★ カワサキ一筋に長くレース界に貢献された山本隆だが、
そんな功績をたたえて
久保和夫・鈴木忠雄・吉村太一と並んで
『MFJ モーターサイクルスポーツ殿堂』入りをされている。
私がレースの世界に入った時、
久保和夫はすでにモトクロス界の第一人者だったが、
山本隆も鈴木忠男も新人だったし、吉村太一は星野と同期で、
まだノービスだったのである。
山本隆は最盛期には3年連続全日本チャンピオンにも輝いて、
その褒章でヨーロッパの二輪市場見学旅行などにも行っているので、
この殿堂入りも当然だと思う。
二輪のライデングにかけては独特の理論派で
現役時代『講釈師・山本』と言われたのだが、
確かにそのライデイングは理に適っていて
いつどんなところで写真を撮っても様になるのである。
この写真はタンクが「グリーン」だから
晩年の山本隆だと思うが、
綺麗な逆ハンでカーブを周っているが、
力がどこにも入っていなくて、綺麗なライデングである。
★ 私とは長いお付き合いなのだが、
私が初めて4輪の免許を取った時には、いろいろと運転技術を教えてくれたので、
そう言う意味では、私のライデイングのお師匠さんである。
私は二輪は持ったことはないのだが、会社のマシンで山本譲りのライデイングを結構練習したので、何となく『逆はん』も切れたりするのである。
レースでは、二輪も4輪もレースは早く走るのだが、
ひっくり返っては元も子もないので基本は安全運転なのである。
ブレーキを踏むときはバックミラーを
カーブではスローイン・ファーストアウトなどは
レーステクニックだけではなくて、安全運転の基本だと思っている。
二輪でも四輪でもアクセルを踏んでいる時が一番車は安定しているので、
カーブでもアクセルが開けれるミッション選択が肝要だと言って、
4輪の「ヒール・アンド・トウ」などのテクニックも教えてくれて出来るようになったので、
東北6県の砂利道や雪道の走行では大いに役に立ったのである。
お陰様で事故は一回も経験がない。
★ これはもう20年も前になるのだが、
山本隆、60歳の頃に『60おじさん』と自ら称して
ゼッケンも「60番」を付けて頑張ってた時代があったのだが、
マシンに乗せると、その辺の若い人たちでは
彼の敵ではないのである。
こんな感じでずっとTOPが彼の定位置だったのである。
これはまだ1周目だが、
そのうちに60おじさん一人旅になってしまうのである。
★カワサキのライダーたちとは
現役を卒業してからも長いお付き合いが続いて、
これは私がシャッターを切ったのだが、
私と山本が東京に行ったときに星野が岡部と金子を連れてやってきたのである。
これに金谷秀夫がいたら、私が一番関係のあったライダーたちだと言える。
最近でもいろんなところで、山本隆や昔の仲間たちと会うのだが
これも昨年11月 明石であった『Z40周年記念』の時の写真である。
こうしてみると、現役時代は兎も角、
みんな立派に成長されたものだと思う。
今は、山本隆さん、私が立ち上げたNPO 法人・The Good Times の2代目理事長を務めてくれている。
これはその事務局での私との2ショットなのだが、
彼は私よりちょど10歳若いので
最近、80歳を迎えられたようである。
そんなこんなで、山本隆さん、私とは何となく約60年も密接に繋がっている。
ひょっとしたら、私の人生でも山本隆が一番長いお付き合いかも知れない。
彼、何歳の時に結婚したのだったかな?
突然、やって来て『私に仲人を』と言うのである。
私も結婚したばかりの頃で、30歳ちょっとだったと思うのだが、
『どうしても』と仰るので、仲人を引き受けたのだが、
多分、世の中にこんなに若い仲人などいないと思っている。
そんな、ご縁があって
山本隆さんとは特別な仲なのである。