★私の小学生の時代は「太平洋戦争」の最中で、軍歌とともに育ったようなところがある。
戦時中で音楽の時間などはなかったのでは? と思うのだが、
所謂「こどもの歌」など習った記憶はなくて、
「ドレミファソラシド」は敵国の言葉だからと、
「はにほへといろは」と教えられた記憶はあるそんな時代なのである。
日本の軍歌の歴史は明治以降、戦争とともに生まれていて、
1894年に日清戦争が勃発すると新聞社が軍歌を公募するなど、
1904年の日露戦争開戦直後から楽曲発表が相次いだのだという。
太平洋戦争開戦とともにさらに数多くの軍歌・戦時歌謡が作られて、
こんなに沢山の軍歌があったようだが、
全部を知っている訳ではないが、多くの歌が記憶に残っている。
中でも「海行かば」は「国民の歌」に指定されたこともあって
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめのである
かへり見はせじ
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめのである
かへり見はせじ
これは確か1番だけの歌だから、今でも鮮明に歌詞を覚えているのである。
★小学生の頃の旧い時代のことなのだが、
今でも1番くらいの歌詞は覚えているから不思議である。
●加藤隼戦闘隊
エンジンの音轟々と
隼は征く雲の果て
翼に輝く日の丸と
胸に描きし赤鷲の
印はわれらが戦闘機
これはまだ勝ち戦が続いたころだったと思う。
●轟沈
可愛い魚雷と 一緒に積んだ
青いバナナも黄色く熟れた
男世帯は 気ままなものよ
髭も生えます
髭も生えます 無精髭
青いバナナも黄色く熟れた
男世帯は 気ままなものよ
髭も生えます
髭も生えます 無精髭
この歌には思い出があって、父と一緒に風呂に入っている時に唄ったら
「子供はそんな歌は歌うな」と言うのである。
何故かなと不思議に思ったのだが、父は多分初めて聞く歌だったのだろう。
その歌詞を文字で見たわけでもなく、聞いただけだから
「青いバナナも黄色く熟れた、男女体は気ままなものよ・・」
と思ったのだと思うが、
それを聞く機会はその後もなかったままなのである。
早く逝ってしまった父との数少ない思い出の一つなのである。
●ラバウル小唄
さらばラバウルよ又来るまでは
しばし別れの涙がにじむ
恋し懐かしあの島見れば
椰子の木陰に十字星
この戦争は開戦以来ずっと「勝ち戦」だったのだが、
この歌を契機に「負け戦」に転じ、敗戦へとつながるのである。
●戦友
これは満州事変の時の歌だが、
1番から4番あたりまでは覚えているのだが、
14番まで続く長い歌なのでそこから先は覚えていない。
ここはお国を何百里離れて遠き満洲の
赤い夕日に照らされて友は野末の石の下
思えばかなし昨日まで真先かけて突進し
敵を散々懲らしたる勇士はここに眠れるか
ああ戦の最中に隣りに居ったこの友の
俄かにはたと倒れしを我はおもわず駈け寄って
軍律きびしい中なれどこれが見捨てて置かりょうか
「しっかりせよ」と抱き起し仮繃帯も弾丸の中
このように物語風なので4番位までは覚えられたのだと思っている。
それにしても、子供の頃の記憶はなぜ忘れないのだろうか?
★ 終戦後は軍歌など全く作られてはいないのだが、
世界の国歌を見ると、軍歌に近いものも多いようである。
フランス国家などが有名で、
この歌は出征する部隊を鼓舞するために作られて、
そのタイトルは最初は『ライン軍のための軍歌』だったのだが、
市民の間で流行したので、元々の題名ではなく『ラ・マルセイエーズ』という形で定着し、
後に国歌として採用されたというのである。
★突然、軍歌などの話だが、
昨日「紅白歌合戦」のことを書いたので、
子供時代に唄っていた歌は殆どが軍歌だったので「軍歌」を思い出したのである。