雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

軍歌  雑感

2021-11-26 06:52:21 | 発想$感想
★私の小学生の時代は「太平洋戦争」の最中で、軍歌とともに育ったようなところがある。

 戦時中で音楽の時間などはなかったのでは? と思うのだが、
 所謂「こどもの歌」など習った記憶はなくて、
 「ドレミファソラシド」は敵国の言葉だからと、
 「はにほへといろは」と教えられた記憶はあるそんな時代なのである。

 日本の軍歌の歴史は明治以降、戦争とともに生まれていて、
 1894年に日清戦争が勃発すると新聞社が軍歌を公募するなど、
 1904年日露戦争開戦直後から楽曲発表が相次いだのだという。

 太平洋戦争開戦とともにさらに数多くの軍歌・戦時歌謡が作られて、
 こんなに沢山の軍歌があったようだが、
 全部を知っている訳ではないが、多くの歌が記憶に残っている。


 


中でも「海行かば」は「国民の歌」に指定されたこともあって
 
 海行かば 水漬く屍
 山行かば 草生す屍
 大君の 辺にこそ死なめのである
 かへり見はせじ 

 これは確か1番だけの歌だから、今でも鮮明に歌詞を覚えているのである。
 

★小学生の頃の旧い時代のことなのだが、
 今でも1番くらいの歌詞は覚えているから不思議である。

 ●加藤隼戦闘隊
  エンジンの音轟々と
  隼は征く雲の果て
  翼に輝く日の丸と
  胸に描きし赤鷲の
  印はわれらが戦闘機

  これはまだ勝ち戦が続いたころだったと思う。

 ●轟沈
  可愛い魚雷と 一緒に積んだ
  青いバナナも黄色く熟れた
  男世帯は 気ままなものよ
  髭も生えます
  髭も生えます 無精髭

  この歌には思い出があって、父と一緒に風呂に入っている時に唄ったら
  「子供はそんな歌は歌うな」と言うのである。
  何故かなと不思議に思ったのだが、父は多分初めて聞く歌だったのだろう。
  その歌詞を文字で見たわけでもなく、聞いただけだから
  「青いバナナも黄色く熟れた、男女体は気ままなものよ・・」
  と思ったのだと思うが、
  それを聞く機会はその後もなかったままなのである。
  早く逝ってしまった父との数少ない思い出の一つなのである。

 ●ラバウル小唄
  さらばラバウルよ又来るまでは
  しばし別れの涙がにじむ
  恋し懐かしあの島見れば
  椰子の木陰に十字星

  この戦争は開戦以来ずっと「勝ち戦」だったのだが、
  この歌を契機に「負け戦」に転じ、敗戦へとつながるのである。


 ●戦友
  これは満州事変の時の歌だが、
 1番から4番あたりまでは覚えているのだが、
 14番まで続く長い歌なのでそこから先は覚えていない。

 ここはお国を何百里離れて遠き満洲の
 赤い夕日に照らされて友は野末の石の下

 思えばかなし昨日まで真先かけて突進し
 敵を散々懲らしたる勇士はここに眠れるか

 ああ戦の最中に隣りに居ったこの友の
 俄かにはたと倒れしを我はおもわず駈け寄って

 軍律きびしい中なれどこれが見捨てて置かりょうか
「しっかりせよ」と抱き起し仮繃帯も弾丸の中

 このように物語風なので4番位までは覚えられたのだと思っている。
 それにしても、子供の頃の記憶はなぜ忘れないのだろうか?

 

★ 終戦後は軍歌など全く作られてはいないのだが、
 世界の国歌を見ると、軍歌に近いものも多いようである。


 



 フランス国家などが有名で、
 この歌は出征する部隊を鼓舞するために作られて、
 そのタイトルは最初は『ライン軍のための軍歌』だったのだが、 
 市民の間で流行したので、元々の題名ではなく『ラ・マルセイエーズ』という形で定着し、
 後に国歌として採用されたというのである。


★突然、軍歌などの話だが、
 昨日「紅白歌合戦」のことを書いたので、
 子供時代に唄っていた歌は殆どが軍歌だったので「軍歌」を思い出したのである。

 
 
コメント
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