞いたら、 『毎月、馬さんに貰う金よりも、馬さんに渡す金が多いから』というのである。
華僑商売の真髄を観たような気がした。
商売ごとにそれを纏める番頭さんがいて、その商売をどのようにするかは全て番頭のチャンさんに任しているのである。
セールスを何人雇うのか、給料を幾ら払うかなど、何に金を使うかは全て番頭さん任せである。
その金が幾ら要ると言えば、馬さんはチャンさんに金をくれるそうである。 その代わりバイクを売って、『現金になったら』、その金は全て馬さんに渡すというシステムなのである。 その渡す金の方が多いから『儲かっているはずだ』と言うのである。
先月事業計画を造ったら、『赤字となったのは?』と聞いたら、『事業計画など造ったことがない』、小池さんがいろいろ聞くから、『それに応えただけ』だと言うのである。
★馬さんとの会議も何回かやった。 私の発言は全て小池くんが通訳してくれたのだが、なかなか本音が伝わらないので、
黒板に漢字で 『正直、誠実、勤勉』 『信頼、互譲、協力』と書いた。
これは川崎航空機の社是と執務態度で、私は心底共感していたし、現役のころはずっと、今でもこの通りに心掛けている。
息子たちには解らなかったが、馬さんとチャンさんは通じたようである。 それ以来『本音の話』が出来るようになったのである。
馬さんが、合弁事業について、『GROLY にとっては100%のリスクだが、KHIにとっては1%でしかない』とも言った。 確かにその通りなのである。
ただ、馬さんも
5月の市場調査団から、新組織、その長に高橋鉄郎さんと数ヶ月のうちに具体的に動いたカワサキの行動に、今回は確かなものを感じたのであろう。
12月半ばになって、合弁会社の設立の方向に『YES』 を出したのである。
今までなかなか決まらなかった、タイの合弁会社構想がこのとき動き始めたのである。
このころはまだ、出資はしても資金繰りの面倒まではダメだったのでその役割を日商岩井にゆだねた3社の合弁事業の方向を採ったのである。
初めての長期の海外での仕事だったが、11月にスターした新組織で、今まで長く結論の出なかったタイ市場は、12月にその方向だけは決まったのである。
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