雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

粟生線の未来を考える市民の会

2023-09-12 05:18:03 | みっきぃふるさとふれあい公園


★ つい先日、三木でいろいろと活躍されている『ジーン景虎』さんから

 
   
   



 突然、こんなメッセージが届いた。

10月から、エフエムみっきぃで、「あおせん情報局」という番組が始まります。
 収録は私がボランティアで出演している奇数週の月曜日の2時間生出演が終わる、夜7時からになります。 
つきましては、10月16日の収録に
粟生線の未来を考える市民の会の発足当時 を知るメンバーとして
ゲスト出演いただけないでしょうか? 
よろしくお願いします。



★別にほかに予定もないので出席することにはしたのだが、
 「粟生線の未来を考える市民の会の発足当時を知るメンバー」であることはとは間違いないのだが、
 もう10年以上も前のことではあるし、ちゃんと覚えているかどうかが問題なのである。

 単なる雑談会ではなくて『FMみっきい』というラジオ番組だから、
 あまりいい加減なことは言えないのである。
  
  



 そんなことで、過去のブログ日記からいろいろ調べたら
 時系列的にどのような経緯から発足に至ったのか、
 何となくだが解ってきたのである。

 アタマの中だけではまた忘れてしまうので、
 その経緯だけはここに纏めておこうと思う。


 神戸電鉄の粟生線とは神戸電鉄の鈴蘭台から三木・小野を通って粟生までの路線を言うのだが、
 乗客減などから赤字続きで廃線問題が生じていたのは2011年当時のことなのである。



  
 

  そんな時期、確か和歌山の方だと思ったが
 『ふるさと線を残そうという会』の方たちが三木に来られて会合があったのだが、
 その会に市会議員の板東しょうごさんからお誘いがあって出席したのが始まりなのである。

  



 それは2011年10月10日のことなのだが、
 その日の日記にはこのように書いている。
 
 ●ふるさと線を残そうという人たちが三木に来て神戸電鉄問題を議論した。
この話は住民の力を結集したら流れが出来る。
単なる署名運動などではない実質的なものを創ればいい有志が頑張る方向がいい。


 そんな想いだったので、板東さんと相談して、
 『神戸電鉄を残そう会』などにすると賛成者もいるが、反対者も出るので、
 政党色などはなく名前も「粟生線問題を考える市民の会」を創って、
 と板東さんと相談したのが、この問題のスタートだったと思う。

 そして早速、11月11日には開催された
 「粟生線問題を考える市民の会」に出席しているのだが、
 この会には小野の河島美奈さんや井上章二さんも出席されているのだが、
 確かこの席で会長には山本医院の山本篤 先生に意向を聞いてはと、言うことになったのだと思う。

 そして11月25日には山本篤会長が実現
 名前も正式に「粟生線の未来を考える市民の会」と決まって、
 正規に賛同者を集めることになったのである。
  
 
 こんな経緯なのだが、実は私自身はもっと以前、この年の6月7日に
私の神戸電鉄問題』と題して大要こんなブログをアップしている。
 
●アタマの中に全然無かった『神戸電鉄』ですが、この半月、ずっと考えていました。『神戸電鉄粟生線廃止問題』です。
この半月間、私なりに出来る限り積極的に、真面目に動いてみました。
5月22日から、3日間連続でブログなどに、神戸電鉄粟生線問題をアップし、
三木市長に市長メールで連絡しています。
お隣の小野市の市長さんにも市長メールしました。
神戸電鉄の鉄道本部の副本部長さんと企画部長さんと3時間ほどお話をしました。
既に何度も検討が進められていますが、解決の名案が出ている訳ではありません。
神戸電鉄の『KOBE』というネーミングも最高ですし、
調べてみたら、車両は全て川崎重工製のようですから、
昨日は神戸電鉄の方と和やかにそんな話をしてきました。

★多分板東さんはこんなブログも読んでおられて、私を最初の会合に誘われたのではないかと思う。
 私は問題を考え出すと、それなりに積極的に動いてみるのだが、
 そうすると何か具体的な対策に繋がるものなのである。
ひとりで動き回っていたこの問題も半年後だが、具体的に動き出したのである。

★ 何度かの集会があって、これは市民が一度考えてみるべき大きな課題だということで、
粟生線の未来を考える市民の会』準備会が立ちあげられて、
そのFacebookページも完成して動きだしたのである。
同時にこのようなチラシを作って、広く賛同者を集める運動を起こす事になった。

   


★ そして、明けて2012年4月15日に 
 粟生線の未来を考える市民の会結成総会を粟生駅に隣接する『あお陶遊館』で行い、

  
  


 この会合には岡山の公共の交通ラクダの岡将男さんが講演をされたし、
 関西国際大学の松本茂樹先生ともお会いできて、
 お二人とも繋がったりしたのである。

 
 

 午後からは三木に舞台を移しての懇親会
 これはその粟生から三木への電車の中でのメンバー達である。






 そして、懇談会での記念写真。
 山本篤 先生は所用があって出られなかった。
 私がシャッターを切ったので私は写っていない。






 ざっと、ここまでが「粟生線の未来を考える市民の会」の発足当時の経緯かなと思う。

 会の関係者ににとっては約半年
 粟生線問題を考えて、動き出した私自身にとっては1年近くの期間の動きだたのかなと思う。

 こういう風に調べてみるには、
 ブログや日記は重宝で、これなしにはとてもここまでは纏められないし、特に時系列には全く覚えてなどいないのである。

  


★ 粟生線の未来を考える市民の会
  スタートまでの経緯を改めて時系列で並べてみる。

 ●2011年6月 私なりに粟生線廃止問題に対して個人的に動いている。
 ●2011年10月 ふるさと線を残そう会の会合が三木であって出席。
 ●2011年11月 粟生線を考える市民の会 板東・井上・私ほか
 ●2011年12月 粟生線の未来を考える市民の会 山本篤会長
 ●2011年12月以降 会員募集活動スタート 170名になったので 
 ●2012年4月  粟生線の未来を考える市民の会結成総会開催




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