雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

敬老の日   雑感

2019-09-16 06:32:27 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
★『敬老の日』 である。

 高齢の同居していた母親がいたころは、妹たち4人が母を長女の家に招いて女5人の会話を楽しむのが恒例になっていて、別に何とも思わなかったが、夫婦二人ともが『後期高齢者』となり『感謝される』側になってからは、何となく、『こんな日はなくてもいい』と思うようになったから、不思議である。

 一体、誰に感謝してもらうのか?
 もし『それが子どもたちだとすれば』それは余計に嫌である。
 昔と違って『核家族』となり、一緒に暮らしていないから、若し何かそれを形に表すとしたら『面倒この上ない』ことになる。
 そんな面倒な負担を『こどもに求める』のは、もう一つである。

 昨年までは、この時期は、少なくとも家内は10数年アメリカの娘のところに遊びに行っていて、ずっと2ヶ月以上『敬老の日』が続くような生活をしていたのだが、今年は久しぶりに、二人とも三木に居るので、改めて今まで意識しなかった『敬老の』についての感想を書いたりしているのである。


★『敬老の日』などいつできた祝日なのかと調べてみたら、こんなことのようである。

『敬老の日のルーツは戦後すぐの1947年(昭和22年)9月15日、兵庫県多可郡野間谷村が敬老会を催した「としよりの日」だと言われていて、その後全国に広まり、「老人の日」への改称などを経て、1965年(昭和39年)に国民の祝日「敬老の日」として制定されました。

敬老の日に「何歳から」のルールはなくて、「高齢者・65歳以上」がひとつの目安で、
特に対象年齢などを定めているわけではありません。
敬老の日を祝う=年寄り扱いと受け取られるのは、祝う側としても本意でないですから避けたいところ。
孫からのお祝いとすれば、「年寄り扱いすると嫌がるかも」といったことは、さほど気にしなくても問題ないでしょう。』

などと書かれていた。
 兵庫県が初めて制定したということも、初めて知ったし、当時は55歳以上が対象だったという。そんな時代だったのである。
日本だけではなくて、アメリカでもカナダでも、同じ趣旨の日はあるようだ。



★ これは『敬老の日』とは直接関係はないのだが、『結婚50周』の年にアメリカに遊びに行ってた時に、娘が撮ってくれた写真である。

 

 カラー写真なのに、わざわざ白黒のこんな写真にして額縁を創って贈ってくれたので、ゴルフの優勝カップなどと共に飾ってある。

  


 一番手前にある 『I Love MIKI』 のカップは、今行っている三木のスポーツジム・ランニングギャラリー・プールに75回行けば一つ頂けるもので、いま4個あるからもう300回も行っていて、もうすぐ5つ目が頂けることになっている。

家内はこの秋は、結婚以来初めて病院の検査など受けたりはしているが、お蔭様で、二人とも結構元気なのである。

 
なぜ『敬老の日』など思い出したのかというと、家内がスーパーで結構いい肉を買ったりするので、
何思って?』と聞いたら『敬老の日だからすき焼きをする』というのである。
確かに、二人で『高齢を祝う』のはいいのかも知れない。

すき焼き』は孫が来た時以外、二人ではしたことなどないのだが、
今夜は『すき焼き』を食うことになる、結構『元気な高齢者』なのである。



コメント
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